容量と戦った、とある天才ゲームクリエイター -スナッチャー CD-ROMantic-
皆さん、ファミコンソフト、「ドラゴンクエスト1」の総容量はご存知でしょうか? 64KBです。一時期は「携帯電話の壁紙一枚分」なんて言われたものですが、今や高解像度が進んだスマホでは壁紙にもなりません。ちょっと調べたら私の使ってるPCの、修復インストール用デバックテキストファイル「bootstat.dat」が66KBでした。だいたいそれくらいです。
この容量とのギリギリの戦いは、名作漫画「ドラゴンクエストへの道」でも描かれています。あまりに容量が少ないために、カタカナのフォントを全部入れることすらできなかった状況下、それでも見事な良質RPGを作り上げた堀井雄二と、中村光一は、まさしく天才の称号を与えられるべきでしょう。
容量との戦いはその後も続きます。ファミコンとメガドライブはカードリッジ、PCエンジンはHuカードと、媒体は違えど毎年容量の増えた新型が投入されるのに、それでもまだ容量が足りない! という状況で開発者は湧き出るアイデアと裏腹に、涙をこらえつつゲームを作っていきました。ドラゴンクエストでいえば1(64KB)→2(128KB)→3(256KB)→4(512KB)と倍々ゲームで増えているのですが、3ではついにOPを削除する羽目になり、最も容量が多い4ですら、容量不足の原因で本来のストーリーから削られた要素が多かったといいます(ピサロが仲間になる、というPS版で追加された要素は元々のファミコン版の構想時点で存在していたという)。
そんな容量との戦いは、とあるインターフェースユニットの発売によって、一気に転換することになります。皆さんご存知の「CD-ROM」、これが1988年末、PCエンジンの周辺機器として登場しました。1988年発売のドラゴンクエスト3で256KB、対してこのPCエンジンCD-ROM2システムでは540MB、1000倍以上の容量が扱うことができました。これにより、コンシューマゲーム機の容量問題は解決するかに見えました。………はい、見えただけです。とにかくコストがかさむことがCD-ROMの普及を妨げました。何しろ本体とは別に別途合計60000円オーバーのインターフェースユニットを購入する必要があったのですから。即、CD-ROMに移行しようという流れには、ユーザーも、ゲームメーカーもならなかったのです。
そんな価格面での普及の問題はさておき、開発者側から見てCD-ROMはとても魅力的なものに見えたはず……では、なかったのです。いったいCD-ROMのどこに、問題を感じたのでしょうか? 読み取り速度? バッファメモリ? 確かに問題はそこにもありましたが、大きなものが一つ他にあったのです。そう、「容量」です。
『お前は何を言っているんだ?』と思われるかもしれません。CD-ROMは当時のカードリッジの1000倍以上の容量があったはずでは? と。そうです。最大の問題は「それだけ容量があると、何にどうやって使って良いのかわからない」状態になってしまったのです。当時の広告ではCD-ROMの容量を「ドラクエ2が1000本入る!」と打ち出しました。なるほど、確かにそれは実現可能でしょう。では一体、だれが1000本分のドラクエ2を作るのでしょうか? 堀井雄二、中村光一という天才二人が一年間取り掛かって出来上がったのがドラクエ2です。それを1000本分…となると、想像を絶する開発規模になることが目に見えています。
しかしそんなCD-ROMの弱点を、すぐに(主にハドソンの)開発陣が克服していきます。CD-ROMの大容量を活かすために、音楽を生音源で録音しました。画像取り込みで実写も使えます。声優の声を長時間録音することも可能です。アイドルとバーチャルデートするゲームが出来上がり、面クリア時にムービー再生が入るアクションゲームが出来上がり、そして、声優がキャラを演じ、坂本龍一がメインテーマをかきあげたRPG「天外魔境」で、その容量問題の一つの答えが出ました。グラフィックと、音楽と、音声とが、急角度で進化したのです。
そしてそれは同時に開発者にとってまた新たな問題を出されたことと同じでありました。「このなんでもできる大容量のCD-ROMで、己のセンスを表現する」ということです。グラフィックと、音楽と、音声と、シナリオと、ゲームデザインと、ありとあらゆるところでセンスが問われるようになりました。なんでもできるCD-ROMはプレイヤーに夢と驚きを与えました。それと同時に、厳しい選定眼をプレイヤーに与えてしまったのです。
開発者たちはCD-ROMという大容量に戦いを挑みました。苦しめられた開発者も多かった中(そうして出来上がったゲームは、今度はプレイヤーを苦しめました)、飛び抜けた才能を持つ人らのそれが、名作として世に登場しました。ゼロヨンチャンプ2がそれでありますし、今回語るゲームである、スナッチャーCD-ROMantic-も、そうであります。スナッチャーの開発者は小島秀夫。そう、後にメタルギアソリッドシリーズで世界に名を轟かせる、小島監督です。
さて、PCエンジン版スナッチャーの解説を始める前に、この「スナッチャー」という作品自体の解説が必要になります。元々はPC88やMSX2で発売されたアドベンチャーゲームです。いくつかあるコマンドを選択し、人と会話をしたり、場所を調べたりして、いつの間にか人とすり替わるバイオロイド、スナッチャーの正体を暴くため戦いを挑む、サイバーパンク・アドベンチャーで、近未来でスタイリッシュな場所と、みすぼらしい人たちでごった返すスラムとが同居している独特の世界観(小島監督はブレードランナーから影響を受けた、と明言しています)が売りで、スナッチャーとは一体何者なのか、そしていったいどこから現れるのか、眼の前にいる人間は本当に人間なのか…。奴らの正体の謎を解き、そして記憶喪失の主人公ギリアン・シード、彼自身の謎も解いていく、というゲームです。
そうしたハードな雰囲気とは裏腹に、主人公ギリアンは意外に饒舌家で、相棒であるメタルギアMKⅡ(MGS4に出てきた同名のそれと似てる、AI搭載のミニロボットです)とボケとツッコミのかけあいをしてプレイヤーを楽しませてくれます。基本的に昔のアドベンチャーゲームらしさの、コマンド総当たりで物語が進んでいくのですが、とにかく会話のパターンが豊富で、飽きることがありません。なにもないところでも、なにか新しい会話が出てくるのではないか? とプレイヤーに思わせ、さらに探らせようとしたくなる仕掛けとなって作用しています。個人的には自宅でトイレに入ると便座機能で体調確認ができるので、それを使ってみようとするギリアンと、結果にメタルギアが驚き、「どうしたメタル!?」→『死ぬほど健康です』という掛け合いをするのがツボにはまりました。
そんなスナッチャーなのですが、PC88やMSX2というパソコンで発売するにあたって問題が生じました。そう、容量問題です。小島監督の本来出すべき構想ではあまりにボリュームが多すぎて、会社からの承認が得ることができませんでした。PC88ではフロッピー5枚組、MSX2版でも3枚組という多さでも、本来Act5まであった構想は大幅に削られ、Act1と2のみ、という未完成品として発売されました。そして後半もあまりに長くなった開発期間により、会社から打ち切りの指示がくだされてしまったのです。物語としては一つの山場を迎えることはできたものの、スナッチャーの正体やそれを作り出した犯人は謎のまま、ストーリーは終わってしまいました。
小島監督ら、開発陣は強い無念を抱いていたと後に語っており、その後にMSX2にて「SDスナッチャー」が発売されることになりました。これはAct3の要素を組み込んだリメイク作品で、これによってようやくストーリーは完結する流れになりましたが、これはアドベンチャーゲームではなく、RPGとして仕上がっています。従来のアドベンチャーでは、どうやっても容量問題が邪魔をして完全版が作れなかったのだろうと思います。
そして、SDスナッチャーから二年の1992年、ようやく普及しはじめてきたPCエンジンCD-ROM2にて、スナッチャーCD-ROManticは発売されました。名前の通り、CD-ROMであることを売りにし、その大容量を存分に使った作品に仕立ててきました。容量問題はCD-ROMにより解決しました。しかしその反対の問題点、「大容量すぎる容量をいかにして駆使するか?」に対して、小島監督はどう立ち向かったのでしょうか? 実際のOPを見ながら小島監督の答えを聞いてみましょう。
開幕の注意書き、そして挑戦状とも思える字幕、続く声優によるナレーションとアニメーション。歴史を語る流れが次第に謎の侵略者スナッチャーのことへと変わっていき、不可思議な存在、スナッチャーの謎と恐怖を掻き立て、タイトルロゴの登場。そしてそこからオープニングテーマが始まり、スタッフロールの後、主人公ギリアン・シードの話へと焦点が合っていく……。元々のPC88版でも似たような構成になっていたのですが、PCエンジン版ではCD-ROMの大容量を活かした演出の強化がなされています。映画的手法を導入した初の作品として、このスナッチャーは挙げられることが多いのですが、PCエンジン版で強化された結果、映画的手法を超え、まさしく映画同等の演出を得ることができたといえるでしょう。プレイヤーは、これにより完全に心を掴まえられるのでした。
小島監督のセンスはそれに留まりません。そこまでしてがっちり掴んだプレイヤーの心を、今度は振りほどくような真似をします。背景にあるのはパチンコの「パ」の字が消えているネオン(実はヒントにもなっている)。流れているCMに書いてある電話番号にかけると実際にかかったり(もちろん本編と全く関係はない)、スーパーコンピュータ、ガウディの検索機能を使ってスタッフの名前を検索するといろいろと出てきたりと、本格的サイバーパンク世界観に酔いしれながらも、一方で小島監督の遊び心溢れた脇道を楽しむことができるという体験ができるようになっています。CD-ROMにしたおかげで容量はあまりに余っています。こういった脇道的オマケ要素はPC88、MSX2版よりも大幅強化されました。スタッフの奥さんのDNAの本数を聞いてくるクイズも搭載されています。
そして何より容量増加の恩恵を受けたのはやはりAct3の存在でしょう。Act3ではすべての謎が解かれ、スナッチャーとは何者なのか、誰がそれを作り上げたのかが解明されます。(Act4と5はこれ以後の、エピローグ的要素だ、との事)。主人公ギリアンと相棒メタルギアMK2が首謀者のいる場所へと乗り込み、陰謀を阻止しようとしたところで繰り広げられるのは、なんと首謀者本人による20分に及ぶ独白! そこからエンディングまで、ノンストップで独白+ムービーは流れ続けるのです。
ゲームというのは双方向性があってこそのものだ。20分コントローラーを操作する必要がないゲームなど、果たしてゲームといえるのか? 映画ではないのか? こういった批判は当時でもありました。しかし考えてください。ゲームというものは、プレイヤーに驚きをもたらしてこそです。最後の最後でゲームが映画になったこと自体が、驚きではなくてなんでしょうか。OPの五分の映画的手法でがっしりと心を掴まれたことを、エンディングで再現したわけです。映画から始まったゲームは、最後、映画として幕を閉じたのです。そのダイナミックな動きこそ、まさしくゲームではないでしょうか。そしてそれを実現したのは、CD-ROMという媒体と、小島監督の持ち得る卓筆したセンスの合わせ技でした。
最後になりますが、「小島監督」と呼ぶことに触れなければならないと思います。この呼称に忌避感がある人もいるかと思います。「ゲームを作ってる人は映画監督ではない」という批判もあり得ると思います。しかし私はあえて、小島秀夫という人物には「監督」が付くことになんの問題もない、と主張したいです。ゲームと映画を結びつけた、最初の人物なのですから。小島監督は間違いなく、卓越したセンスを持つ天才ゲームクリエイターです。その彼が生み出したセンスの結晶体、スナッチャー-CD-ROMantic、ぜひ皆さんプレイしてみてください。