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『神ゲー』アクトレイザーについて語ろう

 ファイナルファンタジーシリーズの偉大なる作曲者、植松伸夫は言った。「『アクトレイザー』の楽曲は業界内で一つの"事件"だった」と。スーパーファミコン初期タイトルでありながら、驚くべき音質と楽曲を兼ね備えて現れた『アクトレイザー』は、プレイヤーと業界と、双方に強い衝撃を与えました。もはや異口同音にこのことは語られており、あえて私が深く言及する必要が感じられないので、別方向からのアプローチを行いたいかと思います。今日は巻きでいきますよ! はい、今回のテーマはSFC初期の名作、『アクトレイザー』です!


 このアクトレイザー、主人公である神の分身を操作して、魔物たちを撃破する横スクロールアクションゲームと、天使を操作して人々を魔物から守り街を発展させていくクリエイションモードとの2つで構成されていることは、よく知られているかと思います。有野の挑戦でとりあげられたこともありますし、Wiiバーチャルコンソールでもかなり初期から登場した作品でもあります。元々の知名度も高い作品でありますから、各所ブログにて散々取り上げられたことですし、プレイしたこともある人も多数いる作品です。

 そんな作品でありますから、「今更音楽がいいとか言われてもなぁ」と思う方もおられるかもしれません。なので私はこの度、少し違った視点でこの作品を解説したいかと思います。

 このゲーム、日本においては豊富なイベントが練り込まれたクリエイションモードが評価のポイントであり、独特の操作性を持つアクションモードはどちらかといったらあまり評価されてきた、とは言い難いところがありました。海外ではむしろ逆であり、それが原因で続編アクトレイザー2において、クリエイションモードがなくなったとされています。

 さて、そのアクションモード、具体的にどのようなところが独特の操作感なのでしょうか。ジャンプ後の方向制御は非常に弱く、ダメージを受けた後の無敵時間はかなり短いです。剣を振ったリーチは短めで、しゃがみ攻撃をするときはリーチが伸びますが、隙が大きくなり、かつ上方への攻撃範囲は減ります。横スクロールで先に進んだとしても雑魚敵が消失する、ということがありません。なので「体力ゲージに物を言わせたゴリ押し」戦法は通用しません。そのため必然的に出てきた雑魚敵を逐次的確に倒していくことが求められます。このことに気がつくまでは、やられ放題にやられてしまうので、「高難易度」と呼ばれる原因の一端になっています。

 救済措置としては魔法の存在があり、いずれも強力で、ボス戦に至っては「魔法連発でなんとかなる」というところまで助けてくれます。ところがこの仕様も罠になっており、最後、魔王サタンとの決戦の手前では、今までのボス6戦をくぐらなければならないようになっており、魔法に頼った戦略は途中でガス欠になるという状況に陥ります。必然的にボスのパターンを読み切り、如何にダメージを受けず、的確な処理ができるかを求められるようになります。


 最終的に頼れるのは己自信の力量。自らの操作で神の力を振るい、敵を倒していくのです。


 そして魔王サタンとの決戦なのですが、ここで一つ不可思議なことが起きることを、このゲームを楽しんだプレイヤーは気がつくことでしょう。本来パワーアップアイテムを取らないと出てこない剣の衝撃波が、魔王サタンとの戦いに於いてだけは常時使える状態なのです。このパワーアップアイテム自体非常にレアで、本編通じて一つしか出てこないアイテムでかつ、とても強力です。そんなアイテムを取った状態に、神は自らの意思で自由になることができる、という推察がなりたちます。ではいったいなぜ、神は普段この力を封印しているのでしょうか?

 ストーリーを振り返ってみましょう。神はかつて、魔王サタンとの戦いを続け、その力が拮抗した状態で平和を保っていたのです。しかし魔王サタンは6体のしもべを作り出し、それを連れて神に戦いを挑みました。サタン単体とならば拮抗している力は、6体のしもべの出現によりバランスが崩れ、神は敗れ去りました。敗れ去った神は一時天空城へと戻り、そこで傷ついた体を癒やしながら、数百年の時を得て、魔物に支配されてしまった地上を取り戻すべく戦いに戻るのです。

 まだ力の戻りきらない神は、地上に人々を導き、増やすことで信仰心を得て、かつての力を取り戻していきます(それがクリエイションモードです)。そして最高レベルにまで達したとき、天使はこういうのです。「かみさまは もう じゅうぶん もとの つよさを とりもどしたようですね」と。

 そうです、このゲームでは、最高レベルに達したとしても、それはあくまで「もとのつよさ」が限界なのです。それなのに再び6体のしもべと、魔王サタンとの決戦に趣き、勝利をしなければならない……。神はそのことを知っていたはずです。だからこそあえて自らが振るえる力を制限し、最後の最後、魔王サタンとの決戦まで封印し温存したのでしょう。そしてついにやってきた魔王サタンとの戦いで、はじめてフルパワーの己の力を開放した……。このゲームの裏のストーリーはこういうふうに読み解くことができるのです。

 そしてそれをなし得たのは、もうひとりの存在、プレイヤー自身です。操作性に四苦八苦し、マラーナの触手にもがき苦しみ、魔法を使うタイミングを考えながらサタンへの決戦に向かうプレイヤーのプレイスキルの向上がなければ、神はかつての戦いのように、サタンに敗北してしまったことでしょう。そう、敗北する未来から神を救ったのは、別世界のプレイヤーなのです。プレイヤーの助力により、神は神としてさらに高みの存在へと昇華することができたのです。


 よく「神ゲー」を挙げる話題に本作が(半ば冗談、半ば本気で)語られることがあります。神を操作することができるから神ゲーと。しかしこういったストーリーを組んでゲームを見つめ直すと、アクトレイザーは「人の力をもってして、神を超えることができる神ゲー」といえるのではないでしょうか?