平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

プロ野球選手会はそろそろ無理筋な主張をするのは止めた方がいいのでは

この記事は以下の記事らの続きです。まず二つの記事をお読みください。

amd-ryzen.hatenadiary.jp

amd-ryzen.hatenadiary.jp

今でもプロ野球選手会は肖像権について、「選手会は、球団と選手がそれぞれの権利をそれぞれがライセンスし、その上で協力していく体制を目指しています」と主張し、その意義と問題の経緯をHPにて記載しています。

jpbpa.net


その主張自体は構わないのですが、一部このような主張があります。

日本野球機構が、2000年4月から3年間、ゲームに関する肖像等の利用を特定のゲーム会社に独占させる認可を与えてしまったことで、競争によって、続々と魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまったのです。この独占期間中に、他社がプロ野球ゲームを制作しようとする場合、このゲーム会社に対し許可を得るような形となってしまったため、他社が野球ゲームを制作しづらくなってしまったわけです。

特定のゲーム会社とはコナミのことを指します。さて、この主張はどこまで本当なのでしょうか?

実はプロ野球選手会は似たような主張を裁判前にも行っており、裁判中でもこのような主張を織り込んでいます。

団法人日本野球機構(「野球機構」)が,選手らへの事前通知もなく,選手の肖像等の使用に関して,平成12年4月から3年もの長期にわたるプロ野球ゲームの独占的使用許諾契約をコナミ株式会社との間で締結し,平成12年開幕時にコナミ株式会社以外のゲームメーカーによる野球ゲームが発売されなくなるという事態が発生したことを契機に,球団側に肖像権の管理を委ねることは問題なのではないかとの気運が高まった

ところがこれは事実ではありません。平成12年のプロ野球開幕時期にコナミ外から発売された野球ゲームは普通に存在します。ドリームキャストにてセガが発売した「もっとプロ野球チームをつくろう!」が9月28日に発売されています。なお、その前には「プロ野球チームであそぼうネット」もドリームキャストにて発売されています。これらは両方ともきちんと実名ライセンス取得済みです。つまりコナミは非常にスムースにサブライセンスを与えていたことになります。

こうした反例を把握してしまったがため、選手会は主張をかえて「魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまった」という表現にしたのだと思います。

では具体的に数字を出して調べてみましょう。野球ゲームはいったい年にどれくらいでていたのでしょうか? 実は野球機構が裁判中にまとめあげたデータ、「野球機構とライセンスを結んだ会社数と実名を使ったゲームの本数」があります。それを引用させて貰いましょう。まずはコナミがサブライセンスをする前の三年間、1997-1999年を確認しましょう。


1997 コナミ株式会社発売のスーパーファミコンゲーム「実況パワフルプロ野球3’97春」ほか8社     17タイトル
1998  株式会社スクウェア発売のプレイステーション用ゲーム「スーパーライブスタジアム」ほか10社    22タイトル
1999 株式会社セガ・エンタープライゼズ発売のサターン用ゲーム「サタコレ グレイティスト98」ほか11社 22タイトル



ではここからはコナミがライセンス権を取得したあとの三年間を見てましょう。



2000 株式会社エポック発売のゲームボーイ用ゲーム「ポケットリーグ」ほか14社               22タイトル
2001 コナミ株式会社発売のプレイステーション用ゲーム「ベースボールシミュレーションIDプロ野球」ほか7社  17タイトル
2002 株式会社エニックス発売のプレイステーション2用ゲーム「オレが監督だ!Vol2」ほか7社        17タイトル



……余り変わっていないように見えます。一応補足しておきますと、この区切りは単純に年で区切っていますが、コナミのライセンスは年度(4月から3月まで)ですので、2000年の途中から始まり、2003年の3月末で終わるということになるので、厳密にこの表が正しいわけではないはずです。しかしプロ野球選手会の主張が正しいのなら、ライセンスが終了した2003年4月以降に爆発的に野球ゲームが増えたことになります。このあとの三年間も確認してみましょう。



2003 株式会社コナミOSA発売のプレイステーション用ゲーム「実況パワフルプロ野球プレミアム版」ほか10社  24タイトル
2004 株式会社コナミスタジオ発売のプレイステーション2用ゲーム「実況パワフルプロ野球11」ほか7社     16タイトル
2005 コナミ株式会社発売のプレイステーション2用ゲーム「実況パワフルプロ野球12」ほか6社         18タイトル



増えた……のでしょうか? なんとも微妙です。確かに三年間の平均値を取ってみれば、コナミがライセンスを取得していた時期が一番低くなり(97-99 20.3本 2000-2002 18.6本 03-05 19.3本)ます。おそらくこの当たりの数字をもってプロ野球選手会は「ブレーキがかかった」と主張しているのでしょう。



しかしこれには大きな落とし穴があります。そもそも2000年はプレイステーション2が発売された時期であり、メインプラットフォームがプレイステーションからプレイステーション2へと移行しようとしている時期なのです。
プレイステーションの年間ゲーム発売本数を見て見ましょう。(Wikipediaソースで申し訳ありません)


1998年(全580本)
1999年(全627本)
2000年(全512本)
2001年(全263本)


と、1999年がピークです。2000年は1998年よりもさらに下回っています。なお、この本数にはシンプル1500といった低価格で大量にラインナップされる系統のソフトもカウントされています。
プレイステーション2の年間ゲーム発売本数は、というと


2000年(全122本)
2001年(全228本)
2002年(全346本)
2003年(全453本)
2004年(全465本)
2005年(全460本)


概ね2003年をピークに、2005年あたりまで続いた、といえるでしょうか。つまりコナミのライセンス終了の後にちょうどピークがやってきた形になります。
さらにいうならば他ライバルハードの低調ぶりがちょうど重なったこともあります。2000年はプレイステーションのライバル、セガサターンが急降下し、かわりにドリームキャストが出てくるもPS2の前に四苦八苦、ニンテンドウ64ゲームキューブ発売前で低調、ゲームボーイはそもそも実名野球選手が出てくるようなゲームがあまりでていない(一応ポケットプロ野球プロ野球スタジアム92といったタイトルはありますが)……という状況だったのです。
2003年以降はゲームキューブゲームボーイアドバンスが立ち上がり、順当に野球ゲームも出始めますが、そもそももっとも出しているのは当のコナミ、といった状況です。コナミのライセンスが切れたのに、いっきに増えた様子はありません。



これらの状況を総合すると、こういうことが言えます。


プロ野球選手会の主張は事実に即していません。


プロ野球選手会としては肖像権をなんとか手に入れたいがために、「肖像権を野球機構に任せてはおけないのだ」という理由付けが必要となります。それ故、野球機構と独占ライセンス権を結び、かつスクウェア相手にやらかしたコナミを悪役にしたてて己の正当性を誇示したいのでしょう。しかし、「続々と魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまった」なんてことは起きていないのです。コナミはそもそも、順当にサブライセンスを各社に出していたのですから。


2004年、プロ野球選手会コナミと和解しています。「両者は野球界の発展のために協力する」という和解内容でした。で、あるならば、これらの主張を選手会は取り下げ、その上で自らの正当性を主張するのがよいと考えます。


もうそろそろ、コナミを悪役にして叩いておけばいいという風潮は見直されるべきではないでしょうか。