平和的なブログ

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裁判の行き着く先にある真実と、まだ見ぬ続編 -有罪×無罪-

 弟切草というゲームがある。
 それまでなかった「デジタルノベル」というジャンルをゲームの世界に生み出し一つの分水嶺となった作品だ。小説を読みすすめるごとく文字を読み、時折出てくる選択肢を選ぶことで物語は分岐し、そして様々なエンディングを迎える。ゲーム以外の媒体では不可能な、ゲームでこそという領域に切り込んだゲームだ。


 続編かまいたちの夜ではついにゲームならではの「推理ゲーム」に到達した。プレイヤーは殺人事件に巻き込まれ知恵を振り絞り恐怖の展開へと立ち向かわなければならない。もし犯人がわからないままだとしたら……その犯人の次の獲物はプレイヤーが操作する主人公だ。そうでなくても恋人に殺されてしまうバッドエンドになってしまう。プレイヤーがエンディングに到達するには犯人を見破らなければならない。他の媒体ではこれはどうにも不可能な仕様だ。推理小説ならば読み進めれば探偵が犯人を見つけてしまうし、ファミコンで発売されていた推理AVGの多くはコマンド総当りで突破することができたり、バッドエンドがあってもせいぜい一つや二つだ。かまいたちの夜のように多種多様な悲劇が用意されているわけではない。さらにはかまいたちの夜では犯人の見つけ方すら3パターン用意されていて、それぞれ別のエンディングに向かうようになっている。「犯人を見つけただけではゲームは終わらない」ように、プレイヤーが飽きない工夫がされているのだ。


 そんな素晴らしいかまいたちの夜だが、難癖をつけるところがないわけではない。犯人を突き止め、その犯行を自白させるためのトリック見破りの箇所は二択の選択肢を連続して選んでいくだけのものなのだ。これでは根気さえあれば本当にトリックを解いていなくてもエンディングを見ることができてしまう。というか、あの頃の小学生中学生は犯人の名前をネタバレで聞いてしまい、そこから選択肢を選びまくることでエンディングを見ていたというのが主流なのではないだろうか? 私は無論そういうタイプの子だった。この仕様はそんな推理小説に不慣れな子でもせめてエンディングを見ることができるような救済措置ではなかったのだろうか。


 この「微妙に推理しきれていない仕様」は続編「街」でも引き継がれる。推理小説の顔はずいぶんと引っ込み、主人公同士のほんの些細な交差を描いた作品となった(それはそれで名作であったことは言うまでもないが)。ナンバリング作品であるかまいたちの夜2においてはバッドエンドは分岐の一つとしてしか用意されておらず、犯人指摘は物語の最後でノーペナルティの選択式である。とにかく全部選びトリックどころか犯人すらわかっていないプレイヤーでも犯人を見つけ出すエンディングを見るようになった。そのかわりサブシナリオが多数用意され、それを楽しむような仕様になっている。「ゲームならではの推理を働かせる推理要素」は進化を止め足踏みを続けているようであった。

 その状況が打破されたのは逆転裁判である。この作品は今までの宿題をすべて片付けたゲームデザインが施されている。場所は裁判所。主人公は弁護士、依頼人は無実で証人の中に真犯人がしれっと混じっている。真犯人が述べる証言には必ず嘘が混じっているため、今までに出た証拠や証言を突きつけ矛盾を指摘していくのだ……このゲームデザインかまいたちの夜を超えたのだ。
 主人公成歩堂龍一は決して超人的な観察力を持つ探偵ではない。プレイヤーと同じように頭を抱え悩み、人に助けられ、ともに真実に歩んでいくようなそんな弁護士だ。プレイヤーが真犯人の細かな矛盾に気づきそれを指摘するのと合わせて成歩堂はリアクションし、異議あり!」と声をあげて真犯人を糾弾する。最初こそは余裕を見せている真犯人が、だんだんと追い込まれ、BGMが変わり、そして最後の最後、動かぬ証拠を突きつけることで真犯人は倒れ無罪判決をもらう……。


 逆転裁判が行ったのは「推理の小出し」だ。事件は大きなトリック、恐ろしい陰謀などで全容が見えないようになっている。それは成歩堂も一緒だ。その全容の外周部で証拠探しをし、小さなほころびを発見する。指摘することで生まれる新たな矛盾を他の証拠品で新たに突く。それを繰り返すことで事件の全容がプレイヤーと成歩堂の前に現れる。これはつまりプレイヤーが迷わないように導くガイドラインとして作用しているということだ。こうしてすすめることで推理小説に不慣れな小学生中学生でも頑張って自力で謎をとき、ゲームをクリアできるようにしている。ゲームならではの「推理の楽しみ」の再構築を逆転裁判は完璧な形でやってのけたのだ。


 2001年にGBAで発売された逆転裁判は人気作品となり、2.3と発売されシリーズ化された。プラットフォームをDSに移し4も発売されたころには完全に人気シリーズとしての評価と売上を確立した。市場には逆転裁判フォロワーが次々と生まれた。生まれたのだが評価と売上は散々なものも多かった。


 そんな潤沢な逆転裁判フォロワーの中に、一つ輝く原石のような作品が存在する。今回の記事は有罪×無罪である。(ここに来るまで2000字使ってしまった)




 有罪×無罪は2009年、バンダイナムコから発売されたゲームである。逆転裁判フォロワーの通り舞台は裁判所である。しかし主人公はあくまで陪審員であり、弁護士や検事、そして被告や証人の話を聞くことで無罪か有罪かを決めるという立場だ。被告が本当に無罪なのかどうかはわからない状態であり、自分の投票や質問で被告の有罪と無罪を、有罪であった場合は量刑や執行猶予の有無が変わってくるという塩梅だ。

 このゲーム、弁護士や検事、裁判官の監修を受けており実際の裁判の流れに近いかたちでゲームが進んでいく。検事の主張、弁護士の反論が冒頭陳述で述べられ裁判官と陪審員とで評議を行い中間決議を得て証人尋問が行われ実際に被告人に質問を行い、そして最終評決がくだされる。

 プレイヤーが行えることは質問と指摘である。陳述や証人尋問の際に浮かんだ疑問をメモしそしてそれを質問のときに証人や被告人にぶつける。それにより新しい証言が生まれるが、これを評議の際に集め適切な形にかためて「指摘」することで新しい事実を発見することができる。


 
 こうして並べてもいまいち腑に落ちないかもしれない。実際のゲーム内容に沿って解説してみよう。
 事件内容は火事による一名死亡。火事は家庭用のコンロが発生源。被害者は二階にいた70才の女性。この女性は睡眠導入剤を飲んでおり火事に気がつくこともなくそのまま一酸化炭素中毒により死亡した。火事の直接的原因となったのはこの家に嫁として嫁いできた27歳の女性。彼女が一階の台所に火をつけたままの天ぷら鍋を放置したため火事がおき、それによって姑の女性が亡くなったという事件。

 検察は姑が飲んでいた睡眠導入剤が嫁に処方されていたものであるという点、台所に設置されていたはずの火災報知器に細工がしてありならないようになっていた点、姑がいわゆる嫁いびりをするタイプの人間であったという点から「故意に火事を引き起こした殺人事件」だと指摘する。弁護士は反して検察が指摘した嫁いびりというものが極めて些細なことであったということ、睡眠導入剤は姑が自ら夜眠れないから分けてほしいと言い出していたこと、火災報知器に細工をしたのがそもそも被告人であるという証拠が何一つないことを反論する。

 これらの論点は「ファクター」として取り扱われ、各ファクターごとに陪審員たちが話し合い、有罪に思えるファクターか、無罪に思えるファクターかに振り分けていく。嫁と姑の仲はどれほど悪かったのか、睡眠導入剤は果たして飲まされたものか姑が自ら飲んだものか、火災報知器に細工をしたのは果たして誰だったのかを議論していく。
 被告人は義理の母を殺そうとした鬼嫁なのか。それともただ自分のミスで失火を招いてしまっただけの善良な市民なのか。


 火災報知器を取り付けにきた業者や隣人が証人として現れる。間違いなく火災報知器は事件の二日前に点検が行われ正常に稼働していたこと、事件の前日に台所に不審な白い煙がもうもうと立ちこもっていたにもかかわらず火災報知器がなっていなかったこと……などが証言として提出される。


 こうした証言と現場の写真、被告が購入したレシートなどを精査すると新たな事実が浮かんでくる。
 現場から歩いて5分の店に天ぷら油を買いに行ったはずの被告のレシートを確認すると、なぜか25分も遅れてレジで油を買ったことになっている。事件前日、被害者が購入したレシートのなかにこれまでの裁判の流れを全部ひっくり返すような代物がしれっと混じっている。
 こうした事実を発見し「指摘」することで、評議の流れは大きく変わる。一度有罪や無罪として扱われていたファクターを見る視線がかわることでそれがひっくり返る。

 これらの事実の再確認と指摘、そして評議を終えた後結審が行われる。判決が述べられたあと物語は終わり、そしてプレイヤーが指摘した事実の数にあわせて「真相究明度」が表示される。これを100%にするのがプレイヤーの最終目的であるが、その上で判決を左右できるのがこのゲームの肝だ。真実を暴くことが目的であった逆転裁判よりも、その先をいくように心がけたゲームデザインであるといえる。
 実はこのゲームの発売日は2009年5月21日、現実の世界においても陪審員制度が施行された日である。興隆した逆転裁判型フォロワージャンルと、話題になった陪審員制度を重ねてうまいところ時流に乗ろうとした作品である。しかし完成度の高さはいわゆる「二匹目のドジョウを狙った」だけではなく優れた裁判推理ゲームを世に生み出そうとするスタッフの気合の入りようが見て取れる。




 そしてこのゲームの真骨頂は最後のストーリー、第四話にある。

 
 これまでの物語は言ってしまえば裁判の枠の中で行われるものだ。被告は鬼嫁なのか、善良な市民なのか。大学教授は自ら青酸カリを飲み自殺したのか、それとも保険金目当ての妻の策略により飲まされてしまったのか。主人公の指摘により事実は明るみになるが、主人公はあくまで陪審員だ。事件が終わってしまえば無関係な一般市民という立場に戻る。


 しかし第四話は最後のストーリーにふさわしい構成を行っている。裁判はそれまで通りに行われる。隠された事実が暴き出され被告が殺人を行ったのか、そうではないのか真実がわかる。そして判決が言い渡され裁判が終了し裁判所から出たあと、主人公はふとしたことでその裁判の、事件の奥底に潜んでいた「吐き気をもよおす邪悪」の存在とその証拠にふれるのだ。そしてそこまで行っていた裁判の根底がひっくり返り事件の全くの別の顔、真実を見てしまう。真の邪悪は裁判を受けることなく、そしらぬ顔をして去っていくのを見せつけられる。
 愕然とする主人公。自分はこのまま何もすることができないのか。日本の司法制度はこの邪悪を裁くことができないのか。……その時現れたのが今まで裁判を通じて絆が出来上がった裁判長だった。裁判長はその様子を遠目で見ていた。証拠も直接的に見たわけではない。しかし主人公が証言することでそれを裁判に持ち込むことはできる。そう、主人公が証人となることで奴を裁くことができるのだ! 首を洗って待っていろ! ……裁判推理ゲームにあるまじき「俺たちの戦いはこれからだ」エンドで、このゲームは終わる。


 主人公はあくまで事件とは直接無関係な陪審員である。……そのフォーマットを破りにかかった素晴らしい展開だ。プレイヤーのテンションの落差は表現し難い。裁判を無事終えほっとしているところに急激の真相が突きつけられ無力感に襲われたところで裁判長の助言、血が沸くような展開にテンションが最高潮にあがったところでスタッフロールが流れるのを見ることになるのだ。
 このゲームは続編を作るべきだ。作らねばならない。あの真の邪悪に有罪判決を突きつけてやるまでこのゲームは真のエンディングを迎えたことにはならないのだ。(ただしそれをやるにはゲームシステムの大幅な変更が必要となって続編の意味がなくなるわけだが…)

 このゲームの発売から10年。続編の話は一向に聞かない。しかしこのゲームをこのまま埋もれさせておくには惜しい。是非このレビューを読んだ方々には実際にプレイしてもらい、最後の最後の形容しがたき悪に対する感情を湧き上がらせてもらいたい。

 なお、10年前に発売されたソフトではあるがいまだに公式サイトは運営中である。体験版に触れることもできるのでブラウザのフラッシュを許可してから是非覗いてみて欲しい。

yuzai-muzai.namco-ch.net