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『神ゲー』アクトレイザーについて語ろう

 ファイナルファンタジーシリーズの偉大なる作曲者、植松伸夫は言った。「『アクトレイザー』の楽曲は業界内で一つの"事件"だった」と。スーパーファミコン初期タイトルでありながら、驚くべき音質と楽曲を兼ね備えて現れた『アクトレイザー』は、プレイヤーと業界と、双方に強い衝撃を与えました。もはや異口同音にこのことは語られており、あえて私が深く言及する必要が感じられないので、別方向からのアプローチを行いたいかと思います。今日は巻きでいきますよ! はい、今回のテーマはSFC初期の名作、『アクトレイザー』です!

 このアクトレイザー、主人公である神の分身を操作して、魔物たちを撃破する横スクロールアクションゲームと、天使を操作して人々を魔物から守り街を発展させていくクリエイションモードとの2つで構成されていることは、よく知られているかと思います。有野の挑戦でとりあげられたこともありますし、Wiiバーチャルコンソールでもかなり初期から登場した作品でもあります。元々の知名度も高い作品でありますから、各所ブログにて散々取り上げられたことですし、プレイしたこともある人も多数いる作品です。
 そんな作品でありますから、「今更音楽がいいとか言われてもなぁ」と思う方もおられるかもしれません。なので私はこの度、少し違った視点でこの作品を解説したいかと思います。

 このゲーム、日本においては豊富なイベントが練り込まれたクリエイションモードが評価のポイントであり、独特の操作性を持つアクションモードはどちらかといったらあまり評価されてきた、とは言い難いところがありました。海外ではむしろ逆であり、それが原因で続編アクトレイザー2において、クリエイションモードがなくなったとされています。
 さて、そのアクションモード、具体的にどのようなところが独特の操作感なのでしょうか。ジャンプ後の方向制御は非常に弱く、ダメージを受けた後の無敵時間はかなり短いです。剣を振ったリーチは短めで、しゃがみ攻撃をするときはリーチが伸びますが、隙が大きくなり、かつ上方への攻撃範囲は減ります。横スクロールで先に進んだとしても雑魚敵が消失する、ということがありません。なので「体力ゲージに物を言わせたゴリ押し」戦法は通用しません。そのため必然的に出てきた雑魚敵を逐次的確に倒していくことが求められます。このことに気がつくまでは、やられ放題にやられてしまうので、「高難易度」と呼ばれる原因の一端になっています。
 救済措置としては魔法の存在があり、いずれも強力で、ボス戦に至っては「魔法連発でなんとかなる」というところまで助けてくれます。ところがこの仕様も罠になっており、最後、魔王サタンとの決戦の手前では、今までのボス6戦をくぐらなければならないようになっており、魔法に頼った戦略は途中でガス欠になるという状況に陥ります。必然的にボスのパターンを読み切り、如何にダメージを受けず、的確な処理ができるかを求められるようになります。

 最終的に頼れるのは己自信の力量。自らの操作で神の力を振るい、敵を倒していくのです。

 そして魔王サタンとの決戦なのですが、ここで一つ不可思議なことが起きることを、このゲームを楽しんだプレイヤーは気がつくことでしょう。本来パワーアップアイテムを取らないと出てこない剣の衝撃波が、魔王サタンとの戦いに於いてだけは常時使える状態なのです。このパワーアップアイテム自体非常にレアで、本編通じて一つしか出てこないアイテムでかつ、とても強力です。そんなアイテムを取った状態に、神は自らの意思で自由になることができる、という推察がなりたちます。ではいったいなぜ、神は普段この力を封印しているのでしょうか?
 ストーリーを振り返ってみましょう。神はかつて、魔王サタンとの戦いを続け、その力が拮抗した状態で平和を保っていたのです。しかし魔王サタンは6体のしもべを作り出し、それを連れて神に戦いを挑みました。サタン単体とならば拮抗している力は、6体のしもべの出現によりバランスが崩れ、神は敗れ去りました。敗れ去った神は一時天空城へと戻り、そこで傷ついた体を癒やしながら、数百年の時を得て、魔物に支配されてしまった地上を取り戻すべく戦いに戻るのです。
 まだ力の戻りきらない神は、地上に人々を導き、増やすことで信仰心を得て、かつての力を取り戻していきます(それがクリエイションモードです)。そして最高レベルにまで達したとき、天使はこういうのです。「かみさまは もう じゅうぶん もとの つよさを とりもどしたようですね」と。
 そうです、このゲームでは、最高レベルに達したとしても、それはあくまで「もとのつよさ」が限界なのです。それなのに再び6体のしもべと、魔王サタンとの決戦に趣き、勝利をしなければならない……。神はそのことを知っていたはずです。だからこそあえて自らが振るえる力を制限し、最後の最後、魔王サタンとの決戦まで封印し温存したのでしょう。そしてついにやってきた魔王サタンとの戦いで、はじめてフルパワーの己の力を開放した……。このゲームの裏のストーリーはこういうふうに読み解くことができるのです。
 そしてそれをなし得たのは、もうひとりの存在、プレイヤー自身です。操作性に四苦八苦し、マラーナの触手にもがき苦しみ、魔法を使うタイミングを考えながらサタンへの決戦に向かうプレイヤーのプレイスキルの向上がなければ、神はかつての戦いのように、サタンに敗北してしまったことでしょう。そう、敗北する未来から神を救ったのは、別世界のプレイヤーなのです。プレイヤーの助力により、神は神としてさらに高みの存在へと昇華することができたのです。

 よく「神ゲー」を挙げる話題に本作が(半ば冗談、半ば本気で)語られることがあります。神を操作することができるから神ゲーと。しかしこういったストーリーを組んでゲームを見つめ直すと、アクトレイザーは「人の力をもってして、神を超えることができる神ゲー」といえるのではないでしょうか?

容量と戦った、とある天才ゲームクリエイター -スナッチャー CD-ROMantic-

 皆さん、ファミコンソフト、「ドラゴンクエスト1」の総容量はご存知でしょうか? 64KBです。一時期は「携帯電話の壁紙一枚分」なんて言われたものですが、今や高解像度が進んだスマホでは壁紙にもなりません。ちょっと調べたら私の使ってるPCの、修復インストール用デバックテキストファイル「bootstat.dat」が66KBでした。だいたいそれくらいです。
 この容量とのギリギリの戦いは、名作漫画「ドラゴンクエストへの道」でも描かれています。あまりに容量が少ないために、カタカナのフォントを全部入れることすらできなかった状況下、それでも見事な良質RPGを作り上げた堀井雄二と、中村光一は、まさしく天才の称号を与えられるべきでしょう。
 容量との戦いはその後も続きます。ファミコンメガドライブはカードリッジ、PCエンジンはHuカードと、媒体は違えど毎年容量の増えた新型が投入されるのに、それでもまだ容量が足りない! という状況で開発者は湧き出るアイデアと裏腹に、涙をこらえつつゲームを作っていきました。ドラゴンクエストでいえば1(64KB)→2(128KB)→3(256KB)→4(512KB)と倍々ゲームで増えているのですが、3ではついにOPを削除する羽目になり、最も容量が多い4ですら、容量不足の原因で本来のストーリーから削られた要素が多かったといいます(ピサロが仲間になる、というPS版で追加された要素は元々のファミコン版の構想時点で存在していたという)。


 そんな容量との戦いは、とあるインターフェースユニットの発売によって、一気に転換することになります。皆さんご存知の「CD-ROM」、これが1988年末、PCエンジンの周辺機器として登場しました。1988年発売のドラゴンクエスト3で256KB、対してこのPCエンジンCD-ROM2システムでは540MB、1000倍以上の容量が扱うことができました。これにより、コンシューマゲーム機の容量問題は解決するかに見えました。………はい、見えただけです。とにかくコストがかさむことがCD-ROMの普及を妨げました。何しろ本体とは別に別途合計60000円オーバーのインターフェースユニットを購入する必要があったのですから。即、CD-ROMに移行しようという流れには、ユーザーも、ゲームメーカーもならなかったのです。
 そんな価格面での普及の問題はさておき、開発者側から見てCD-ROMはとても魅力的なものに見えたはず……では、なかったのです。いったいCD-ROMのどこに、問題を感じたのでしょうか? 読み取り速度? バッファメモリ? 確かに問題はそこにもありましたが、大きなものが一つ他にあったのです。そう、「容量」です。
 『お前は何を言っているんだ?』と思われるかもしれません。CD-ROMは当時のカードリッジの1000倍以上の容量があったはずでは? と。そうです。最大の問題は「それだけ容量があると、何にどうやって使って良いのかわからない」状態になってしまったのです。当時の広告ではCD-ROMの容量を「ドラクエ2が1000本入る!」と打ち出しました。なるほど、確かにそれは実現可能でしょう。では一体、だれが1000本分のドラクエ2を作るのでしょうか? 堀井雄二中村光一という天才二人が一年間取り掛かって出来上がったのがドラクエ2です。それを1000本分…となると、想像を絶する開発規模になることが目に見えています。
 しかしそんなCD-ROMの弱点を、すぐに(主にハドソンの)開発陣が克服していきます。CD-ROMの大容量を活かすために、音楽を生音源で録音しました。画像取り込みで実写も使えます。声優の声を長時間録音することも可能です。アイドルとバーチャルデートするゲームが出来上がり、面クリア時にムービー再生が入るアクションゲームが出来上がり、そして、声優がキャラを演じ、坂本龍一がメインテーマをかきあげたRPG天外魔境」で、その容量問題の一つの答えが出ました。グラフィックと、音楽と、音声とが、急角度で進化したのです。
 そしてそれは同時に開発者にとってまた新たな問題を出されたことと同じでありました。「このなんでもできる大容量のCD-ROMで、己のセンスを表現する」ということです。グラフィックと、音楽と、音声と、シナリオと、ゲームデザインと、ありとあらゆるところでセンスが問われるようになりました。なんでもできるCD-ROMはプレイヤーに夢と驚きを与えました。それと同時に、厳しい選定眼をプレイヤーに与えてしまったのです。

 開発者たちはCD-ROMという大容量に戦いを挑みました。苦しめられた開発者も多かった中(そうして出来上がったゲームは、今度はプレイヤーを苦しめました)、飛び抜けた才能を持つ人らのそれが、名作として世に登場しました。ゼロヨンチャンプ2がそれでありますし、今回語るゲームである、スナッチャーCD-ROMantic-も、そうであります。スナッチャーの開発者は小島秀夫。そう、後にメタルギアソリッドシリーズで世界に名を轟かせる、小島監督です。


 さて、PCエンジンスナッチャーの解説を始める前に、この「スナッチャー」という作品自体の解説が必要になります。元々はPC88やMSX2で発売されたアドベンチャーゲームです。いくつかあるコマンドを選択し、人と会話をしたり、場所を調べたりして、いつの間にか人とすり替わるバイオロイド、スナッチャーの正体を暴くため戦いを挑む、サイバーパンク・アドベンチャーで、近未来でスタイリッシュな場所と、みすぼらしい人たちでごった返すスラムとが同居している独特の世界観(小島監督ブレードランナーから影響を受けた、と明言しています)が売りで、スナッチャーとは一体何者なのか、そしていったいどこから現れるのか、眼の前にいる人間は本当に人間なのか…。奴らの正体の謎を解き、そして記憶喪失の主人公ギリアン・シード、彼自身の謎も解いていく、というゲームです。
 そうしたハードな雰囲気とは裏腹に、主人公ギリアンは意外に饒舌家で、相棒であるメタルギアMKⅡ(MGS4に出てきた同名のそれと似てる、AI搭載のミニロボットです)とボケとツッコミのかけあいをしてプレイヤーを楽しませてくれます。基本的に昔のアドベンチャーゲームらしさの、コマンド総当たりで物語が進んでいくのですが、とにかく会話のパターンが豊富で、飽きることがありません。なにもないところでも、なにか新しい会話が出てくるのではないか? とプレイヤーに思わせ、さらに探らせようとしたくなる仕掛けとなって作用しています。個人的には自宅でトイレに入ると便座機能で体調確認ができるので、それを使ってみようとするギリアンと、結果にメタルギアが驚き、「どうしたメタル!?」→『死ぬほど健康です』という掛け合いをするのがツボにはまりました。

そんなスナッチャーなのですが、PC88やMSX2というパソコンで発売するにあたって問題が生じました。そう、容量問題です。小島監督の本来出すべき構想ではあまりにボリュームが多すぎて、会社からの承認が得ることができませんでした。PC88ではフロッピー5枚組、MSX2版でも3枚組という多さでも、本来Act5まであった構想は大幅に削られ、Act1と2のみ、という未完成品として発売されました。そして後半もあまりに長くなった開発期間により、会社から打ち切りの指示がくだされてしまったのです。物語としては一つの山場を迎えることはできたものの、スナッチャーの正体やそれを作り出した犯人は謎のまま、ストーリーは終わってしまいました。
 小島監督ら、開発陣は強い無念を抱いていたと後に語っており、その後にMSX2にて「SDスナッチャー」が発売されることになりました。これはAct3の要素を組み込んだリメイク作品で、これによってようやくストーリーは完結する流れになりましたが、これはアドベンチャーゲームではなく、RPGとして仕上がっています。従来のアドベンチャーでは、どうやっても容量問題が邪魔をして完全版が作れなかったのだろうと思います。
 そして、SDスナッチャーから二年の1992年、ようやく普及しはじめてきたPCエンジンCD-ROM2にて、スナッチャーCD-ROManticは発売されました。名前の通り、CD-ROMであることを売りにし、その大容量を存分に使った作品に仕立ててきました。容量問題はCD-ROMにより解決しました。しかしその反対の問題点、「大容量すぎる容量をいかにして駆使するか?」に対して、小島監督はどう立ち向かったのでしょうか? 実際のOPを見ながら小島監督の答えを聞いてみましょう。
 
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 開幕の注意書き、そして挑戦状とも思える字幕、続く声優によるナレーションとアニメーション。歴史を語る流れが次第に謎の侵略者スナッチャーのことへと変わっていき、不可思議な存在、スナッチャーの謎と恐怖を掻き立て、タイトルロゴの登場。そしてそこからオープニングテーマが始まり、スタッフロールの後、主人公ギリアン・シードの話へと焦点が合っていく……。元々のPC88版でも似たような構成になっていたのですが、PCエンジン版ではCD-ROMの大容量を活かした演出の強化がなされています。映画的手法を導入した初の作品として、このスナッチャーは挙げられることが多いのですが、PCエンジン版で強化された結果、映画的手法を超え、まさしく映画同等の演出を得ることができたといえるでしょう。プレイヤーは、これにより完全に心を掴まえられるのでした。
 小島監督のセンスはそれに留まりません。そこまでしてがっちり掴んだプレイヤーの心を、今度は振りほどくような真似をします。背景にあるのはパチンコの「パ」の字が消えているネオン(実はヒントにもなっている)。流れているCMに書いてある電話番号にかけると実際にかかったり(もちろん本編と全く関係はない)、スーパーコンピュータ、ガウディの検索機能を使ってスタッフの名前を検索するといろいろと出てきたりと、本格的サイバーパンク世界観に酔いしれながらも、一方で小島監督の遊び心溢れた脇道を楽しむことができるという体験ができるようになっています。CD-ROMにしたおかげで容量はあまりに余っています。こういった脇道的オマケ要素はPC88、MSX2版よりも大幅強化されました。スタッフの奥さんのDNAの本数を聞いてくるクイズも搭載されています。
 そして何より容量増加の恩恵を受けたのはやはりAct3の存在でしょう。Act3ではすべての謎が解かれ、スナッチャーとは何者なのか、誰がそれを作り上げたのかが解明されます。(Act4と5はこれ以後の、エピローグ的要素だ、との事)。主人公ギリアンと相棒メタルギアMK2が首謀者のいる場所へと乗り込み、陰謀を阻止しようとしたところで繰り広げられるのは、なんと首謀者本人による20分に及ぶ独白! そこからエンディングまで、ノンストップで独白+ムービーは流れ続けるのです。
 ゲームというのは双方向性があってこそのものだ。20分コントローラーを操作する必要がないゲームなど、果たしてゲームといえるのか? 映画ではないのか? こういった批判は当時でもありました。しかし考えてください。ゲームというものは、プレイヤーに驚きをもたらしてこそです。最後の最後でゲームが映画になったこと自体が、驚きではなくてなんでしょうか。OPの五分の映画的手法でがっしりと心を掴まれたことを、エンディングで再現したわけです。映画から始まったゲームは、最後、映画として幕を閉じたのです。そのダイナミックな動きこそ、まさしくゲームではないでしょうか。そしてそれを実現したのは、CD-ROMという媒体と、小島監督の持ち得る卓筆したセンスの合わせ技でした。


 最後になりますが、「小島監督」と呼ぶことに触れなければならないと思います。この呼称に忌避感がある人もいるかと思います。「ゲームを作ってる人は映画監督ではない」という批判もあり得ると思います。しかし私はあえて、小島秀夫という人物には「監督」が付くことになんの問題もない、と主張したいです。ゲームと映画を結びつけた、最初の人物なのですから。小島監督は間違いなく、卓越したセンスを持つ天才ゲームクリエイターです。その彼が生み出したセンスの結晶体、スナッチャー-CD-ROMantic、ぜひ皆さんプレイしてみてください。

「めでたしめでたし」の先のお話と、ロマンシング サ・ガ2について

 桃太郎の最後は「鬼退治を終えた桃太郎はおじいさんとおばあさんの元へと帰りました。めでたしめでたし」です。
 一寸法師の最後も「鬼退治を終えた一寸法師は打ち出の小槌で大きくなり、娘と結婚して暮らしました。めでたしめでたし」です。
 ドラゴンクエスト1のエンドも、2のエンドも、「魔王は打倒され世界に平和が戻りました。めでたしめでたし」です。ドラゴンクエスト3ではラスボスであるゾーマが次なる魔王の復活を示唆することを最後に言い残しながら死ぬけれども、主人公たちが1の主人公の祖先、ロトであることがわかり、「たとえ次なる魔王が現れても、子孫が戦い勝利する」物語であるとわかって完結するというもの。
 私のブログの読者なら「そんな教科書レベルで知られている事柄を並べていったいどうしたんだ?」と思うだろうけれど、さて皆さん、2のラストのあと、邪神シドーを打倒したあとの話はご存知ですか? そこそこ知られている事実ですが、実はGBA用ソフト「ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート」にて描かれています。2の数百年後の世界が舞台のこのゲームでは、なんと2で登場しているロトの子孫の国、ローレシアサマルトリアムーンブルクの三国は全て滅んでいます。ローレシアサマルトリアの王子二人はシドー討伐後、しばらくで行方不明になっており、ムーンブルクも再建されたものの、再度滅亡してることがわかります。
 なぜこのような事態になってしまったのか? それを補足している作品があります。ドラゴンクエストモンスターズプラスという漫画にてこれらについて詳しく描写されてます。
 2のラストにて、復活したバズズが世界に不信をばらまいた。「破壊神が倒されたということは、それよりもさらに力を持ったものが生まれたのではないか?」というもの。おかげで人々から恐れられ孤立するローレシアの王子。「破壊神を破壊した男」という名を与えられ、そして自分から姿を消した……というもの。この漫画自体最高に面白いので、ぜひ皆さん読んでみてください。
 物語のラストは「めでたしめでたし」。けれど、果たしてその物語の先は、ハッピーエンドが続くのでしょうか? 「めでたしめでたし」で終わっていいのか? この疑問に対してすでに一つの答えを提示した作品があります。1993年にスーパーファミコンにて発売された名作RPG、「ロマンシング サ・ガ2」です!

 名作RPGとして名高いこのゲームですが、その肝は戦略性の高いバトルシステムと、どのイベントをスタートさせてもよいフリーシナリオシステム、そして個性豊かな七英雄といった要素であり、ストーリーはどちらかといったら、そのゲームプレイの彩りをつけるフレーバー的な扱いをされることが多いかと思います。(発売当初にはかなり賛否両論だったそうで)それもそのはず、このゲームのストーリーは、表面上は「かつてモンスターを退けた七英雄が復活したけれど、人間も襲ってきたので皇帝が伝承法(皇帝の記憶と能力を、次代の皇帝にそのまま引き継ぎさせる術)を使って強くなって反撃する」というものでしかないのです。これはフリーシナリオシステムを採用しているため、従来の一本道RPGのような大きな起承転結で構成されるストーリーは作りようがないためでしょう。
 そのかわり、七英雄のキャラクター性は強く押し出され、各地のイベントが物語を盛り上げるための起承転結を構成しています。その結果、「七英雄を打ち倒すまでの歴代の皇帝と帝国の激しい攻防記」というストーリーが出来上がっていくのです。
 そして最後、見事強敵七英雄を倒した最終皇帝は、退位し、帝国は共和制へと移行し、最終皇帝は次第に忘れ去られ、詩人が歌う唄の中の存在へと変わっていくのでした。しかし一人寂しく酒場に佇む元皇帝の元に、かつての仲間たちは訪れるのでした。そう、人々は忘れていても、仲間たちは決して皇帝のことを忘れてはいないのです。めでたしめでたし……。
 ロマンシング サ・ガ2はこのようなエンディングを迎えます。ちょっとお待ち下さい。貴方は不思議に思いませんでしたか? 「なぜ最終皇帝は退位せねばならなかったのか?」。それを読み解くには、すこしばかり苦労します。実はこのゲーム、七英雄の背景をかき集めると、同じエンディングなのに違った顔を見せるようになります。そもそもなぜ、かつての英雄たちは人間たちを襲うようになったのでしょうか?

 皇帝に伝承法を伝えたのは、占い師オアイーブ。しかし伝承法を伝えた数千年後の世界においても、オアイーブはその姿を保ったまま皇帝の前に姿を表します。いったいなぜ? その時、オアイーブは真実の一端を語りだします。

 かつてこの世界は、古代人が支配していました。気象や地形すら自在に操ることができた彼らは、ついに寿命すら克服することに成功した。「同化の法」。自分の魂を他の体に移すことで永遠に生きることが可能になったのだった。そしてそれに使う他の体とは、彼らが奴隷用として使っていた短命種……つまり今の皇帝たち、普通の人間。
 そんな古代人たちが次に恐れたのは、寿命ではなくモンスター。モンスターに襲われればいくら寿命がない彼らでも死が訪れる。そんな中、立ち上がったのが七英雄。彼らは同化の法を改良し、モンスターと融合してその力を吸収することで、より強くなり、モンスターと戦い続ける。七英雄は、本当に英雄だったのです。
 しかし強大になりすぎた力が、倒すべきモンスターを倒しきった時……古代人に向けられてしまったのです。そう、七英雄はまさしく、「モンスターを超えた力を持つ者」になってしまったのです。七英雄を恐れた古代人は、次元の転送装置を作り上げ、それにより七英雄を別の次元へと追いやってしまいました。それと同時に巨大な天変地異が起こることを予期し、古代人の多数はその転送装置にてまた別の次元へと逃げ込みました。オアイーブ含む、少数の古代人一派を残して。
 古代人の多数がいなくなり、かつ天変地異を襲ったことでこの世界の支配者はかつて奴隷であった短命種……皇帝たちの種族に映りました。彼らは別れ、国を作り上げ、それぞれに文化を作り上げました。オアイーブ一派は彼らを飛ばしてしまった責任を感じ、あえて次元を飛ばす、そのまま辺境に静かに隠れ住み、存在を歴史から消そうとしています。いずれ彼らは、この世界へ戻ってくるのだろうから。
 そして世界に、再び七英雄は帰ってきます。次元を超え、自分たちを裏切り、ないがしろにした古代人へ、復讐するために。彼らはもはや英雄ではなく、復讐鬼へと堕ちていました。しかし復讐すべく古代人はすでにこの世界におらず、別の次元に逃げ込んでいました。彼奴らを追いかけるために七英雄は各地に散らばり、情報収集をすることになります。その際、かつての奴隷、短命種に被害が出ようとも関係ありません(それどころかクジンシーやボグオーンあたりは完全に世界征服を企んでいる)。オアイーブはそれを見て決心します。
「今の彼らは7ひきの
モンスターでしかありません。」

「私たちは彼らに殺されても
仕方ありません。」

「しかし、あなた方に罪はありません。」

「あなた方には身を守る
権利があります。
ですから、その手段として
伝承法をお教えしました。」

 数年年の時を超え、オアイーブは初めて自らの真意を皇帝に語ります。自ら七英雄をモンスターにしてしまった罪、それを贖罪する中に、短命種を巻き込んではならない。伝承法はかつて七英雄が自らに施した同化の法の、短命種用へ調整された改良版であったのです。しかしそれにも限界があり、いわゆる「最終皇帝」で、伝承法は最後となります。その最後となった皇帝は、見事七英雄の最後と、彼らの本体を打倒し、七英雄を完全に葬り去ることができました。めでたしめでたし……。そう、ここでようやく上記の話とつながるわけです。七英雄の背景を見たあと、最終皇帝が取った行動をみるととても腑に落ちる動きになっていると思いませんか?

 七英雄はモンスターを超える存在になり、モンスターを打倒したあと……自らがモンスターへとなっていってしまいました。最終皇帝は七英雄を超える存在になってしまい、七英雄を打倒します。最初こそは真の英雄としてもてはやされることでしょう。しかし直に、それは恐怖へと変わることでしょう。……ローレシアの王子を恐れた人々のように。最終皇帝はそれを知っていました。オアイーブの言葉から、戦った七英雄から。自らモンスターとなることを封じるために、彼は皇帝の座を退いたのです。そして民衆の記憶から忘れ去られることを、自ら望んだのです。それが平和を永らえる道だと信じて。
 エンディング、無人の酒場で皇帝は静かに酒を飲みます。思い浮かぶのは今までの皇帝の記憶。彼らと共に戦ってきた仲間たちの幻影。長い長い戦いの歴史を1人抱きしめながら孤独の人生を歩むのです。……いえ、孤独ではありません。かつての仲間たちが皇帝たちの元へ、再び訪れました。そう、人々は忘れていても、仲間たちは決して皇帝のことを忘れてはいないのです。めでたしめでたし……。
 
 最終皇帝が選んだ手段は自己犠牲を含んだものであり、かつかつての七英雄の悲劇の歴史を学んだものであるといえます。一度エンディングを迎えたあとのストーリー。その後に生まれた悲劇を、二度と起こさないように選んだ最善の道でしょう。人は歴史に学びます。たとえそこから悲劇が生まれたとしても、人の記憶はそれを乗り越えることができる……。ロマンシング サ・ガ2のエンディングは、いわば二度目の、真のエンディングと言えることでしょう。そんな自己犠牲をした最終皇帝のもとにも、ちゃんと仲間は集うのですから。
 そう、ドラゴンクエストモンスターズプラスのローレシアの王子も、戦いのはて、かつての仲間と集まり救われることができました。共に戦った仲間がいること。彼らとのつながり、それがあるからこそ「めでたしめでたし」でお話を締めることができるのではないでしょうか。

高橋ソーカントクの言葉に首を縦に振りすぎてもげた話と、「アルナムの牙」の話

 みんな働いてますか?(挨拶)
 さて、先日話題になった記事ですが、モノリスソフト開発スタッフを募集中とのことです。知らない人向けに解説すると、モノリスソフトとは任天堂の子会社で、RPGゼノブレイドシリーズ」を作っている会社です。中の人達も今までRPGをとにかく作ってきた人たちばかりで、取締役である高橋ソーカントクは元々旧スクウェア(現スクウェア・エニックス)でFFシリーズに携わり、ゼノギアスを作った人(ディレクター兼脚本家)であります。
 そんな彼が上記のスタッフ募集で凄いことを言っています。
ロールプレイングゲームの要はマップです。
>シナリオなどでは決してありません。

 しびれました。RPGを作り続け、脚本も作った男が言い放った重みのあるセリフです。そこまでやった男が「シナリオはRPGの要ではない」と言ったのです。あまりに感銘を受けたので首をぶんぶんと縦に振りすぎて頭がもげました。もげてないです。いややっぱりもげたかもしれません。
 そうです。そうなんですよ。シナリオはRPGの要にはなりえないんですよ。RPGで「飛び抜けて優秀なストーリー」だけど「平凡なマップ」「退屈なゲームバランス」であった場合、どうなるでしょうか? 一つ例をあげて解説しましょう。今回のブログのテーマは、1994年にPCエンジンスーパーCD-ROM2で発売された、「アルナムの牙 獣族十二神徒伝説」です!

 このゲーム、三人パーティで進み、主人公ケンブ以外の二人が入れ替わることで戦略性が生まれるオーソドックスターン制RPGです。主人公らは生粋の人間ではなく、半分獣の血を受け継いたような「獣人」で、その力を開放することで特殊能力を発揮する……というようなもの。ところが彼らはその獣人であるがゆえ、生粋の人間たちからは差別される立場であったりします。「卑しまれた者たち」として蔑まれる存在でありながら、同時に人間たちへの奉仕(肉叢という名のモンスターが各地に現れたので、それの退治を任された)を強要される羽目になります。
 主人公ケンブは自らの過ちで仲間たちを肉叢に殺されてしまい、それに対する復讐と自責の念により、奉仕へ向かうことになります。先々で向けられる人間たちの侮蔑の念。同時に「自分は人間だ」という意識と、強すぎる自らの獣の力。悩み、苦しみながら前に進み、そしてついにこの世界の真実、自分たちの存在の本当の意味を知るのでした……。という、ストーリー。
 このゲーム、94年とPCエンジンの円熟期を過ぎたあたりに発売されたのですが、それもあって恐ろしく美麗なグラフィックと、迫力あるムービー、上質なサウンドで構成されています。キャラデザはあの木村明広で、表情は多彩だわ格好いいわヒロインも可愛いわと高得点。そして先に述べたストーリーの完成度も高く、後半の怒涛の展開は結構な衝撃が続き、主人公ケンブの「俺は獣なんかじゃない。……人だから。だから、苦しみながら生きていかなきゃいけないんだ」というセリフで私は泣いていました。

 『ん? このゲームのことめちゃくちゃ褒めてない?』と思った皆さん、ちょっとお待ち下さい。このゲーム、致命的なのは「ビジュアル・ストーリー・音楽以外の全ての要素が全部駄目」ってことなのです! 
 例をあげましょう。このゲーム、バランスが崩壊しています。なにせイベントで手に入る最強武器よりも、その一個前に使ってた武器のほうが絶対に強いです。ロトの剣よりも炎の剣のほうが強いドラクエ1みたいなもんです。なんだそのバランス。
 敵とのエンカウント率は異常に高く、数歩歩いただけでエンカウント。また、敵とのレベル差によって逃亡率が大幅に減少する仕様なのですが、これがまた絶妙にずれていて『楽に勝てる相手なのだけど、レベル的には敵のほうが強いことになってて逃げるに逃げられない』なんてことに陥ります。怒涛のエンカウント率と相まってストレスの相乗効果を生み出します。
 そしてマップ! 基本ダンジョンは分岐点多数行き止まりに宝箱、かつ中身は薬草クラスというイライラっぷり! 分岐点が気になって戻って確認してもその労力が報われることはありません。このイライラ構成は最後まで一貫しており、スタッフの執念が垣間見えることでしょう。しかもなんとヒントとなる街の看板やセリフが間違っていることがあり、北と南、東と西が違っているという有様。さあ、迷子になっているうえにエンカウント率の高いフィールドでもがき苦しむがいい!
 また、悲劇的なのがCD-ROMの生産工程によりバグが発生したらしく、とにかく到るところにバグが眠ってるという悪夢。キャラ絵が入れ替わり、特定のスキルを使うとフリーズし、最悪の場合はセーブ一つなのにバグで進行不可に陥ってしまう可能性も(私は幸いにも発生しませんでした)。
 とにかく突っかかるところが多い点が災いし、「もう一度最初からプレイしたい」という欲求が起こらない仕様となっています。

 その結果、どうなるのでしょうか? 私は一度だけクリアしたことがあるのですが……なんと、ストーリーをさっぱり覚えておりません! いや、あの、感動したのは事実なんですよ。でもなんで感動したのか、さっぱりわからないんです。それでですね、それでですね! 「やりなおして確認しよう」って気にはさらっさらならないんですよ! 勘弁して下さいよマジで! 苦行みたいな代物ですよ! そんなことしてる暇あったらメタルギアサヴァイブのCoop行きますよ!
 ストーリーは覚えていないのに、ゲームバランスが苦行であったことは明確に覚えているという悪夢。ゲームにとってこれほど屈辱的なことがありますでしょうか。プレイヤーとしても結構屈辱であることは違いありません。
 今一度、高橋ソーカントクの言葉を思い出してください。ロールプレイングゲームの要は、ストーリーではないのです。マップです。上質なストーリーも、高品質なグラフィックも、澄んだサウンドも、核を固める要因にはなりえても、核そのものにはなれないのです。
 もし貴方が「このRPGすごく面白かったよ! 特にストーリーが感動もので!」といえた場合……それはストーリーが面白かっただけではないのでしょう。マップの構成が上手く、ゲームバランスも良好だからこそ、貴方は自信をもってそう言えたのではないでしょうか? 
 貴方がゲームのストーリーに酔いしれることができるその下で、ディレクターやデザイナーが全力を注いで作り上げたマップが、そのゲームプレイを支えているのかもしれませんね。

「読んでて苦痛だった作品でも、存在してはいけない理由には繋がらない」という結論を出すためにいろいろ考えた

皆様は「共感性羞恥」という言葉をご存知でしょうか? そこそこ知られるようになったと思うのですが、ようするに「テレビや映画などで登場人物が恥をかくシーンを見て、同じように自分も恥ずかしくなってしまう共感性が強いひとのこと」を指します。これ、私がそうです。幼い頃はかなり強くてそういう場面がテレビに映った場合即チャンネル変えていました。今ではだいぶ落ち着きましたが、それでも結構嫌な思いをします。結構な割合でこういう人はいるようで、10人に1人ほどの割合だそうです。

それと、実は私「浮気している描写」が死ぬほど苦手なんですよ。うる星やつらの諸星わたるレベルで博愛主義?を貫いているならまだ見れるんですが、ドラマで結婚してる人物が他の異性に心を惹かれていく描写が出ると、今でも吐き気がします。マディソン郡の橋は未だに嫌悪感あふれる作品となっています。現実に浮気をしている人物は……まぁ軽蔑するくらいで済みますけど。

あともう一つ、「本当のことを言っているのに、嘘つき扱いされる描写」も大の苦手です。おそらくこれがずば抜けて酷く苦痛に感じる描写です。特撮ものでは王道の展開ですけれど。宇宙人のUFOを見ても信じてもらえない。怪獣がいたといっても信じてもらえない。ウルトラマンコスモスの劇場版、ファーストコンタクトでは主人公の男の子が教室のみんなに対してウルトラマンを見た、と言っても誰一人信じようとせず嘘つき扱いをされます。物語が進むに連れ、ようやく主人公が本当のことを言っていた、と信じてもらえるのですが、はっきりいって私の心境は「長い拷問がようやく終わった」に等しかったです。

「お前の地雷なんて別に聞きたくないぞ」と思う方がほとんどだと思うのですが、少し考えてもらいたいのです。「もし私が、これらの描写を見て苦痛だと訴えて作品排除を主張したらどうなるか」ということを。

おそらく「笑われて終わりだろう」と思いますでしょう。ちょっとだけ待ってください。共感性羞恥は10人に1人の割合なんですよ。非常に多い割合なのに最近になってようやくテレビで持ち上げられ、存在が薄々知られるようになったんです。つまり「今ようやく可視化が進んだ」というわけなんです。はたして今後、浮気描写で吐き気が出る人、嘘つき扱いされる描写で苦痛を感じる人が、多く存在すると判明しないと言い切れるでしょうか? その人たちが声をあげて「創作物から浮気描写・嘘つき扱いされる描写を消してくれ!」と叫んだ場合、どこまで無視ができますか? 今まさに、ライトノベルの表紙で女性の肌が出すぎている、という事柄で議論が起きている状態なのに。

「女性関連に関しては歴史的経緯があるため議論の余地があるのだ」という理論もあるでしょう。なるほどなるほど、女性がかつて社会的地位を貶められていた歴史があるため、創作物に対しても慎重であるべきだ、というものですね。ならば我々(あえてこういう言い方をします)はたった今声をあげます、と。今まさしく創作物によって傷つけられているのです、いったいいつになれば議論の余地が生まれますか? と。あと何年我慢すればよろしいのか、と。そうなれば当然、「今」という答えしか生まれないでしょう。今、まさしく足を踏まれているのですから、とりあえず足をどけろと。

そしておそらく声を上げた結果、ゾーニングという手段が取られ、本や映画の背面に「羞恥」「浮気」「嘘つき扱い」といったレーティングが貼られ、そしてレーティングが多数貼られると売上が低下するという理由で上層部はできる限りあたりざわりのない内容へと変更するように指示を出すでしょう。かくして世の中の創作物からそういった表現が消え去り、我々は生きやすい世界が誕生しました。めでたしめでたし……。

そんなわけがありません。それだけで済むわけがないのです。「なぜ我々が苦手とするこの表現を排除してくれないのか」といった訴えが、あちらこちらで発生するでしょう。いいですか? 「浮気描写苦手」「嘘つき扱い苦手」という属性がこの世に存在するんですよ? ならば「ビルの破壊苦手」「銃の射撃苦手」「食事シーン苦手」「人が走るシーン苦手」みたいな属性が次々に発見されるわけです。その中から「これはレーティングに入れる/入れない」なんて選択ができるわけがありません。とりあえず足をどけなければならないのですから。

かくして山のように増えたレーティング、長引く審査。売上低迷に右往左往する出版社と編集。書くたびに抗議される作者。そして創作物は死ぬ。

だからこそ私ははっきりと主張したい。作家の皆さん、私みたいな存在を全く気にせず、好きな作品を書いてください! 私だっていやですよ、面白そうな作品を読んでる最中で唐突に自分が死ぬほど苦手な描写がでてくるの。でも、その描写が出てくることを受け入れた上で作品を評価します。面白いとか、面白くないとか、面白かったけど一部描写で吐きそうになったとか、面白くない上に嫌悪感が湧いた、とか。それが創作物への、この難儀な性癖を持ち合わせて生まれ持った私のスタンスです。

つまらなかった作品・苦痛だった作品は遠慮なく床に叩きつけます。でも、存在はしていいです。これは私にとっては最悪な作品だったけれど、他の誰かにとってはそれなりの代物だったのかもしれない。いや、誰にとっても最悪な作品であっても、存在が許されないわけじゃないんですよね。きっと。

本当に生きづらい世の中かもしれませんね。この世界。でも、「死ね」って言われてるわけじゃないんで、歯を食いしばって生きていきましょう。

現代神長豊節学概論 -ゼロヨンチャンプRR-

 えー、皆さんは見事、倍率0.15倍を勝ち抜き、この国立AMD大学に合格されたわけですけれども、これから学びますのは小中高と今まで触れたことのない教科、現代神長豊節学概論です。それを受け持ちますのは私、非常勤講師の黒沢ソートンです、よろしくおねがいします。さて、この現代神長豊節学概論、学問としては非常に日が浅く、つまりは非常に発展の余地が目覚ましい教科と言えるのではないでしょうか。神長豊節とはどういうことであるのか、実例をあげて触れていくことにより、皆さんに学んでいってもらいたいと思います。

 本日教材として使いますのは、はい、このスーパーファミコン用ゲームソフト、『ゼロヨンチャンプRR』です。ゼロヨンチャンプシリーズとして三作目にあたるものですね。ストーリーを解説しますと、受験に失敗して浪人生になってしまった主人公の赤沢くん。その上彼女だと思っていた女性からは一方的に別れを伝えられ見事に彼女いない歴18年の記録を更新中というどん底の中、ようやく普通車免許を取ることが出来たという明るい話題をもとに、車を買う前にスポーツカーイベントに行っていろいろ実車を見てみようとします。そのスポーツカーイベントにて、頭を何度も下げて日本ゼロヨン(400m直線オンリーのカーレース)のチャンプに教えを請おうとしている青年を見つけます。思わず「なんだありゃ、みっともねぇ」とつぶやいてしまいますが、なんとそれが青年に聞こえてしまいました。青年は「お前みたいなうす汚いやつにみっともないと言われる筋合いはない!」と売り言葉に買い言葉。お互いがヒートアップし、ゼロヨンで土下座をかけた勝負をつけることになりました。
「ここにある車は全部親父の会社のものだ、好きな車を選べ」と自身のボンボンぶりをアピールしたあと、なんと青年が選んだ車はスターレット(お手軽価格スポーツカー)。お前をゼロヨンでぶっ千切るにはこれで十分だ、といわんばかりの青年に対し、赤沢が選んだ車はスープラRZ(280馬力の化物スポーツカー)。車のパワーは段違い。このゼロヨンの勝敗は……なんとスープラRZ(赤沢)の敗北でした。自身の敗北にショックを受けながらも、土下座をする赤沢。高笑いしながら去っていく青年の後ろ姿を見ながら、赤沢は受験に失敗したときよりも、彼女にフラれたときよりも強い悔しさを胸に秘め、決意を決めます。「ゼロヨンで、絶対あいつを叩きのめしてやる!」 あの青年、藤原大輔に対する復讐を機に、赤沢はゼロヨンの世界に足を踏み入れるのでした。

 さてこの藤原大輔くんなのですが、徹底的に嫌味で高飛車なキャラクターとして描かれています。先程の勝負でスターレットに勝てたのも、実はゼロヨン用にチューンナップしていたスターレットだったと判明します(ゼロヨン用にチューンされた車には、ノーマル車では絶対に勝てません)。ゼロヨンライセンスを取り、大会に出ると、そのトーナメントの決勝戦に必ず当たるようにプロモーターの父親に頼んでいたことがわかります。そして実際に決勝戦で当たると……激速で絶対に勝てません!(いわゆる負けイベントです) ゼロヨンのランキングシステムはEランクからAランクの5ランク制になっていますが、このうちEランクからBランクの4戦、すべてが負けイベント! そのたびに藤原に嘲笑られ、うっぷんを溜めていく羽目になります。裏技で手に入れることができる、瞬間的に512kmに加速するジェットエンジンを使ったとしても、奴には勝てません、ムキィィィィ!! そして負けるたびに「はっはっは! これにこりたらゼロヨンはもうやめたらどうだ?」と言い放ち、プレイヤーに対しても「こいつ絶対にぎゃふんと言わせてやる」度を高めていきます。 しかも奇跡的にナンパに成功した女の子のために良いところを見せてやろうとサーキットにつれていけば、圧勝する藤原のファンになってしまう始末! 赤沢くんの精神が心配になる展開です。

 ここまで負け続けた最後の最後、Aランク到達でのトーナメントで勝利すると(そうなるとランク二位となり、チャンプへの挑戦権を獲得できる)どうなるでしょうか? 今までの鬱憤を晴らすような展開になるのでしょうか?
 藤原に勝利した赤沢は思わず叫びます。「どうだ! 俺の速さがわかったか!?」それに対しての藤原の反応はなんと「ああ、認めるよ。お前は速い」だったのです。戸惑う赤沢、そして同時にサーキットが沸き立ちます。その中心には一人の青年、実は彼こそが一年前、絶大な速さと強さで君臨し続けていたものの、突如姿を消した先代のゼロヨンチャンプだったのです。現チャンプがその帰還に異議を唱え、エキシビションマッチとなり、勝ったほうが新しいチャンプとなるのですが……圧倒的大差で先代チャンプが勝利。先代チャンプは真ゼロヨンチャンプへと返り咲きました。その強さに身震いすら覚えた赤沢。真チャンプと対面したとき、「絶対に貴方に勝ちます!」と宣言します。そう、藤原への復讐心で始めたゼロヨンを、赤沢はそれを達成したあと新しい目標に遭遇しえたのです。絶対に、あの人の元へとたどり着いてみせる、と。そんな赤沢に真チャンプは「チューナーを見つけるんだ」とアドバイスして去っていきました。
 チューナーというのは車のチューンナップを行う専門メカニックのことなのですが、紆余曲折あり、まゆみという凄腕チューナーの女の子がついてくれるようになります。そしてチャンプへの挑戦当日、この対決に異を唱える者がいました。そう、真チャンプとの対決に負けたチャンプ……ああもう面倒くさい、「偽チャンプ」が『ランキング二位は俺だ。お前じゃない!』と言い出しました。言われてみるとなるほど、真チャンプが一位で、それに負けた偽チャンプが二位、赤沢はその下……一理あります。ならば偽チャンプを軽くちぎって、その後チャンプへ挑戦に…としようとしたところ、まゆみちゃんがストップをかけます。「自分のチューンは車の性能を限界まで引き上げるもの。連戦なんてしたら車が壊れちゃう!」。さあ赤沢くん困った!
 そこで声をあげたのがなんと藤原! 彼は偽チャンプに挑戦状を叩きつけます。一度は教えを請おうと頭を下げていたのに、なぜ? 藤原は皆になぜ偽チャンプに失望したのか話し出します。真チャンプが一年前突如姿を消したのは、自分を下したアメリカチャンプを追ってアメリカに行っていたからだったのです。偽チャンプは彼の車を裏ルートで手に入れ、自分で作ったかのようにみせかけ、他のライバルを裏工作で蹴落とし、さらには真チャンプの誹謗中傷をばらまいて、まさしく偽チャンプとして君臨し続けていたのでした! そう、真チャンプはPCエンジン版ゼロヨンチャンプの主人公だったのです! そして行われる藤原vs偽チャンプのエキシビション。その勝者は……藤原でした! 「お前の敗因は車の性能を活かしきれなかったことだ。もっと他人の車だからしかたないがな」 そう言い放ったあとで、藤原は赤沢にこう言います。「赤沢、がんばれよ。チャンプは速い、あの人は本物だ!」。赤沢は藤原に「お前のぶんまで走ってやるぜ!」と返してチャンプへの挑戦に向かいます。それを見ていたまゆみちゃんが「彼、いい人ね」と思わず言いました。それに対して赤沢は「ああ、俺のライバルだからな」と答え、チャンプの元へと向かっていくのでした……。

 以上がゼロヨンチャンプRRにおける赤沢視点のライバル藤原なのですが、いかがでしたでしょう。非常に傲慢で腹がたつキャラが一気に好印象キャラに入れ替える様子がわかりますでしょうか。とにかくムカつかせるように丹念に丹念に描写を織り込んでいきながら、最後に勝利を得るとすぱっと対応が切り替わり、その後にピンチに助けへと駆けつける仲間として見事にキャラを変容させることに成功しています。この藤原くん、続編のゼロヨンチャンプRR-Zにももちろん登場しているのですが、そのときにはお互いの家に普通に行き来しててもう普通の親友です。ゼロヨンはもう引退してしまったのですが、その理由は「どうやっても赤沢には勝てないから」という潔いもの。私が「神長豊節」と提唱している、「ごく短期間にキャラの印象をぐるりと180度反転させる演出」の、まさしく一例です。
 このような優れた技法をゲームと言う媒体で行えうる、という点において、神長豊はもしや、シェイクスピアの生まれ変わりなのではないか? という説を提唱したピーター・ラザエル博士は、残念ながら学会から追放されてしまいましたが、私はそう、ない話ではないな、と考えております。
 ゼロヨンチャンプRRにはもうひとり、「ごく短期間にキャラの印象をぐるりと180度反転させる演出」を行われたキャラがいるのですが、そのキャラの講義はまた後日行います。
 それではここで講義を終えたいと思いますが、次回の講義は「AMDはいかにして神であるか」です。欠席者には単位はあげません。必ず出席するように。

QTEなんて大ッ嫌い -The Wonderful 101というゲーム-

 世の中に「ゲームにおいて嫌われる要素」というものがあります。
 私独自の綿密な調査(母数1)によりますと、嫌われる三大要素として「途中でパーティを離脱するコアメンバー」「課金ガチャ」そして「クイックタイムイベント(以下QTE)」が挙げられます。

 QTEとは今ではかなり定義をつけるのが困難になっていますが、ざっくりいうなれば「画面に表示されたボタンをタイミングよく押すことで、その後のゲームの展開が左右される技法」というものです。バイオハザード4では大岩が転がってくるのをボタン連打で走って逃げて、その後のタイミングでトリガーを押すことで避けていきました。敵が斧を持って振りかぶってきた時、トリガーを押すことでタイミングよくかかっていた手錠をその斧で破壊させて脱出成功となります。……このあたりは、まだギリギリ演出としてよかったのですが、物語後半、因縁のライバルとナイフ対決をしたとき、長々と言い合いをしながら主人公とライバルはナイフで攻撃し合います。そのたびにトリガーやボタンを押しあうことになります。ミスったら即ゲームオーバー。最初からやり直しです。私は多分五回くらいやり直したと思うんですが、ボタン操作に集中していたため、主人公とライバルが何を話していたかさっぱりわからないままです。本末転倒過ぎませんか?

 そうやってボタン連打をしていると、私が学生時代、スーパーファミコンで「スラムダンク From TV animation 四強激突!! 」というゲームがあったことを思い出します。名作漫画SLAM DUNKのゲーム版です。このゲーム、シュートが外れるとリバウンドの取り合いになるんですが、それの成否がボタン連打なんですよ。漫画内で「リバウンドを制するものはゲームを制する」というセリフが出てきたように、リバウンドはかなり重要な要素なんです。つまりゲーム中連打しっぱなし。おそらくこのゲームを作ったスタッフの中に、スーパーファミコンのコントローラーを破壊するように企む秘密結社の一員がいたのだと睨んでいます。

 話が逸れました。今のゲームにはQTEがたくさん仕込んであります。でもそれが果たして効果的に使われている例が果たしてどれだけあるでしょうか? プレイヤーがボタンを連打して、それに楽しさを感じることがあるのでしょうか? プレイヤーはボタン連打が好きなのでしょうか?
 そんな疑問に真正面から立ち向かい、「めちゃくちゃ楽しいQTE」に仕上げたソフトを紹介します。2013年、WiiUにて発売されたThe Wonderful 101です!

 
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 このゲームは見下ろし型アクションゲーム。主人公は地球を守る秘密組織「ワンダフル・ワンダブルオー」の一員。地球に襲来した強大な侵略組織「ゲスジャーク」の魔の手から地球を守るべく、世界各地に散らばった99人の仲間とともに立ち向かえ! というもの。
 PVやニンテンドーダイレクトを見ていただければ詳細はわかるのですが、このゲームの操作方法はWiiUゲームパッドを活用した、とても独特なものです。ゲームパッド上の画面に円をかけば、ユナイトハンドという格闘武器に切り替わり、直線を描けばユナイトソードという連続攻撃可能な剣に切り替わる。その他直角、曲線、ハンマー、W字、丸にちょん、といった図形を書くことで攻撃方法を切り替えて、その場所、その敵に応じたものを瞬時に出す、ということが可能になっています。
 その上この操作は武器切り替えのみに使われるのではなく、壊れたものの修復や、遠くに飛ぶためのパラグライダーへの変形、救助をもとめる一般市民を助けるために囲ったりと、ゲームパッドを活用しつくしています(右スティックでも代用可能ですが)。
 「そんな独特な操作方法をしているゲームでなんでQTEが必要なんだ?」と思われるかもしれませんが、このゲームはQTEにおける問題解決を見事に提示しています。なぜボタンを連打しなければならないのか? それは目の前に飛んできている瓦礫があるからです。
 このままじゃ瓦礫があたってしまう! 主人公が叫ぶ! 「ワンダパンチ!」 ボタン連打で瓦礫にパンチを繰り出して破壊するのだ! 瓦礫が次々に落ちてくる! その空上に敵が飛んでいるのが見えた! 主人公が叫ぶ! 「ワンダジャンプ!」 Bボタンをタイミングよく押しまくり、瓦礫の間をジャンプし続けて敵の懐に飛び込め! 
 そうです、このゲーム、ヒーローもののアクションゲームなので、とにかく主人公が叫ぶんです。それに合わせてこちらがボタンを押すと、それに応じたリアクションを主人公らヒーローが格好良く決めてくれる。こちらの操作がダイレクトに主人公へ伝わった感覚がとてつもないんですね! このゲームはQTEというものを、「画面の中の主人公と、プレイヤーである自分との距離をぐっと詰める手法」として活用しているんです。
 ボタン連打をすれば、その分主人公たちがパンチを叩き込む。タイミングよくボタンをおせば、敵の攻撃を華麗にかわす。もし失敗してしまったら……攻撃を受けてダメージをちょこっと受けてしまう。成功したときの報酬を強く、失敗した場合のペナルティは控えめにして、ストレスを少なく仕立ててあります。0.1秒のタイミングでシビアに瞬間的に判断する必要はありません。
 独特の操作方法とQTEだけにこのゲームはとどまりません。敵の巨大ロボが襲いかかってきたら、それを奪って反撃! 敵はもっとでかいロボットを繰り出してきますが、その戦いはまるでパンチアウト! 敵の攻撃をダッキングで避け、全身を伸ばしてアッパーカットを決めるのです!
 こちらの秘密兵器、プラチナロボが出撃するとそのゲームの動きはまるでスペースハリアースターフォックスのような3DSTG! ホーミングミサイルとハイパワーレーザーで敵をロックオン+デストロイしていきましょう!
 そんな見覚えのあるミニゲームをやりこみながら背後で展開されるストーリーは、重厚以外の何者でもありません。果たして「デスジャーク」の目的とは? その強大すぎる力の根源はなんなのか? そして最後の最後、彼らに勝利出来た理由は……。涙なしでは見ることが出来ない代物です。そしてそのストーリーの終盤、地球の命運を分ける最後のバトル。その方法は……そう! ボ タ ン 連 打 です。一心不乱にボタンを連打するのです! 画面の向こうの主人公たちも皆一生懸命ボタン連打をしています! ここで完全に主人公とプレイヤーの境界は消えてなくなります。PVの最後に「百一人目のヒーローは、君だ」という言葉がありますが、まさしくそういうことです。画面の前にいる貴方はワンダフルワンダブルオー、百一人目の隊員なのです。
 
 さて、ここまで読んでくれた貴方に質問があります。ボタン連打は好きですか? 私は大好きです。