平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

プラチナなのは社名か、品質か -アストラルチェイン-

プラチナゲームズという会社がある。
劣化せず非常に安定しているプラチナのように、高品質で劣化しないゲームを提供しようとする思いを詰め込んだ社名だ。
そしてこのご時世にもかかわらずマルチ抜きのシングル向け高品質アクションゲームを作りづつけているクリエイター集団である。
彼らが作ったベヨネッタ2The Wonderful 101は私の中でもお気に入りのソフトに入る。退屈しないQTE、アクションゲーム素人でもどうにかなるレベルデザインと難易度調節。プラチナゲームズ「キャラを格好良く操作して敵をバッタバッタとなぎ倒す」感覚を与えてくれることにおいて恐ろしく高水準にある会社だ。

そんなプラチナゲームズが開発したのがSwitchにて2019年発売された「アストラルチェイン」だ。



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主人公は近未来の世界に住む特務部隊の一員で、レギオンと呼称される生体兵器を扱い異世界からの侵略者、人類の敵であるキメラとの戦いに双子の姉弟と仲間と共に身を投じることとなる。
ジャンルはもちろんアクションゲーム。このゲームの売りは主人公と、レギオンとを別個に動かすデュアルアクションだ。左スティックで主人公の操作、右スティックでレギオンの操作を行う。レギオンは敵に近寄れば自動的に攻撃してくれるし、ボタンでターゲットした敵にけしかけることもできる。また主人公は三種の武器(警棒、大剣、銃)を操り、レギオンも5種いるため、それぞれの種類を敵と状況に合わせて切り替えていくのが必須スキルになっている。



主人公とレギオンは一本の特殊な鎖で繋がっていて、これが様々なアクションを生んでくれる。
ギオンを操作してぐるりと敵の回りを囲むと敵は光の鎖で拘束され一定時間身動き取れなくなる。その間、連続攻撃は叩き放題だ。
また遠く離れたレギオンの元へ瞬間的にジャンプする能力、チェインジャンプが存在する。そのジャンプしている道中に存在する敵に主人公は自動的に斬撃を繰り出していく。
さらには突撃してくる敵を左右に避け、この鎖で受け止めると主人公とレギオンの連携攻撃が自動的に発動する。

このゲームは回避とレギオンの活用が大事だ。如何にして敵の攻撃をかわしカウンターへと繋げていくか、その導線がしっかりとある。プレイヤーは敵の攻撃を見切り、どのスキルを活用して撃破するかを試行錯誤する。そのトライアンドエラーにきちんとこのゲームは堪えてくれる。燃えるBGMの中(私のオススメはAwakeningです)、君が操る主人公はレギオンと共に格好良く敵をなぎ倒してくれるだろう。


こう読むと非常に難しい要素ばかりに聞こえてしまうかもしれないが、意外にガチャガチャ操作をしてもなんとかなるデザインになっている。「レギオン射出」→「レギオンの元へとチェインジャンプ&攻撃」→「そのままコンボ攻撃」という流れはすぐ慣れて簡単にできる操作だし多少の操作ミスをしても繋がってくれるのが嬉しい。




このゲームは戦闘パートと、サブイベントが満載の捜査パートの二つが折り重なっている。
主人公は特務部隊という設定上、近未来の都市で起きた事件を捜査し、人々の証言や事件現場の再現をしながらその背後にいるキメラの動きを察知し、キメラの住む異世界に突入して人を救出したりキメラと戦ったりもする。
捜査パートの中に唐突に戦闘が入ったりするし、メインの捜査とは別にある細かな事件を解決したり、街の人の頼み事に答えるサブイベントも捜査パートに組み込まれている。捜査パートの最後には今までの証言を重ね合わせて事件の背景を探るファミコン時代の探偵アドベンチャーチックなものが用意されている。


ストーリー的にもキメラの正体の謎、特務部隊司令官の不気味さ、謎の女科学者の存在、そしてレギオンをあまりに自由に操れすぎる主人公自身の謎を絡み合わせ進んでいく。特務部隊の仲間たちや双子の姉弟と共に戦いに挑んでいく展開はまるで少年漫画のようだ。章仕立てで構成されており、一章を終えるたびに謎が一つ解け、また一つ謎が増える。少年漫画らしく「ここは俺に任せて先に行け!」という展開が待ち構えていたり、主人公の隠されていた力が覚醒して攻撃が効かなかったはずの敵を一気に叩きのめしたりもするぞ。



こうしてクリアを目指す動線を作っているはずなのだが、実際にプレイをしてみた身としてはいささかちぐはぐな印象を受ける。テンションを高めてガンガン突き進める気になる戦闘パートとは違い、捜査パートはいまいち面白みを感じることができない。


問題点としては証言を重ね合わせる締めの設問がいまいち悪く、「あらかじめ答えを知っていないと適切な答えを選べない」という状態に陥っている。その答えは捜査でわかるようなものもあれば、到底わかりそうにないものも混じっている。ここでミスしたところで経験点ボーナスが少なくなるだけで戦闘パートに進めないということはないのだが、些か気分を害されてしまう。


また一部のサブイベントが嫌がらせの極地だ。段積みになったアイスクリームを購入し子供のいる場所へ運ぶ、というイベントだがコントローラーのジャイロにあわせてバランスが揺れるのでとにかくアイスが落ちる、こぼれる。そして通行人がこちらに向かってぶつかってくる! 当然ぶつかってしまうとアイスを落としてしまい失敗になる。プラチナゲームズの人々はこのサブイベントを楽しめたのだろうか? 恐ろしいハードアクションゲーマー集団である。




戦闘パートにも実は問題が内包されている。戦闘と戦闘の合間には小さなインターバルがあり場所を探索し次の場所へ進むためのスイッチを探したり、ギミックを解除したりする必要がある。(このあたりのパートはベヨネッタやワンダフル101をプレイしたことがあるプレイヤーなら「ああ、プラチナゲームズのあれね」とわかってくれるかと思う)

今作のそれは明らかにベヨネッタThe Wonderful 101に比べて低品質だ。
背景にまぎれてわからなくなっているスイッチ、面倒くさいギミック。ときには理不尽さすら覚えてしまう。はっきりいうとこのパートには「プレイ時間水増し」の要素しか感じ取ることができなかった。いざ敵が出現したときの戦闘のときのテンションの上がり方と相まってつまらなさが加速してしまう。

戦闘は本当に、本当に面白い。
巨大な敵が繰り出す攻撃を回避しつつ弱点はどこか。頭を弓で貫けばいいのか、いや大剣で連続攻撃すればスタンするんじゃないか、まてまてこの巨大な足をレギオンで拘束すれば……アドレナリンが全開になり敵の攻撃がスローモーションに見える。思考回路を全力で駆動させ攻略法を考える。その間も指はコントローラーを動かすのはやめない。スティックさばきに呼応して主人公は回避し攻撃を繰り出していく。その瞬間の高揚さは麻薬的だ。しかしいざ敵を倒してしまうと、探索や捜査パートに止められてしまう。やめてくれ。俺は戦いたいんだ。はやく、はやく俺に敵をくれ! 俺に生きる実感をくれ!


そうして戦闘ジャンキーになったプレイヤーにたいして無慈悲に探索ギミックは増えていく。麻薬中毒になった者にどんどん金を要求するがごとく。プレイヤーは涙と禁断症状を堪えながら必死で面白くもないギミックを解くことになるのだ。このゲームにはジャンプボタンがないのに浮遊板を連続で渡っていくギミックをやらされた時(落ちたら当然やり直し)にはさすがに「マリオ連れてこいマリオ!」と叫びそうになった。



最大の問題は最終盤のストーリーだ。章仕立てになりいよいよ最終章に到達したプレイヤーは不安に襲われる。とにかく今までのストーリーはどんどんと風呂敷が広がる一方だ。はたして最後の一章だけで全部の風呂敷をたたむことができるのだろうか? そしてラスボスを撃破したプレイヤーに与えられたエンディングは、まるで「打ち切りが決まったので急遽まとめた少年漫画」のようだった。……そんなところまで少年漫画らしく仕立てなくていいのに!


プラチナゲームズには神谷英樹というゲームストーリーの天才がいる。ベヨネッタ1であれだけキレイに決着をつけたはずなのに、ベヨネッタ2ではさらに1の要素を伏線として拾いつつ素晴らしいエンディングに仕立てた。The Wonderful 101では衝撃の展開を二重三重に重ねておきながらもエンディングではすっきりとすべてを解決させ希望の未来を見せてくれた。今作でも彼はスーパーバイザーという立場で参加している。彼ならばもっとすっきりとしたものが出来たはずだ、と思わずにはいられない。このような結末になった理由には色々とあるのだろうが、ただただ残念だ。



このゲームはプラチナの名に恥じない、確固たる面白さがその芯に走っている。しかしその外周部をぶよぶよとした贅肉で覆われてしまっている。神ゲーとの評価を得るためにはまず大規模な肉体改造とフィットネスが必要になるだろう。そしてそれができる人材はプラチナゲームズにはいるはずだ。次回作に期待したい。ベヨネッタ3を私は待っている。

2Dシューティングゲームははたしていつ「衰退」したのか

定期的にネットの海を騒がせる話がある。

それは『2Dシューティングゲームはマニアに合わせてどんどん高難易度していき新規層が入れなくなってどんどん衰退していき最後には滅亡した。新規層の大事さを忘れてはならない』というものだ。

実際シューティングゲームは滅亡どころかプラットフォーム各種で展開され根強い人気を確立しているジャンルであるのだが、この論はとても人気があるらしくバズりやすい。『人は正しさよりもわかりやすさを求める』という説があるが、まさしくそれだと思われる。

さて今回はこの説をシューティングゲームマニアではない奴が、少しばかり違った観点で検証していきたい。ちなみに私は斑鳩なら3面で力尽きる程度の腕前です。

 

まず、シューティングゲームが最も興隆していた時代はいつだろうか。

スーパーファミコン全盛期? ファミコン時代? なるほどその頃ならばアーケードゲームでもシューティングゲームは大人気だったはずだ。

ところがファミコンの売上ランキングを確認してみると、おそろしくシューティングゲームが少ない

売上がミリオンに到達したのはゼビウススターソルジャーのみだが、グラディウススターフォースといった有名作は及ばない。そのゼビウスにしても発売された1984年はロードランナー、四人打ち麻雀、テニス、F1レースとミリオンセラー満載年だ。50本前後あるファミコンのミリオンセラーソフトのうちシューティングが二本だけというと、いささか物足りなさを感じないだろうか。

ではこのときからすでにシューティングは衰退していたと言えるのだろうか? そうなると「マニアに合わせて高難易度していった結果衰退していった」論説はやはり現実に沿っていないことになることがわかる。このときのファミコンソフトのシューティングはアーケードよりも難易度がマイルドに調整されたり、裏技で残機数を増やしたり、無敵になるモードを導入しているからだ。

 

そうそう、アーケードのことを忘れてはならない。

少し思い出して欲しい。シューティングが輝いた、日本を熱狂させたアーケードゲームが歴史に名を残していることを私達は知っているはずだ。

 

そう、スペースインベーダー

 

1978年にアーケードに登場した、百円玉の年間発行数を三倍に増やすはめになった驚異のゲーム。シューティングの全盛期はこのインベーダーブームのときだとみなすのが妥当なのではないだろうか。大ヒットしたゼビウスのアーケードが1万5千台の出荷に対して、スペースインベーダーの出荷数は純正品が10万台、サブライセンス仕様の台が10万台、無許可コピー台が30万台出回ったとされている。その差は圧倒的だ。

 

シューティングゲームの全盛期がここならば、その後のファミコンスーパーファミコン時代や、インベーダーブーム終了後に系譜として続いたアーケードはすでに衰退期……良くいえば安定期だとみなす事ができる。

最初にビッグバンのような大ブームが起きているのだ。高難易度云々関係なしにそれは縮小する。むしろ今でも同ジャンルがプラットフォームを変えて新作が出続けていることに感嘆すべきではないだろうか。

 

……ここで記事を終えてしまってもいいのだが、もう少し観点を変えてみよう。そもそもシューティングゲームの定義とはなんだろうか?

 

『なにを今更』と思うかも知れない。自機が戦闘機でバリバリ弾を打ち敵弾をかわして敵をなぎ倒して進んでいくのがそうだと思うだろう。ボムが利用できたり障害物にあたったらミスになり、パワーアップアイテムが出てくるのが貴方の頭の中に思い浮かぶはずだ。

ちょっと困ったことに、「シューティングゲーム」の中には自機が人間であったり武器が刀であったり障害物にあたってもミスにならなかったりボムがなかったりパワーアップの概念がなかったりするものもある。さあ、これらを包括する定義はどうすればいいのだろうか? 先に述べたスペースインベーダーゼビウスといったタイトルもうまくくくれるような定義にしないといけない。そうなると必要最小限で根幹部分を突いた定義が必要だ。

 

 

そうなると「自機を操作し敵の攻撃をかいくぐり撃破してステージクリアを目指すタイプのゲーム」あたりに落ち着くだろう。これならばスペースインベーダー怒首領蜂も東方シリーズもうまくくくることができる。シューティングゲームの定義はこれでいこう。

 

……ちょっと待って欲しい。この定義はいくらなんでも大きすぎやしないだろうか? 敵の攻撃をかいくぐり、敵を撃破するゲームは至るところにあるだろう。シューティングゲームに限らず。魔界村ロックマン悪魔城ドラキュラはそうであるし、攻撃方法を変化させた例でいえばスーパーマリオブラザーズも入ってしまうだろう。

 

そう、そうなのだ。スペースインベーダーというビッグバンが起きた。そしてそこからシューティングゲームは本質をそのままに細かなルールを付け足しジャンルを変化させてアクションゲームやアクション要素のある他ジャンルへと進化したのだ。今あるアクションゲームはシューティングゲーム

 

かつて地球の支配者は恐竜であった。一昔前は恐竜たちは気象の大異変により絶滅した、といわれていたが、今では体を小さくし鳥類へと姿を変え進化し生き延び続けている……という説が有力である。シューティングゲームも同じことが言えるかも知れない。姿形を変え進化し、しかしその中の骨子はそのままに、我々を今でも楽しませてくれている。

 

 

 

注意兼謝罪:ここまで真面目に読んでくださった方には申し訳ないのですが、この理論でいうとスペースインベーダーがアクションゲーム・シューティングゲームの始祖ということになるのですが、本当にそうであるかゲームの黎明期の歴史にそこまで詳しくないので正直なところわかりかねます。もしスペースインベーダーの元になった作品があったら教えて下さい。

 

 

                         

追記:

 

元はインベーダーの元ネタはブロック崩しとのことです。ありがとうございます。

ただそうするとブロック崩しシューティングゲームの元祖だ、という論が出てきそうなのですが、果たして当時生きていなかった私がそこまで踏み込んでしまっていいのかという。ブロック崩しのルールとシューティングゲームの定義には随分と距離があるように思えますが、これは現在に住む人間の観点であるため、当時の空気を知らない空論な気がしてなりません。

 

                         

さらに追記:

このような指摘を頂きました (岩崎啓眞さんは当時ハドソンの中でバリバリ活躍していたレジェンドです)。スターソルジャーここで「約100万本」という表記をされていましたが、100万本には至らない数字という確認ができましたので、本文を訂正させていただきます。ありがとうございます。

 

 

裁判の行き着く先にある真実と、まだ見ぬ続編 -有罪×無罪-

 弟切草というゲームがある。
 それまでなかった「デジタルノベル」というジャンルをゲームの世界に生み出し一つの分水嶺となった作品だ。小説を読みすすめるごとく文字を読み、時折出てくる選択肢を選ぶことで物語は分岐し、そして様々なエンディングを迎える。ゲーム以外の媒体では不可能な、ゲームでこそという領域に切り込んだゲームだ。


 続編かまいたちの夜ではついにゲームならではの「推理ゲーム」に到達した。プレイヤーは殺人事件に巻き込まれ知恵を振り絞り恐怖の展開へと立ち向かわなければならない。もし犯人がわからないままだとしたら……その犯人の次の獲物はプレイヤーが操作する主人公だ。そうでなくても恋人に殺されてしまうバッドエンドになってしまう。プレイヤーがエンディングに到達するには犯人を見破らなければならない。他の媒体ではこれはどうにも不可能な仕様だ。推理小説ならば読み進めれば探偵が犯人を見つけてしまうし、ファミコンで発売されていた推理AVGの多くはコマンド総当りで突破することができたり、バッドエンドがあってもせいぜい一つや二つだ。かまいたちの夜のように多種多様な悲劇が用意されているわけではない。さらにはかまいたちの夜では犯人の見つけ方すら3パターン用意されていて、それぞれ別のエンディングに向かうようになっている。「犯人を見つけただけではゲームは終わらない」ように、プレイヤーが飽きない工夫がされているのだ。


 そんな素晴らしいかまいたちの夜だが、難癖をつけるところがないわけではない。犯人を突き止め、その犯行を自白させるためのトリック見破りの箇所は二択の選択肢を連続して選んでいくだけのものなのだ。これでは根気さえあれば本当にトリックを解いていなくてもエンディングを見ることができてしまう。というか、あの頃の小学生中学生は犯人の名前をネタバレで聞いてしまい、そこから選択肢を選びまくることでエンディングを見ていたというのが主流なのではないだろうか? 私は無論そういうタイプの子だった。この仕様はそんな推理小説に不慣れな子でもせめてエンディングを見ることができるような救済措置ではなかったのだろうか。


 この「微妙に推理しきれていない仕様」は続編「街」でも引き継がれる。推理小説の顔はずいぶんと引っ込み、主人公同士のほんの些細な交差を描いた作品となった(それはそれで名作であったことは言うまでもないが)。ナンバリング作品であるかまいたちの夜2においてはバッドエンドは分岐の一つとしてしか用意されておらず、犯人指摘は物語の最後でノーペナルティの選択式である。とにかく全部選びトリックどころか犯人すらわかっていないプレイヤーでも犯人を見つけ出すエンディングを見るようになった。そのかわりサブシナリオが多数用意され、それを楽しむような仕様になっている。「ゲームならではの推理を働かせる推理要素」は進化を止め足踏みを続けているようであった。

 その状況が打破されたのは逆転裁判である。この作品は今までの宿題をすべて片付けたゲームデザインが施されている。場所は裁判所。主人公は弁護士、依頼人は無実で証人の中に真犯人がしれっと混じっている。真犯人が述べる証言には必ず嘘が混じっているため、今までに出た証拠や証言を突きつけ矛盾を指摘していくのだ……このゲームデザインかまいたちの夜を超えたのだ。
 主人公成歩堂龍一は決して超人的な観察力を持つ探偵ではない。プレイヤーと同じように頭を抱え悩み、人に助けられ、ともに真実に歩んでいくようなそんな弁護士だ。プレイヤーが真犯人の細かな矛盾に気づきそれを指摘するのと合わせて成歩堂はリアクションし、異議あり!」と声をあげて真犯人を糾弾する。最初こそは余裕を見せている真犯人が、だんだんと追い込まれ、BGMが変わり、そして最後の最後、動かぬ証拠を突きつけることで真犯人は倒れ無罪判決をもらう……。


 逆転裁判が行ったのは「推理の小出し」だ。事件は大きなトリック、恐ろしい陰謀などで全容が見えないようになっている。それは成歩堂も一緒だ。その全容の外周部で証拠探しをし、小さなほころびを発見する。指摘することで生まれる新たな矛盾を他の証拠品で新たに突く。それを繰り返すことで事件の全容がプレイヤーと成歩堂の前に現れる。これはつまりプレイヤーが迷わないように導くガイドラインとして作用しているということだ。こうしてすすめることで推理小説に不慣れな小学生中学生でも頑張って自力で謎をとき、ゲームをクリアできるようにしている。ゲームならではの「推理の楽しみ」の再構築を逆転裁判は完璧な形でやってのけたのだ。


 2001年にGBAで発売された逆転裁判は人気作品となり、2.3と発売されシリーズ化された。プラットフォームをDSに移し4も発売されたころには完全に人気シリーズとしての評価と売上を確立した。市場には逆転裁判フォロワーが次々と生まれた。生まれたのだが評価と売上は散々なものも多かった。


 そんな潤沢な逆転裁判フォロワーの中に、一つ輝く原石のような作品が存在する。今回の記事は有罪×無罪である。(ここに来るまで2000字使ってしまった)




 有罪×無罪は2009年、バンダイナムコから発売されたゲームである。逆転裁判フォロワーの通り舞台は裁判所である。しかし主人公はあくまで陪審員であり、弁護士や検事、そして被告や証人の話を聞くことで無罪か有罪かを決めるという立場だ。被告が本当に無罪なのかどうかはわからない状態であり、自分の投票や質問で被告の有罪と無罪を、有罪であった場合は量刑や執行猶予の有無が変わってくるという塩梅だ。

 このゲーム、弁護士や検事、裁判官の監修を受けており実際の裁判の流れに近いかたちでゲームが進んでいく。検事の主張、弁護士の反論が冒頭陳述で述べられ裁判官と陪審員とで評議を行い中間決議を得て証人尋問が行われ実際に被告人に質問を行い、そして最終評決がくだされる。

 プレイヤーが行えることは質問と指摘である。陳述や証人尋問の際に浮かんだ疑問をメモしそしてそれを質問のときに証人や被告人にぶつける。それにより新しい証言が生まれるが、これを評議の際に集め適切な形にかためて「指摘」することで新しい事実を発見することができる。


 
 こうして並べてもいまいち腑に落ちないかもしれない。実際のゲーム内容に沿って解説してみよう。
 事件内容は火事による一名死亡。火事は家庭用のコンロが発生源。被害者は二階にいた70才の女性。この女性は睡眠導入剤を飲んでおり火事に気がつくこともなくそのまま一酸化炭素中毒により死亡した。火事の直接的原因となったのはこの家に嫁として嫁いできた27歳の女性。彼女が一階の台所に火をつけたままの天ぷら鍋を放置したため火事がおき、それによって姑の女性が亡くなったという事件。

 検察は姑が飲んでいた睡眠導入剤が嫁に処方されていたものであるという点、台所に設置されていたはずの火災報知器に細工がしてありならないようになっていた点、姑がいわゆる嫁いびりをするタイプの人間であったという点から「故意に火事を引き起こした殺人事件」だと指摘する。弁護士は反して検察が指摘した嫁いびりというものが極めて些細なことであったということ、睡眠導入剤は姑が自ら夜眠れないから分けてほしいと言い出していたこと、火災報知器に細工をしたのがそもそも被告人であるという証拠が何一つないことを反論する。

 これらの論点は「ファクター」として取り扱われ、各ファクターごとに陪審員たちが話し合い、有罪に思えるファクターか、無罪に思えるファクターかに振り分けていく。嫁と姑の仲はどれほど悪かったのか、睡眠導入剤は果たして飲まされたものか姑が自ら飲んだものか、火災報知器に細工をしたのは果たして誰だったのかを議論していく。
 被告人は義理の母を殺そうとした鬼嫁なのか。それともただ自分のミスで失火を招いてしまっただけの善良な市民なのか。


 火災報知器を取り付けにきた業者や隣人が証人として現れる。間違いなく火災報知器は事件の二日前に点検が行われ正常に稼働していたこと、事件の前日に台所に不審な白い煙がもうもうと立ちこもっていたにもかかわらず火災報知器がなっていなかったこと……などが証言として提出される。


 こうした証言と現場の写真、被告が購入したレシートなどを精査すると新たな事実が浮かんでくる。
 現場から歩いて5分の店に天ぷら油を買いに行ったはずの被告のレシートを確認すると、なぜか25分も遅れてレジで油を買ったことになっている。事件前日、被害者が購入したレシートのなかにこれまでの裁判の流れを全部ひっくり返すような代物がしれっと混じっている。
 こうした事実を発見し「指摘」することで、評議の流れは大きく変わる。一度有罪や無罪として扱われていたファクターを見る視線がかわることでそれがひっくり返る。

 これらの事実の再確認と指摘、そして評議を終えた後結審が行われる。判決が述べられたあと物語は終わり、そしてプレイヤーが指摘した事実の数にあわせて「真相究明度」が表示される。これを100%にするのがプレイヤーの最終目的であるが、その上で判決を左右できるのがこのゲームの肝だ。真実を暴くことが目的であった逆転裁判よりも、その先をいくように心がけたゲームデザインであるといえる。
 実はこのゲームの発売日は2009年5月21日、現実の世界においても陪審員制度が施行された日である。興隆した逆転裁判型フォロワージャンルと、話題になった陪審員制度を重ねてうまいところ時流に乗ろうとした作品である。しかし完成度の高さはいわゆる「二匹目のドジョウを狙った」だけではなく優れた裁判推理ゲームを世に生み出そうとするスタッフの気合の入りようが見て取れる。




 そしてこのゲームの真骨頂は最後のストーリー、第四話にある。

 
 これまでの物語は言ってしまえば裁判の枠の中で行われるものだ。被告は鬼嫁なのか、善良な市民なのか。大学教授は自ら青酸カリを飲み自殺したのか、それとも保険金目当ての妻の策略により飲まされてしまったのか。主人公の指摘により事実は明るみになるが、主人公はあくまで陪審員だ。事件が終わってしまえば無関係な一般市民という立場に戻る。


 しかし第四話は最後のストーリーにふさわしい構成を行っている。裁判はそれまで通りに行われる。隠された事実が暴き出され被告が殺人を行ったのか、そうではないのか真実がわかる。そして判決が言い渡され裁判が終了し裁判所から出たあと、主人公はふとしたことでその裁判の、事件の奥底に潜んでいた「吐き気をもよおす邪悪」の存在とその証拠にふれるのだ。そしてそこまで行っていた裁判の根底がひっくり返り事件の全くの別の顔、真実を見てしまう。真の邪悪は裁判を受けることなく、そしらぬ顔をして去っていくのを見せつけられる。
 愕然とする主人公。自分はこのまま何もすることができないのか。日本の司法制度はこの邪悪を裁くことができないのか。……その時現れたのが今まで裁判を通じて絆が出来上がった裁判長だった。裁判長はその様子を遠目で見ていた。証拠も直接的に見たわけではない。しかし主人公が証言することでそれを裁判に持ち込むことはできる。そう、主人公が証人となることで奴を裁くことができるのだ! 首を洗って待っていろ! ……裁判推理ゲームにあるまじき「俺たちの戦いはこれからだ」エンドで、このゲームは終わる。


 主人公はあくまで事件とは直接無関係な陪審員である。……そのフォーマットを破りにかかった素晴らしい展開だ。プレイヤーのテンションの落差は表現し難い。裁判を無事終えほっとしているところに急激の真相が突きつけられ無力感に襲われたところで裁判長の助言、血が沸くような展開にテンションが最高潮にあがったところでスタッフロールが流れるのを見ることになるのだ。
 このゲームは続編を作るべきだ。作らねばならない。あの真の邪悪に有罪判決を突きつけてやるまでこのゲームは真のエンディングを迎えたことにはならないのだ。(ただしそれをやるにはゲームシステムの大幅な変更が必要となって続編の意味がなくなるわけだが…)

 このゲームの発売から10年。続編の話は一向に聞かない。しかしこのゲームをこのまま埋もれさせておくには惜しい。是非このレビューを読んだ方々には実際にプレイしてもらい、最後の最後の形容しがたき悪に対する感情を湧き上がらせてもらいたい。

 なお、10年前に発売されたソフトではあるがいまだに公式サイトは運営中である。体験版に触れることもできるのでブラウザのフラッシュを許可してから是非覗いてみて欲しい。

yuzai-muzai.namco-ch.net


 

リブートの名にふさわしい内容であったか? 超昂天使エスカレイヤーR

 リブート。いい言葉だ。
 バットマン・ビギンズは素晴らしい映画だし、ロボコップ2014年度版もいろいろ世知辛い世の中を描写していて楽しかった。ターミーネーター新起動は……まぁ現在シュワちゃんvs過去シュワちゃんを見れただけで価値があるかもしれない。

 リブートは映画だけの話ではない。もちろんゲームにもある。今回の記事は「超昂天使エスカレイヤー:リブート」。正真正銘のエロゲーである。そのためそういう内容なお嫌な方はここで読むのを中止していただきたい。




 2014年に発売されたエスカレイヤーリブート(以後Rと表記)は、2002年に発売された超昂天使エスカレイヤーのリブート作である。戦闘システムに手を加え、CGを高解像度へと新たに書き換え、新規シナリオを追加し敵キャラクターも増やしたものだ。なるほど、こうして並べると「リブート」の言葉にふさわしい内容かと思える。


 エスカレイヤーRについて言及する前に、まず2002年に発売された原作の「超昂天使エスカレイヤー」について解説を行おう。


 この作品、いわゆる「戦うヒロインがエッチな目にあうエロゲー金字塔だ。
 「ヒロインものエロゲーを初めて実装した作品ではない。それ以前でも「流聖天使プリマヴェール」というヒロイン調教を題材としたゲームは存在する。エスカレイヤーが先進的だったのは、ヒロイン、エスカレイヤーが「ドキドキダイナモという性的興奮をエネルギーに変換する機関を備えているという設定だ。そのため主人公はヒロインとあの手この手でエッチなことをしてエネルギーを貯める。それによってパラメータを上昇させ、地球侵略を目論む怪人軍団と戦う。勝利をすれば次のストーリーにつながるが、敗北してしまうとエスカレイヤーは敵怪人に陵辱される。その際、当然エネルギーを獲得できるのだ。
 敗北しても強くなってリベンジに向かうヒロイン。プレイヤーとしては進めないストレスを、パラメータ上昇とエッチシーンを見ることで相殺するどころか黒字になるように作られている。(ただし怪人に負け続けると心が折れてゲームオーバーになってしまうが)
 

 エロゲー界による「如何にしてゲームシステムに戦うヒロインとエロを密着させるか?」という難題に対して、見事な答えを返したのだ。主人公とエスカレイヤーが体を重ねる必然性を作り、怪人に陵辱される描写をつけたし、それによる能力強化の理由付けまでやってのけたのは、満点の答案用紙であるといって過言ではない。


 
 その原作エスカレイヤーが2002年、リブート版は2014年。12年の歳月を得て復活したエスカレイヤーRは果たしてどうだったか?


 大幅に手が加えられたのは戦闘システムだ。原作がほぼオートバトルで終わっていたのに対し、Rではいろいろと手を加えられた。エネルギーを戦闘スキルに変更することができ、各種スキルを装着し戦闘に向かう。得たエネルギーをパラメータの上昇か、スキルの割り振りに使うかで戦略性が発生することにはなっている。
 そのスキルを使うためにはルーレットを回す必要がある。
 ルーレットは各ターン1回周り、5つセットしたスキルのどれかに充当する。簡単なスキルならば一つ充当しただけで使用可能になるが、強力なスキルの場合3つ充当させないと使用可能にはならない。つまり強力なスキルばかりをセットしただけではなかなかスキルが使えなくなり、簡単なスキルばかりだと火力が足りないことになる。


 最大の問題点。いったいこのシステムのどこにエロさがあるんだ? ただ怪人との戦闘がわかりにくく、煩わしいものになっただけなのだ。
 いや、別にエロさがなくてもゲーム的に面白いのならば問題はない。問題はないのだが、2014年の時点でルーレットを回して楽しさを覚えるゲームデザインはむしろ斬新すぎる。ルーレットの目押しを楽しいと思うには、私は年を取りすぎてしまっていた。戦略性が向上した、という表現は聞こえがいいが、この戦闘システムはいわば「蛇足」以外のなにものでもない。ゲームデザイン的に面白くもなれずに、エロ要素に結びつけることもできないのなら、前作同様オートバトルで構わなかったのではないか?


 原作エスカレイヤーは素晴らしい作品だった。しかしドラゴンクエスト1が如何に素晴らしい作品であろうが、そのまま現代に持ってきて懐かしさを取っ払った場合ただただ「よくわからない」「さすがに古臭い」といった評価を受けてしまうのと同じように、骨子をそのまま持ってきたこのエスカレイヤーRは「さすがに古臭い」という評価を受けることを否めない。
 残念なことに、「リブート」というには力不足だった。確かにシナリオは追加された、敵キャラは増えた、CGは高解像度化された。ただ、それだけだ。それなら「リマスター」なり「追加版」なりのほうがよほどふさわしいように思える。


 12年という長い年月においてゲームとしてなにかしらの進化をすることができなかった…と表現すると、なかなか寒いものがある。エロゲーなのだからエロ描写がしっかりしていればいい、という見方もあるかもしれない。かつて「ドキドキダイナモ」という発明で問題を潰したように、リブートと銘打った今作においてもなにか一つ大きな変化を期待したが、それはなされなかった。それはとても残念なことだと、ここに感想として記す。

 

復活したゲームに魂はあったか? 魂斗羅ローグコープス

…11/5 追記あり

 

魂斗羅”とは熱き斗魂を生まれながらに持ったゲリラ戦術の達人に与えられる呼名である

 

 令和元年、突如としてそのゲームは復活した。

 その名は魂斗羅。昭和に誕生し平成を駆け抜いたアクションゲームシリーズである。

 長らく休眠状態にあったこのシリーズがいきなりの復活を遂げたが、その出来栄えは、スカイリムやゼルダbotwといった歴史に残る名作と比較したら……とても比較できるようなものではなかった。

 それでは駄作であったか? いや、そうではない。このゲームには駄作の2文字で済ませられるようなものではない美点が確かにあるのだ。

 では凡作か? いや違う。このゲームは、いうなればプレイヤーを振り回し騎手不在状態でゴールにぶっちぎりで走り抜けた暴れ馬のような困った存在だ。

 

 

 ゲームシステムを解説していこう。このゲームは見下ろし視点型アクションゲーム。右スティックで移動、左スティックでエイム、トリガーで射撃といえば概ね伝わるはずだ。

 素直なゲームシステムではあるが、ゲームを始めるとプレイヤーを振り落とすような仕様が待ち構えている。やたら硬い敵に豆鉄砲のように錯覚するほど攻撃力の低い銃。令和に入ったというのに恐ろしく解像度の低い画面。絶妙な動きで敵を存分にバックアップしてくれるカメラワーク。そして魂斗羅という銃をバリバリ撃ってなんぼのゲームシリーズでありながらも実装されている「オーバーヒート」という要素。すぐにオーバーヒートする豆鉄砲を手に無数に湧き出てくる敵をなんとかして倒さねばならないが、おそらくここで半分のプレイヤーは落馬することだろう。競馬でいえばスタート直後だ。いくらなんでも早すぎる。

 歯を食いしばって苦痛なミッション1-1をクリアすると(恐ろしいことにここはチュートリアルだ)、武器に取り付けるMADチップと肉体改造用の臓器、そして少量の金が手に入る。

 とりあえずオーバーヒートを速く改善してくれる放熱板か、オーバーヒートにしにくくなるバッテリーでもつけてみよう。両方あるなら両方つけてもいい。強化臓器も付け替えだ。

 そして次のミッション1-2へいくと、手応えが違ってくるのに気がつくはず。銃が強いのだ。そう、銃にも経験値が存在し、レベルアップすることで性能が若干上昇する。それと先ほどつけたMADチップと重なって、豆鉄砲はエアガンくらいに進化したのだ

 

 バリバリ撃てるようになり、ダッヂで敵の攻撃を回避するようになり、ラグにも慣れたプレイヤーのスキルが上昇してくると(恐ろしいことにこのゲーム、オフラインシングルでも自覚できるほど操作ラグがある! 10f以上だ!)、今度は武器のコアチップを拾うことだろう。コアチップはそれぞれ対応したMADチップと少量の金を足すことで武器を精製できる。その武器はマシンガンの他にもミニガンだったりチェーンソーであったりタレットであったり地雷バラマキ装置であったりと多種多様だ。(11月1日のアップロードでさらに増えた)

 新しい武器に変え新しいステージに向かうプレイヤー。そのクリア報酬は大量のMADチップと武器のコアチップだ。MADチップも多種多様である上、レア度とレベルがあるため一つで済むわけはない。より高いレベルのMADチップを求めて同じステージを周回するのだ。さあ! 掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘りまくるのだ。

 そうして武器のレベルが5以上になると、武器のランクを上げるアップグレードが出来るようになる。MADチップと金銭を足すことで同じ武器で有りながら攻撃力を飛躍的に高めることが出来るのだ。レベルは1に戻ってしまうが、全体の性能は上がるので問題ない。問題ないのだが、とにかく金がかかるのだ。

 

 一回の探索で貰えるのは僅か1000G。アップグレードには低ランク品でも2万G。Sランクだと15万G以上が必要になる。

 

 こうなると金策のために掘りすすむ必要になるかと思うが、安心して欲しい。君の手元には不要な武器コアチップと、大量のMADチップがあるはずだ。これで武器を精製し、それを売ると一万Gほど手に入る。

 

 つまりこのゲームは不要なMADチップを武器に精製して金に換え、その金でお気に入り武器をアップグレードするゲームなのだ。拾ったハズレのMADチップも無駄にはならない。きちんと消化する流れが出来るのだ。さあ、掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘って掘りまくるのだ。掘りまくる中できっと高レベルのMADチップを手に入れることが出来るだろう。それに付け替えることでより効率的に敵をなぎ倒すことが出来るようになる。武器精製に混ぜれば最初から高レベルな武器ができあがる。

 見覚えのあるステージと、色違いの敵を倒しつつミッションを制覇していくと、最初に感じていた不満感が感じなくなっていくことに気がつくだろう。このゲーム恐ろしく画質が悪い反面、びっくりするほどロード時間が短い。サクサク画面が切り替わり、何回掘り進んでもいける。超強化されたミニガンで無数に湧き出てくる敵を一斉になぎ払うのは快感としか言いようがない。同じミッションを繰り返しやり直すのが楽しいのだ。もはや豆鉄砲やエアガンを振り回していた頃はおさらばだ。君の手の中には今正真正銘魂斗羅が扱うマシンガンが握りしめられている。

 

 

 「バリバリでてくる敵をバリバリ撃つのは楽しい」という至極当たり前の話を、このゲームはプレイヤーに体験させられることに成功している。失敗しているのはプレイヤーを置いてけぼりにしているのだ。上で解説したような武器を精製して金に換えるテクニックは一切紹介されない。さらにはシングルプレイで進めてもポーズ機能というものがない。Switchのホームボタンを押したとしてもゲーム内時間は進んでいるため敵に殴られ続ける。魂斗羅になるためにはポーズ機能という軟弱な救済措置は必要ないのだ

 

 そして最大の長所であり欠点であるところはオンラインコープだ。このゲームはオンラインにより最大仲間四人で同じミッションに向かうことができる。プレイヤー一人では単なる火だが、二人集まれば炎となる。炎となった魂斗羅たちは無敵であり、四人集まった場合は画面が弾丸で埋め尽くされプレイヤーが訳分からないうちに敵は殲滅されて戦場は焼け野原だ。その時のテンションの上がり具合は形容しがたい。

 欠点は四人集まることがほとんど無いことだ。マッチングシステムにも問題あり、2分待機したら即一人でミッション開始だ。魂斗羅はせっかちさんなのだ。おかげで過疎のこのゲームでマッチングするのは困難だ。

 

 ここまで読んでもしかしたら「ちょっとやってみようかな?」と思った人がいるかもしれない。頼むから体験版には手を出さないでいてほしい。このゲームの体験版はもっともゲーム内で苦痛な部分だけが収録されている。しかも頑張ってそれを乗り越えてもセーブデータ引き継ぎは出来ない。製品版を購入してもまた最初からやり直し苦痛のステージ1が始まるのだ。これほど計算されつくした公式のセルフネガティブキャンペーンがあっただろうか?

 今ならゲオで半額以下で購入することが出来る。小売価格は5000円なのでそもそも高くないのだが、それでも売れていないことが丸わかりだ。体験版を見れば仕方ないことではあるが。

 

 ちなみに私は小売価格そのままでダウンロード版を買いシーズンパスも購入済みで同時期に購入したデモンエクスマキナよりも長くこのゲームをプレイしている。何故だ。何故なんだ。プレイヤーを振り落とそうとする暴れ馬に必死になってしがみついている間に、私も魂斗羅になれたということなのだろうか。

 この令和という時代に、これほどプレイヤーに不親切でおいてけぼりにするゲームは久しぶりだった。そんなゲームに立ち向かっているうちに魅了されてしまったのかもしれない。これほど雑で、低予算で、画面が汚く、全然マッチングしないのに、面白いゲームに出会えたことは幸運であったのかもしれない。

 

 

11/5 追記

 本日11/5、アップデートがなされた。その内容はゲームバランスの調整と、内部解像度の向上だった。ゲームバランスのほとんどは熟練プレイヤーの不満点を潰す素晴らしい内容である(取ると弱くなるスペシャル武器や、緊急回避にしかつかえないボムの攻撃力アップなどは素晴らしい)。なお、シングルプレイでのラグの低減も今後のアップデート予定に組み込まれたとのこと。

 過疎マッチングに手が入らないのは残念ではあるが、コナミの対応は十分に評価に値する。まだすべての不満点がなくなったわけではないが、ここは素直にコナミへ感謝したい。

人間しか出てこないホラーゲーム -遺作-

 初代バイオハザードをやったとき、振り向いたゾンビのムービーで悲鳴をあげ、窓を破ってきたゾンビ犬でコントローラーを投げつけ二度とやることはなかった。初代サイレントヒルをやったとき、廃病院から過去世界に飛んでそこが刑務所であったことがわかった途端、電源を落とした。
 ホラーゲームは恐怖を得てなんぼのゲームだ。その恐怖の根源とは未知のクリーチャーであったり、幽霊であったり、得体のしれないものだ。
 さて、問題だ。その恐怖の根源が「どこにでもいる用務員のおじさん」であるホラーゲームは成立するだろうか。
 すぐに答えをいってしまうが成立する。それが18禁ホラーエロゲー「遺作」である。


 遺作は1995年にエルフから発売されたゲームだ。
 主人公は高校生で夏休みのある日ラブレターが届き、そのラブレターにより学校の旧校舎に呼び出される。しかしそこにはさまざまな理由で呼び出されたヒロイン6人と、同級生の男子2人がいた。イタズラだと気がついた彼らはさっさと帰ろうとするものの、扉が固くしまっていることに気がつく。取り壊し前の旧校舎には窓も板で打ち付けられており、完全に閉じ込められた状態に追いやられた。嫌な予感が背中を走る。はやくここから脱出しなければならない。さもないと……。


 ゲームシステム的には3Dで構成された旧校舎内を移動し、部屋の中をクリックして探索するもの。探せばアイテムやヒントが見つかり、脱出の糸口が見えていく。ヒロインや男子生徒がいる部屋の中では会話が出来、彼らの過去やここに来た事情の裏を探ることもできる。それらを縫い合わせていくとおぼろげながらも全体像が輪郭をあらわしていく。


 しかし順調にはいかない。ヒロインは唐突に姿を消す。そしてビデオテープが置かれているのだ。それを再生すると映っているのは、学校の用務員である遺作に陵辱されるヒロインの姿だ。

 いままで「何か薄気味悪い用務員」でしかなかった遺作はついに牙をむく。すぐにわかるが、彼らをこの旧校舎に集めたのは遺作だ。そしてヒロインたちを狙ってこの旧校舎に潜んでいる。選択肢を間違えると即遺作はヒロインを浚いそして陵辱する。主人公はそれをなんとかして阻止せねばならない。

 
 謎なのはこの旧校舎、さほど広い構造にはなっていない。なのにどこにも遺作の姿は見つけることはできず、かつ遺作は孤立したヒロインの状況を把握していて即攫うのだ。ヒロインを助ける正規ルートを通っていても遺作は簡単には見つからない。遺作はいったいどこでどうしているのだろうか…。この謎を解かない限りは真エンドを見ることが出来ない

 ゲームシステム的に面白いのが「ハズレを選択するとHシーンが見れる」という構造になっていることだ(とはいってもオッサンである遺作がヒロインを犯すものだが)。これは構造的に後のボンバーガールにも見られるもので(やられると操作キャラの服が破けてしまう)、プレイヤーの謎解きストレスを深刻なものへとさせない作用をもたらしている。

 いくつかのバッドエンドに突入し、それでも適切な選択肢を探し出し、ヒロインを守り、真実へと徐々に近づいたプレイヤーは、次第に遺作の本当の恐ろしさに触れることになるだろう。
 遺作はクリーチャーではない。幽霊でもない。力はある方だが、それでも常人の粋を超えていない。そんな遺作はまさしくホラーゲームに登場する敵として最適なほど恐ろしいキャラクターである


 遺作は人に罪悪感を埋め込ませ、それを左右し誘導する。人を意のままに操ることに長けている。その上、まだ操っていない相手に対しても心理の裏をつくことが得意だ。意表をつき姿を隠し、不意をつく。そして恐ろしく計画的で残忍だ。バッドエンド、旧校舎に閉じ込められた主人公らは身も心も遺作に陵辱されたあと、縛られ火を放たれる。燃え盛る旧校舎、遺作は証拠をすべて消し去り完全犯罪を成り立たせるのだ。
 周回したプレイヤーが謎を解いていくことで、遺作がどのようなトリックを用意してきたのかわかる。登場人物の中の一人が見事に遺作の罠にかかり、それにより誘導させられたことに気がつく。しかしそこまで謎を解いたところで、遺作の罠はまだ残っているのだ。そもそもこの旧校舎に閉じ込められた時点でほとんど遺作は勝利を確定していたも同然なのだから。



 このゲームの素晴らしいところは、遺作があくまで「人間」であることに重きを置いていながらもホラーとして恐怖を掻き立てることに成功していることだ。鬼畜を自称し、完全犯罪を犯し、人の心を操り、陵辱するのも、遺作があくまで醜悪な人間の範囲内で行われることだ。己の欲望のためならば犯罪を犯すことに躊躇がない。最後の最後まで丹念に描かれたその描写に、遺作はある種のダークヒーローのような見方も出来てしまう。人間の倫理観を捨てた人間はかくも恐ろしい存在に昇華することができるのだ。

 このゲームに銃はない。剣もない。霊を封じ込めるカメラもない。他のホラーゲームのような対抗手段が用意されてない。
 遺作はクリーチャーではない。だが恐ろしく機転の効く上、倫理のタガが外れている。そんな相手を倒す手段といえば……そう、こちらも機転を利かすのだ。なんの変哲もない、使い所もないようなアイテムを機転を利かすことにより、遺作はあっけなく首の骨を折って死ぬ。遺作はクリーチャーではないからだ。


 遺作の魔の手から逃れた主人公。しかしヒロインの一人でも遺作の毒牙にかかっていた場合はバッドエンドに進む。
 新学期、悪夢のような夏休みを終えた主人公の机に置かれていたのは、なんと旧校舎に呼び出しをうけたときと同じラブレターだった……。この悪夢から逃れるには、すべてのヒロインを助けなければならないのだ。真エンドを見なければ遺作から開放されたことにはならない。


 そして真エンドはヒロインの二人、どちらかと結ばれる展開となる。その幸せそうなヒロインと主人公の表情にようやくプレイヤーは安堵することができる。死してなお人を苦しめる遺作の悪夢を打ち倒すことができたのだから。


 真エンドを見たあとのプレイヤーは選ぶことができる。このゲームを完全に終了させることか。それとも、まだ遺作に捕まったことがないヒロインのビデオテープを見つけるため、バッドエンドを再度見るか。
 さて、このときのプレイヤーと遺作、どちらが「鬼畜」だろうか? …こういった問題に手を突っ込んだのが、次回作「臭作」である。

 このゲームには人間しか出てこない。そしてそれをプレイするのも人間なのだ。

これで全部だ -DS悪魔城ドラキュラ三部作レビュー-


 前回のレビューでGBA悪魔城ドラキュラ三部作を紹介したが、実はこの後、DS上においてもメトロイドヴァニア三部作が展開されている。私は今まで長らく三部作の最終作を未プレイでいたのだが、親愛なるフォロワーの好意によりついに三部作すべてをプレイすることができた。フォロワーの好意を返すために、ここに三部作のレビューを書き残すことにする。なお、「奪われた刻印」のみ自分で購入したものではない、借り物でのプレイであるため主観に若干の差異があるであろうことを、予めお伝えする。お含みおきを。


蒼月の十字架


 DSで初めて発売された悪魔城ドラキュラ。ストーリー的には前作暁月の円舞曲の続編に当たる。……の、はずなのだがなぜかキャラデザが大きく変わっている。前作は月下ベースの耽美的な絵柄だったのが、今作はアニメ塗りなやや低年齢層向けなキャラ絵。それはそれとしてオープニングは今の視点から見ると古さを感じさせる代物だが力が入った上にシステムをうまく解説しているものになっているので、ぜひ一度見て欲しい
 主人公は来須蒼真が続投、前作のエンディングでドラキュラの力を全て失ったはずの蒼真は、魔王復活を企む教団の動きを見つけ、再度自らの力を発揮し魔王復活を阻み、みずからの因縁に終止符を打つ…というもの。


 前作をプレイした人ならほとんど変わらないゲームプレイにスムースになじむことができるだろう。敵を倒すと低確率でその力(ソウル)を吸収することができ、アックスアーマーなら斧攻撃を、ゲーゴスならレーザー攻撃を、ブラックパンサーなら超高速ダッシュを習得できる。それらのソウルは装備で切り替えできるが、中盤に習得できるソウルでXボタンで装備をあらかじめセットした二種を瞬時に切り替えられるようになる。これにより「移動用」「戦闘用」といったセットの切り替え、「ソウル収集用」「経験値稼ぎ用」といった切り替えを容易に行うことが出来る。


 これらは前作を踏襲したものだが、DSへとプラットフォームを移したことで新規要素がいくつかある。
 特に大きなものが二画面を活用したマップとステータス画面の切り替えだ。DSの下画面部分がメイン画面となり、上には常時マップが表示されることになる。これを見ながらの探索がとにかく便利だ。道に迷うことが格段に少なくなり、次なる目的地へ最短距離で突き進められる。その上いつでもセレクトボタンで今戦っている敵ステータス画面と切り替え可能だ。このステータス画面で敵の弱点属性を把握することができ、かつ敵が落とすドロップアイテムやソウルも把握できるという便利機能。探索とアクションの両方をすすめるゲームとして、この切替はGBAであった前作と比較して圧倒的な優位になる。


 そしてもう一つは魔封陣である。ボス戦で一定以上のダメージを与えると画面がフラッシュし、そのまま下画面にタッチペンで魔封陣を一筆書きするようになる。ボスに適合した魔封陣を描くことで封印成功、ボスを倒したことになる。
 「ん? このシステムなんか意味あるのか?」と思った方、鋭い。この魔封陣システム、DSロンチの頃によくあった「とりあえずタッチペンを使ってみよう!」的システムで、これでなにかプレイヤー的に有利になるわけではないし、面白さがあるわけではない。強いて言えばマップ状の行き止まりとして機能している(たとえボスのいる部屋の手前にきても、対応している魔封陣を所持していないと戦うことが出来ない)くらいで、タッチペンをこんな風に使っても……。
  

 ただタッチペンの活用がすべてダメだったわけではない。道中の障害物をタッチペンで壊すことで先にすすめるようになっている仕掛けもあるのだが、全部壊してしまうと足場になるものもなくなってしまうので、適切に選んでタッチしていくことになる。これはなかなかよいギミックだと思う。跳ね返る玉を指定した場所においこんでタッチペンで破裂させるギミックもなかなか良かった。


 また前作もそうなのだが、コナミ特有の「複数同時描写による超巨大多関節敵キャラ」がとにかく見事だ。DSではできそうにないような下画面の1/4を占める巨大敵がぐりぐりとなめらかに動いて行く手を阻む。その種類も豊富なので見ていても楽しい。(なお、この同時描写技術は引き継がれラブプラスにつながっていく)


 全体的に前作からのパワーアップ版という今作だが、それゆえやはり「お目当てのソウルがとにかく出ない」という前作の悩みを引き継いでしまったという感が残ってしまった。また説明書もとにかく不親切で「STR:力 CON:肉体の強さ」などと教えてくれるが、具体的にどういう意味合いを保つのかはプレイをしてもなかなか分かりづらい(まさかLCKがソウル吸収確率に作用するとは思わなかった)。こうしたところに10年昔以上という年月を感じることができる。DS初期の作品であるがゆえ、こういった細かなところは目をつむって欲しい。


 そんな年月の長さを感じさせてしまうものの、それを差し引いても名作といっていいゲームである。良好なゲームバランス。迫力あるボス戦。ソウルの組み合わせで広がる戦略性。DSのゲームソフトなれど現在中古で高値安定してしまっているが、ぜひプレイしてもらいたい作品だ。




ギャラリー オブ ラビリンス


 前作、蒼月の十字架は続編ものであったが、今作は新キャラクターのジョナサン・モリスとシャーロット・オーリンが主人公であり歴代シリーズとの関連性はあまり強くない。一応メガドライブ版のバンパイアキラーの主人公ジョニー・モリスの息子がジョナサンだということが織り込まれているが、バンパイアキラーを未プレイの私でもスムースに世界観にのめり込めた。


 今作は、前作のソウル・装備切り替えの進化させたシステムが積まれている。ジョナサンとシャーロットはボタン一つで瞬時に入れ替わることが出来、さらにはパートナーのサブウェポン援護、パートナーとの同時攻撃、パートナーの肩に乗ってハイジャンプといった多彩なアクションを導入している。こうしたアクションの多様性は「それを活用しないと難局を突破できない」という選択肢の乏しさにつながる可能性もあるのだが、今作はそこまで難易度を上げておらず「駆使をすればより速く。そうでなくても突破自体はできる」という上手い具合の難易度調節が施されている。


 また今作は敵ドロップの他、とにかくあちこちに武器がスキルが落ちている。ジョナサンはあらゆる武器を使いこなせ、シャーロットは魔法のスペシャリストだ。槍や大剣を拾えばジョナサンが振るい、シャーロットは炎や氷の魔法をガンガン習得していく。そして二人が一致協力することで画面内外の敵を一層するスペシャル技も存在する。これがとにかく強力なので気持ちがいい。ボス戦でももちろん使えるが、インターバルが必要なので、これだけ連発してボスをやり過ごすことはできない(とはいってもサウザンドエッジをうまく当てるとなんとかなるボスも多いのだが)。
 前作と比較してみると、この仕様はうまくハマったと評価できる。前作のソウルはほとんど運任せだったのだが、今作は進行度に合わせて武器が手に入るためだ。それにあわせて熟練度というシステムがあり、ジョナサンのサブウェポンは切替可能だが使いこなすことで熟練度が溜まっていきより強くなる。初期から手に入る斧やちょうこうせきなどは最終盤でも頼りになる。


 画面のレイアウトでは大きなアップデートはなく相変わらずの快適な二画面サポートだ。上画面にはマップか、敵ステータスかのどちらかが常時表示されている。細かな点になるが、このゲームでは「絵の中に入る」という要素が組み込まれている。大マップのステージのあちこちに点在している絵の中には、中マップというべき別フロアがあるのだ。それら個別個別にまた中ボスが住んでいるのでそれを突破することになるのだが、これが探索というシステムとうまく組み込んでいる。

 前作蒼月の十字架は大マップ一つをワープ装置で移動していた。これはGBAシリーズからの恒例ではあるが、本作において別マップを用意したおかげで「迷わない探索」をすることがより可能になったのだ。大マップの他に細かな中マップを多数用意することで、どれがどこまでコンプリートしたのかをプレイヤーは簡単に把握することができる。前作まではどうしても「次にどこへ進むのか」を考える必要があったが、今作からは開放され、「とにかく次の中マップを探索する」ということに専念できるようになったのだ。また、絵のなかに入るというストーリーのため舞台は悪魔城に限らなくても良くなった。町中、砂漠、サーカス、学園と様々だ。ステージを進むことに絵柄がかわるのは見ていて飽きない(前作も一応舞台は悪魔城ではなかったのだが)。


 また今作もコナミサウンドらしくDSの限界を突破した音楽が盛りだくさんだ。ストーリー中、「聖なる鞭バンパイアキラーの封印を解くため過去の持ち主であるベルモンド一族の記憶と戦う」という展開が待ち構えているのだが、そのベルモンド一族とはスマブラにも参加したリヒター・ベルモンド! そしてその時流れる音楽は乾坤の血族! 原曲はCD録音だというのに、それに負けない良アレンジと良音質で対抗している。その他にも名曲・名アレンジがあふれんばかりにつまっている。なおスマブラSPに収録されている乾坤の血族アレンジは、原曲のアレンジではなく、このギャラリーオブラビリンス版のアレンジなのだ。是非一度耳を通して欲しい。


 今作はプレミアがついてしまっているため、ヤフーオークションでも定価超えしている(概ね8000円のようだ)。そのため「ぜひ買って欲しい」といえる状況ではないのだが、何かの機会で手に入れることができたら、それは幸運だ。プレミアソフトだからといって神棚に飾ることなく、ぜひゲームプレイを楽しんで欲しい。



奪われた刻印

 DS悪魔城の三部作最終作。ストーリーも相変わらず直接的な続編ではなくて、新主人公シャノアがドラキュラ復活阻止に動くもの。
 同一プラットフォームで同ジャンルとなる三回目となるため、マンネリ化を防ごうといろいろと試行錯誤した結果が見て取れる。今作は主人公一人だけでかつ記憶を失ってしまっている。自分の失われた記憶を探るため、自分の使命を果たすため、裏切り者になった兄弟子を追いかけるというストーリーが背景に進むのだが、なんと今回はワールドマップ採用で補給拠点となる街が存在する。街の住民も各地のダンジョンに掴まっているので彼らを開放し街の活気を取り戻しつつ、かつその住民たちのお悩みを解決する(クエスト)という多重構造になっている。クエストをクリアすることで店にならぶ商品の種類が増え、装備も増える。金が足りなくなってきた頃に大量の金が報酬として貰えるクエストがでてくる。このバランスの良さは見事だ。


 ワールドマップの思い切った採用もうまく作用している。一度クリアしたマップは出口からも戻れる仕様になっており、探索を容易にした上でサクサクと次に進める仕様となった。その上通常のワープポイントもあるのだから、狙った敵へのドロップが簡単になり、復活する宝箱の存在でダンジョン周回をしクエスト用素材を掘るようにもなった。(これは良し悪しかもしれない)
 ワールドマップで各地を回ったシャノアが特定条件を満たし、とあるボスを倒す。そうすると現れるのは悪魔城。自らの記憶も、使命も見失ったシャノアが悪魔城の前に立ち、そしてドラキュラを討つ決意を固め悪魔城に乗り込むと同時にシャノアのテーマが流れ出す。この演出はストーリーと音楽とも絡み合って本当に素晴らしい。


 独特のシステムとしてはRボタンでシャノアは魔力吸収することができる。普通は町の住民を開放したり新しい魔法を獲得するために使うのだが、敵が魔法を使う準備動作で魔法陣を描いている場合は、それを横取りして吸収することができる。新しいスキルが獲得できるうえ相手の攻撃も塞ぐことができる。この魔法陣の引っ張り具合はうまく描写されていてなかなか楽しい。


 またシャノアはすべてをMP消費して攻撃するキャラクターであり通常攻撃というものがない(前作のシャーロットをさらに極端にした感じだ)。そしてMP回復がシリーズ中ずば抜けて早い。そのため強力な魔法攻撃を連発して敵をなぎ倒して進む、ということが可能になっている。レベルアップや各所に隠されたHP/MP底上げのポーションを獲得することで、さらに上位の魔法を連発することができるようになる。
 

 しかし困ったことに、今作は良質なゲームシステムであるのに対して、ゲームバランスの調整はあまりにも高すぎる難易度に設定しすぎている。床に設置してあるダメージトラップに引っかかればHPの1/4はもっていかれ、敵の攻撃は不規則で読みにくいうえに大ダメージだ。毒にかかると攻撃力と防御力は大幅に減り(これはシリーズ恒例ではあるが、前作においてはキャラ切り替えがあるため致命的にはならなかった)、呪いにかかると一瞬でMPが0になるためシャノアは攻撃不能に陥る。しかも毒・呪いは敵に接触すれば確実になるため、アンチドーテ、アンチカースはいくらあっても足りない。回復薬やアンチドーテが比較的安いのが救いだが、これはむしろスタッフの「不慣れな人は治療薬ガンガン使って突破してくれ」という思いが透けて見えてしまう。


 ボス戦でも高難易度は続く。2画面分の巨体をふるうボスと戦うというシチュエーションは素晴らしいが、そのボスの攻撃方法はあまりに大胆すぎて避けようがない。しゃがんでも、スライディングしても、二段ジャンプしても体当たりを食らう。結局回復薬頼りの特効作戦に至る。
 最後のドラキュラ戦においては、攻撃の一部は「体力の1/5を削る上に秒間で5発食らう多段ヒット」というありさま。回復薬使う暇さえあたえられず食らったら即終わりだ。運よくメニューを開けて回復薬で全快しても、メニューを閉じた途端多段ヒットして終わる。攻撃を受けたあとの無敵時間という軟弱な救済措置はこのゲームにはないのだ。


 そのうえHP0がゼロになる場合、シャノアは悲鳴をあげて跳ね飛ばされ、画面が暗転しデスの姿が表示される。そしてコナミロゴが現れリスタートする場所は元のセーブポイントだ。そこから元のボス戦へ戻ってくるのに30秒以上かかる。この高難易度でゲームを作るのなら、リトライボタンを作るべきだった。おかげで異様なストレスのもと何度も何度も倒せない高難易度ボスに挑むことになる。ゲームオーバー回りの仕様は歴代シリーズおなじみではあるのだが、ワールドマップ採用までしたのだから、即リトライできるようにまでシステムを改善すべきであった。


 レスポンスが悪くゲームの流れがよどんだ結果、プレイヤーの印象がどう変化するか。これは「難しい」のではなく「理不尽」なのだ。私はクリアまで至ったが、それでも「結局あのボスはどうやって倒すのが正解だったのか?」と思うボスが多数いる状況。プレイしなおして再挑戦したいとは思わない。


 出荷量の問題だろうか、中古価格は高騰しており相場は11000円程度。借りてプレイをした者が言えたセリフではないのだが、とてもおすすめはできかねる。




 以上でDS悪魔城三部作のレビューを締める。DS悪魔城三部作は一時期値段が2000円にまで落ち込んでいて(蒼月の十字架においてはベスト版が二度も発売されていたくらい)、そのときに買えたプレイヤーと、そうではないプレイヤーとで主観にかなり相違が生まれるのではないだろうか。中古ソフト高騰には各種動画サイトのRTAやTAS動画人気があると思う。それで興味をもった視聴者が多く生まれたことは喜ばしい。なんとかして適正価格で正規のルートでゲームを配信できないものだろうか、とも思う。DSという独自プラットフォームがここにきて逆に障壁となってしまうことがなんとも皮肉だ。WiiUでDSソフトが配信されたとき一時期待したが、それもやはり応えられずに終わったようだ。

 何らかの形でこれらのゲームが広くプレイされる状況を願って、この記事を締める。長々とした記事を最後までお読みくださり誠にありがとうございました。