平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

PCエンジンminiが届いたときに

本日PCエンジンミニが届きました。
早速接続し、スイッチオン。今の時代、HDMIとUSBで何でも済ませられるのは素晴らしいと思います。

そしてコントローラーを握った私を襲ったのは違和感でした。
なにかが違う。
コントローラーはこんなに固くなかったはずだ、と思いました。PCエンジンのコントローラーはもっとふにゃふにゃで手応えがないはずだ、と。

そして一瞬後わかりました。私のPCエンジンのコントローラーは、使い込み使い込み、その結果ふにゃふにゃになっていったんだと。

ああ、そうだ。子供の頃必死にゲームに立ち向かい、コントローラーを握りしめた結果の結晶があの感覚なんだと。

改めて新品となったコントローラーを握りしめ、再度かつて立ち向かったゲームたちを前にこう思います。

ありがとうPCエンジン。そして、これからもよろしく。

光のゲームと、闇の裏事情 -幻影異聞録♯FE ENCORE-

以前このようなレビューを書いた。WiiUで発売され、そのままあまり日の目を見ることなく沈んでいったとあるRPGへのレビューである。
しかしレビューを書いて二年後、ゲームが発売されて四年後という今、あろうことかSwitchへと追加要素を含んだ移植がなされた。大変喜ばしい。
この幻影異聞録♯FE ENCORE」について、前回書いていなかったこと、WiiU版との変更点を含め改めてレビューすることにする。



まず、大まかな違いから解説しよう。オリジナルWiiU(以下オリジナル版と記載)にはいくつかDLCが存在し、Switch版のENCORE(以下ENCOREと記載)にはそれらが最初から全て含まれており、追加衣装や経験値・熟練値稼ぎすることができるおまけダンジョンが内包されている。とはいえこれはおまけや救済措置であり、別にオリジナル版をプレイする人はDLC必須ということではない。
戦闘へ移行する際のロードが高速化され、また最後の方へとなると冗長化するセッション攻撃演出を簡素化することも可能となった。ダンジョンへと移動する際の読み込みもかなり軽減化された。


WiiUとSwitchのスペック差がダイレクトにプレイ環境へと響いたという感触を受ける。思った以上にサクサクと進めてオリジナル版のテンポのイマイチさに今更ながら気がつくといった具合だ。セッション演出の簡素化は必須ではなかったが、後半なんども見せられることになるので経験値稼ぎのときには使うとスムースに行えた。
また新しい追加シナリオが収録されている。もともとオリジナル版でストーリーが完成してしまっているため、新たな敵、新たな展開を追加するというわけにもいかない。そのためエンディングに向かう手前の合間合間にあるショートストーリーを追加したような印象だった。上手くキャラの魅力を掘り下げたとは思うが、これだけを目当てにENCOREを買おうとするファンはすこし肩透かしを食らってしまうかも知れない。


またオリジナル版は手元のゲームパッドにLINE風のメッセージやり取りを表示させていたが、ENCOREにはそれが実現不可能なため通常画面に上乗せするようにそのメッセージを乗せている。この画面にミニマップが表示させられていたので、その点でいえば劣化したといえるかもしれない。わざわざマップを確認するためにボタンを押すのは億劫だ。


追加要素をまとめると「オリジナル版を高速化+おまけストーリーを追加した」といった具合になる。続編ではなく移植であるためこれくらいでちょうどいいのかもしれない。
高速化されたゲームプレイは非常に快適で、前回のレビューで触れた「奥深い戦闘システム」にどっぷり浸れることになる。この点は明らかな優位性だ。



そしてその快適なゲームプレイに応じて、キャラの魅力も存分に味わえる。前回のレビューではさほど触れていなかったが、このゲームは濃厚なキャラゲーだ。ファイアーエムブレム初代と覚醒のキャラクター(厳密にいえばパラレルワールドの存在だが)と、現代の高校生(一部小学生)らの心の交流はプレイヤーの胸にガンガンと突き刺さってくる。

心を交わしミラージュマスターとなった主人公らに対して協力者となったミラージュ異世界の霊体を差し、ファイアーエムブレムシリーズの英雄たちもこの中に入る)は、普段でも彼ら良き相談相手となり戦闘の間も掛け合いを繰り出す。



主人公樹がコマンドを選択するときはクロムが『その攻撃は効果的なようだ』と弱点を教えてくれるし
必殺技を選択しようとすれば『その技で決めろ!』と激をいれる。
ターンが回ってくれば二人は声を合わせて「『運命を超える!』」と叫び
クロムがオーバーロードにクラスチェンジした後は樹が「ちょっと悪役っぽいな…」と漏らしクロムが『なんだとぉ!?』と声を張る。


ヒロインつばさのミラージュは初代ヒロインのシーダだが、この二人は仲の良い姉妹のように息がぴったりだ。
ターンが回ってきたつばさが「消費したカロリーで!」といえばシーダ『特大パフェは無理そうね』と返し
新しい衣装に着替えて戦闘に舞い降りれば『可愛いわつばさ!』シーダが喜び、「ありがとう!」とつばさが受ける(なお、物語前半だとつばさは思いっきり狼狽える)。
物語途中でも二人はよくおしゃべりし、シーダ『どうすれば男の人の心が動かせるのか……私にはまったくわからなかったわ』!?)と漏らしつばさは「そうだよね」と相づちを打っていたりする。



ヒーローに憧れる赤城斗馬のミラージュであるカインはマスターである斗馬の夢、特撮ヒーローの主演になることを素直に応援しているし、元から大人気アイドルであるキリアのミラージュであるサーリャは双方が足りてないところを補うあうような関係だ。ことあることにハリウッドを持ち出すスターを夢見るエレオノーラと、ことあるごとに貴族的振る舞いを持ち出すヴィオールのコンビは衝突することもありながらも『貴族的に行こうエリーくん』「ハリウッド的に!」なんて掛け合いをして必殺技を繰り出していく。
まだ小学生の源まもりのミラージュ、ドーガは心配性な保護者のような振る舞いをしながらも、彼女のサイドストーリーの最終章では少し大人になったまもりに対して「喜ばしい限りです。ですが嬉しい反面、寂しくもあります。……こうして、大人になっていくのですね」と成長を喜び自分の手から離れていく未来をすでに予想していたりする。


孤高の俳優、剣弥代についているナバールは、物語後半彼のためにあえて一計を案じ彼を騙す演技をする。ことが済んだあと弥代はナバールの演技力に感嘆し「お前も中々の役者だな」と褒めるが、ナバール『当然だろう。常に一番近くで、一流の芸能に触れているのだ』と返す。



強い信頼感で結ばれているキャラ同士の掛け合いは床をのたうち回りそうになるほど甘く光り輝いている。このゲームは最初から最後まで濃厚な掛け合いが満載だ。それがエンディングの一抹の寂しさに繋がり、その先の輝ける未来を想像できる信頼へと結ばれていく。直接的な戦闘やストーリーに絡んでいるわけではないが、この掛け合いはこのゲームになくてはならない要素だとわかるだろう。プレイして、是非貴方も床をのたうち回ってもらいたい。



それはそうとオリジナル版、ENCOREとゲームを二周して気がついたことがある。このゲームの最大の弱点だ。
このゲームは現代の東京を舞台にしているが、実際に敵とたたかう場所は東京の裏の顔、「イドラスフィア」だ。イドラスフィアはいくつもあり、いわゆるRPGのダンジョンとして機能している。このイドラスフィアは単純な迷路というわけではなくその中にある仕掛けを解いていく構造になっているのだが、その仕掛け一つ一つがやけに引っかかる。はっきりいうと「面白くない」。


「撮られてしまうとスタート地点に戻されるカメラが設置してあるダンジョン」はまだいい。
立体構造になっていて飛び降りていく箇所を選択しながら進むのもよかろう。

「踏むとトラップが作動する床と、見えない壁を複数個のスイッチで切り替えて進んでいくフロア」人の悪意を具現化したようなダンジョンだった。さらに進むと「あみだくじ状に動く床と、進む先がわからない床とを駆使してパズル状構造になってるダンジョン」を乗り越える必要がある。このあたりはいよいよ制作スタッフに意地が悪いグレムリンが憑いてしまったのか? と思わずにはいられない。ギミックを突破した喜びがあればいいのだが、それはいまいちなくてとにかく手間だけがかかる印象しか残らない。戦闘が楽しいのが救いなのだが。

イドラスフィアの一つ、幻想だいたまを歩みをとめてぐるぐると背景を見回してみると、その出来栄え、作り込みの綺麗さに気がつく。他のイドラスフィアもそれぞれの気色にあわせた華麗な背景になっている。なっているのだが、実プレイ中はギミックにイライラすることが多くなかなかそちらのほうに気をやることができないのが残念だ。事実私もWiiU版でプレイ中そこまで気にしていなかった。



そしてもう一つ、このゲームの弱点について触れなければならない。


冒頭部にてこのゲームのことを追加要素を含んだ移植と評したが、これは厳密にいうと間違いだ。このENCOREにはオリジナル版から抜け落ちた要素が一部ある。それを詳しく解説する。
もともとのオリジナル版は日本で発売されている。しかしそれを欧州・海外にて発売する際に一部の表現内容を変更して発売されることになった。このENCOREを「ポリコレ規制版」と呼ぶ場合もあるが、実際はポリコレ規制というよりももう少しややこしい。


日本ではゲームはすべてCEROというレーティング団体が審査し年齢制限を決める。日本においてはオリジナル版はCERO B(12才以上推奨)だ。しかしこれがアメリカで発売する時はESRBというレーティング団体を通さねばならない。
アメリカにおいては「未成年の少女の肌の露出」および「少女が水着姿で仕事を行う」といった要素が非常に厳しい目で見られる。もし日本版をそのままローカライズした場合はESRB M(17才以上推奨)あたりになったのではないだろうか。ペルソナ4ペルソナ5などがこのESRB Mを受けているが、アメリカの小売事情は日本のそれと比べて厳しく、年齢確認と保護者への同意確認が必要になっている。日本でも同じことがいえるが、アメリカでは可能な限りレーティングを下げるためメーカーも必死になる。そのためこれらの要素を減らした海外版としてつくられESRB T(13才以上推奨)の認定を受けた


その結果、ヒロインたちのユニフォームから露出が減少し、ヒロインつばさが水着グラビアを行うイベントが普通に衣服を着込んだままグラビア撮影に挑むイベントへと改変された。
ENCOREのみをプレイした人たちはこのイベントに違和感を覚えることはないだろう。うまい具合に修正が及んでおり、違和感を覚えそうなセリフが広範囲に直されているからだ。
しかし水着グラビアという仕事を通じ、最初こそ羞恥心を覚えていたためにカメラマンの不興を買ってしまったつばさが、撮影されることとはどういうことか、自分自身で答えを見つめ改めて水着姿に挑み、敵ミラージュから『なんだその格好はぁ? 恥ずかしくねぇのか』といわれたときも仁王立ちで「恥ずかしくありません!」と返すイベントが、この修正によって本質を歪められてしまった。ヒロインのつばさは水着姿でも堂々と立ち向かえる子なのだ。それこそ皆が応援してくれるアイドルの構成要素であるとわかっているからだ。ENCOREではそこまで至らない。それが非常に残念だ。


なぜ日本においてENCOREもこのような表現規制がなされたままだったのか。理由は明白だ。そもそもこの幻影異聞録♯FEというゲームがさほど売れていないからだ。日本国内でオリジナル版の売上本数パッケージ版で3万本。完全新規RPGの開発費をペイできたかというと、まず間違いなく無理だろう。このSwitchへの移植は低予算なプランでしか動きようがなかった。そのため日本だけオリジナルのまま作り直すということはなく、世界全体で低いレーティングが受けられる欧州版をグローバル版として、それをそのまま日本向けに再ローカライズした。


ここまではまだいい。世知辛い業界の寒風が吹き荒ぶ中、それでもよくやったと言ってあげたくなる。しかし問題は任天堂がこのENCOREを発表後、しばらく日本の公式サイトで元の日本オリジナル版の画像を掲載していたことだ。これで一時混乱が発生した。結局任天堂はENCOREが表現規制がされたグローバル版であることを認め、事前のダウンロード版を購入したユーザーが希望すれば返金に対応する羽目となった。


つまりこれは、任天堂がこのゲームに対して全く興味を失っている」ことを露呈させてしまったということだ。わずかにでも複雑な経緯を持った自社製品に対して把握していれば、このような事態は起きるはずがなかった。しかしENCOREの広報は上記の事情を把握していなかった。把握していれば、発表と同時に「残念なお知らせですが、これはオリジナル版とは一部表現が違う箇所があります」と周知することができ混乱は少なく済んだはずだ。今から言っても詮無きことだが。


ゲームを購入しようとするプレイヤーに対して、メーカーは真摯であるべきではないのか? 輝くような青春と掛け合いを描写するゲームの内部事情が如何に寒いことになっていても、それを隠して精一杯売ってみせるポーズをとってみるのがゲームメーカーというものではないのか? 表現規制よりも何よりも、私はこちらのほうががっかりした。


とはいえ「抗議のために不買」というスタンスは私は取らない。生まれてきたゲーム自身には罪はない。それよりもこのゲームが売れずに埋もれた場合、真の意味で幻影異聞録♯FEは死ぬだろう。そちらのほうが私にとっては悲劇だ。


もしENCOREをプレイして興味をもった人がいるならば、是非オリジナル版もプレイしてもらいたい。きっと織部つばさのことをもっと好きになれるだろう。幻影異聞録♯FEを発売したこと以外について任天堂に感謝をするならば、その導線をこのENCOREで作ってくれたことだろうか。

シリーズ完結編は最高のファンアイテムだった -ランス10-

平成の最初に生まれ平成の最後に完結したゲームシリーズがある。


ランス


アリスソフトより発売される正真正銘のエロゲーである。
典型的中世ファンタジー世界観のように見せかけ、なぜかハニワが亜人として住み着いていたり、ヤバそうな名前の雑魚キャラヒムラーとかゲッペルスとか)が大量にいたり、和名のキャラ(しかも忍者や魔法使いとして)がさも当然に紛れていたりとするヘンテコ世界観で、そんな世界に住む『可愛い女の子は全て俺のもの!』な鬼畜でやりたい放題な破天荒冒険者ランスが主人公のゲームだ。
ランスは冒険したり命を狙われたり時には国一つを救ったりもする。その合間に女の子を抱いたり女の子を抱いたり女の子を抱いたりもする。というかまあ、ランスの目的はむしろそっちなのだが。


今作、ランス10はシリーズの完結作である。



面白かった! 



ただそれに尽きる。今までのシリーズでランスは魔族の女の子を襲って身ごもらせたり、エルフっぽい女の子(カラーと称される)を襲って身ごもらせたり、奴隷とよぶヒロイン、シィルが氷漬けになったりそれを解かしたりしていたが、それらの冒険で広げられた風呂敷が見事に集約して畳まれていった。素晴らしい流れだった。


ランス6で出てきたダークランスがこういうキャラになるのか!」
戦国ランスでもがき苦しんだトラウマがようやく解かれるときが来たか!」
「ランス9で上手くリファインされたシーラが激強キャラになってる!」
「マリアお幸せに」
「メディウサ絶許」


などなど、ゲームを進めるたびにシリーズのファンならば頭に衝撃がガンガン走る展開になっている。最終決戦が終わったあと流れるエンディングを見た時には半ば放心状態になっていた。無尽蔵に広がる風呂敷に「無事にこのシリーズは完結できるのだろうか」という疑問が湧き上がるのに対してアリスソフトは完璧な答えを提示した。お手上げだ。ここまで完璧だと降伏するしかない。
「勇者と魔王はいくら倒しても別の存在が新たな勇者と魔王となって復活する」「魔王はかならず破壊衝動に飲み込まれる」「それらを作った創造主は人がもがき苦しむ様子を楽しんでいる」などといった「こんなのどうやってもグッドエンディングになるわけないよな……」といった設定を、見事打ち返して場外ホームランにしたてた。


最後の最後の最終局面、恐ろしいまでの伏線回収を行った上、ランスは「全員、俺様についてこい!」というセリフをパーティメンバーと、プレイヤー本人にも投げつける。傍若無人で怖いものなしで無鉄砲・無計画、プレイヤーに対しては「女の子を犯す」「女の子たちを犯す」かなんてろくな選択肢をよこさなかったランスが、初めて真の意味で「世界」を守る英雄、プレイヤーの代理人へと昇華した瞬間だ。血がたぎるセリフである。30年という歴史を背負ったキャラだからこそいえる最高の、最強のセリフだ。褒めることしかできない。他のゲームシリーズではどうやっても真似できることができないだろう。



もし以上の文章にて興味をもって「ランスシリーズをやってみたことがないんだけど、ランス10をやってみようかな?」と思った人はちょっとまって欲しい。ランス10は今までのシリーズファンだからこそ脳天をぶち抜かれるのであって、ランスを知らない新規層向けのゲームではないのだ。


そしてもう一つ、「決して楽しくはない」のだ。



ついさっき面白いと評したばかりだが、詳しくこのゲームをシステム面から解説していこう。


このゲーム、2018年に発売されたにしてはあまりにプレイヤーに対して不親切すぎる。


敵と味方、お互いが向き合い行動力を使用したり溜め込んだりして攻撃しあうターン制バトルを採用しているのだが、このシステムを解説する努力を完全に放棄している。各キャラの使えるスキルはバラバラで、何がどう強いのかは使ってみないとわからない。
同じスキルを次ターンにも使うと行動力にペナルティが生まれることだけチュートリアルで説明してくれる。が、具体的にどのスキルがどう作用するのかは実際に試してみるのがもっともわかりやすい。わかりやすいだけで理解できるとは限らないのだが。



そして各ルートの宝箱をあけることでいままで歴代の出てきたキャラがランダム(※ここ重要)で手に入る。そのキャラをリーダーとしてセットすることで戦闘のときにスキルを使えるが、控えキャラになった場合でも各々のリーダーのステータスにプラスに作用される。だからキャラをたくさん獲得したほうが有利になるため宝箱が非常に重要になる……のだが、おそろしいことにこれらの解説はゲーム内では一切なされない。私がこのシステムを理解したのはBBS PINKのランス10本スレを読んでからだった。まさか30半ばも過ぎてBBS PINKのエロゲー板に行くことになるとは思いもよらなかった。


一応説明書にあたるヘルプは同梱されているが、はっきり言って無駄だ。自分が何を調べたいのかすらわからない初心者に無関係の事柄を細かに書かれたヘルプは害悪にあたる。私が知りたいと思った情報を与えてくれることは一度としてなかった。ありがとうBBS PINKの人たち。キャラのもつスキルの効果を知りたい場合は詳細ボタンを2度押すとは思わなかった。

しかもこのゲームのバランス調整はなにかおかしい。二戦目のボスにしてバトルシステムを熟知していないと倒せないキャラがでてくる。そんなボスがでてくるならば、事前にバトルシステムを段階的に周知させていくようなデザインを施さねばならない。私が最初にそのボスと戦ったとき「負けイベントの判定バグか?」と疑ったほどだ。1991年に出たFF4でさえ、霧状態のミストドラゴンに攻撃するとカウンターをくらうと親切に教えてくれたはずだ。


ようするにこのゲームは非常に難易度が高い。時間制限があり指定されたターン内で条件が満たされなかった場合、シリーズをやり通してきて見知ったキャラがあっけなく死んでいく。国が滅ぼされてヒロインは陵辱される。そして最終的には主人公ランスたちも殺される。バッドエンドだ。
プレイヤーはバッドエンドを一つ見るたびにボーナスポイントを得ることができる。それで新規にゲームをやり直すと若干上方補正がついた状態でプレイできる。無意味なチュートリアルから。
プレイヤーは見知ったヒロインたちがなすすべなくやられ、ランスが絶望のあとで殺される様々なエンディング(無駄に多彩である)を周回して見ていき、戦闘力を底上げして、そしてほとんど唯一の正解ルートを探し当てることが必要とされる。


1時間くらいかかるチュートリアルを何周もしながら! 10時間かかってようやくバッドエンド一つ!!


私、仕事して結婚して子供いるんですよ? 無尽蔵に時間がある大学生じゃないんですよ?


このあたりのミスマッチは如何ともし難い。今までずっとシリーズに付き合ってきたファン向けであるはずなのに、トゥルーエンドに向かうためには100時間はざっくり必要とは。



もう一つ指摘をしておかなければならない。高難易度に調整した結果理不尽さが生じているところを。
このゲーム、敵のHPが非常に高く長期戦になる。回復方法も限定されているため「如何に敵の攻撃を防ぐか/妨害するか」に比重が置かれるようになる。その最適解を極めると、「初手、毒付与の後80%の確率で成功する睡眠魔法をかけて3ターン放置して毒ダメージ与えつつ行動力を貯める。失敗したらリセット&ロード」という作戦が構築されてしまう。いや、これならまだいい。したい奴がやればいい。


困ったのは敵の攻撃を妨害する能力が同じような「80%の確率で敵の攻撃を阻止」といった確率のものでしかないのだ。

敵が3回攻撃してきて、その内一つが「20%の確率で自軍のキャラ一人をダウンさせる。ダウンしたキャラは戦線から離脱(復帰不可)」だった場合はどうするか。



まずは妨害攻撃があたるのを祈る


あたったらその3つのうちの一つを妨害してくれることを祈る


だめだったらダウン攻撃が発動しないことを祈る


ダウン攻撃が発動してしまった場合、メインアタッカーにあたらないことを祈る。





これではゲームではない。祈祷だ。




味方にはダウンのとき身代わりになってくれるキャラもいるにはいるが、そのキャラを獲得するには悲惨な状況にならなければならない。戦況を優位にさせていると運でしか獲得することができない。
また運だ。
このゲーム、戦略性ある戦闘を構築している一方で、大事な自軍のキャラの獲得の多くをランダム性に任せるという意味不明な構造だ。ルートによっては確実に獲得できるキャラもいるのだが、戦略性の幅はどうしても限定されてしまう。こんな作りにするのなら時間制限をなくすか、もしくは全体的に難易度を下げるべきだった。


しかも最後の最後、真のラスボスがこのダウン攻撃を発動してくる。「頼むからランスにだけはあたってくれないでくれ」と画面に向かって祈るしかない。もしランスにあたったらやり直しだ。このあたりはいよいよ持ってスタッフの正気を疑った。


このようなシステムになった理由はおそらく「最適解を知っていてもなおも一筋縄ではない高難易度」を目指した結果ではないか。このようなシリーズキャラが多数いて様々なスキルが登場するゲームでは、特定のキャラと特定のスキルを組み合わせればたいていのボスを倒せる強力な技というものが出てきてしまう。それを知っていてもなおもなかなかクリアできないような、高難易度を目指したのではないだろうか? 私からしてみたら余計なお世話でしかないのだが。


攻略Wikiを見て進める奴はどんな状態でも攻略Wikiを見るものだ。それはプレイヤーそれぞれの自由にしたらよい。私はできる限り攻略サイトに頼るまいとした結果、2つ目のボスで詰まって助けを求める羽目になった。これが楽しいゲームプレイであったとはとてもいえない。20時間以上プレイし2つ目のバッドエンドを見たところで最終的に心が折れて改造セーブデータを入れることになった。ランス10をゲームとして見切ったからだ。



このゲームはゲームではない最良のファンアイテムだ。
そのためファンでもない新規層がプレイするのはただの拷問でしか無い。この拷問を面白がることができるのは、ランスシリーズをやり尽くしてきた猛者だけだ。

それでもこのシリーズに足を踏み入れようとする、猛者たらんとする者がいたなら、まずは鬼畜王ランスか、戦国ランスをオススメする。前者はWindows95時代のゲームだが、なんと無料で、かつGoogleChromeでプレイすることが可能だ。後者はシリーズの後半に入ったためキャラが把握しづらいかもしれないが、おそるべき完成度を誇る。ゲーム初心者でもさくっと独特のシステムに馴染むことができる。



ようこそ地獄へ。我々は君を歓迎する。さぁ、この最高な拷問を楽しもうじゃないか。

プラチナなのは社名か、品質か -アストラルチェイン-

プラチナゲームズという会社がある。
劣化せず非常に安定しているプラチナのように、高品質で劣化しないゲームを提供しようとする思いを詰め込んだ社名だ。
そしてこのご時世にもかかわらずマルチ抜きのシングル向け高品質アクションゲームを作りづつけているクリエイター集団である。
彼らが作ったベヨネッタ2The Wonderful 101は私の中でもお気に入りのソフトに入る。退屈しないQTE、アクションゲーム素人でもどうにかなるレベルデザインと難易度調節。プラチナゲームズ「キャラを格好良く操作して敵をバッタバッタとなぎ倒す」感覚を与えてくれることにおいて恐ろしく高水準にある会社だ。

そんなプラチナゲームズが開発したのがSwitchにて2019年発売された「アストラルチェイン」だ。



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主人公は近未来の世界に住む特務部隊の一員で、レギオンと呼称される生体兵器を扱い異世界からの侵略者、人類の敵であるキメラとの戦いに双子の姉弟と仲間と共に身を投じることとなる。
ジャンルはもちろんアクションゲーム。このゲームの売りは主人公と、レギオンとを別個に動かすデュアルアクションだ。左スティックで主人公の操作、右スティックでレギオンの操作を行う。レギオンは敵に近寄れば自動的に攻撃してくれるし、ボタンでターゲットした敵にけしかけることもできる。また主人公は三種の武器(警棒、大剣、銃)を操り、レギオンも5種いるため、それぞれの種類を敵と状況に合わせて切り替えていくのが必須スキルになっている。



主人公とレギオンは一本の特殊な鎖で繋がっていて、これが様々なアクションを生んでくれる。
ギオンを操作してぐるりと敵の回りを囲むと敵は光の鎖で拘束され一定時間身動き取れなくなる。その間、連続攻撃は叩き放題だ。
また遠く離れたレギオンの元へ瞬間的にジャンプする能力、チェインジャンプが存在する。そのジャンプしている道中に存在する敵に主人公は自動的に斬撃を繰り出していく。
さらには突撃してくる敵を左右に避け、この鎖で受け止めると主人公とレギオンの連携攻撃が自動的に発動する。

このゲームは回避とレギオンの活用が大事だ。如何にして敵の攻撃をかわしカウンターへと繋げていくか、その導線がしっかりとある。プレイヤーは敵の攻撃を見切り、どのスキルを活用して撃破するかを試行錯誤する。そのトライアンドエラーにきちんとこのゲームは堪えてくれる。燃えるBGMの中(私のオススメはAwakeningです)、君が操る主人公はレギオンと共に格好良く敵をなぎ倒してくれるだろう。


こう読むと非常に難しい要素ばかりに聞こえてしまうかもしれないが、意外にガチャガチャ操作をしてもなんとかなるデザインになっている。「レギオン射出」→「レギオンの元へとチェインジャンプ&攻撃」→「そのままコンボ攻撃」という流れはすぐ慣れて簡単にできる操作だし多少の操作ミスをしても繋がってくれるのが嬉しい。




このゲームは戦闘パートと、サブイベントが満載の捜査パートの二つが折り重なっている。
主人公は特務部隊という設定上、近未来の都市で起きた事件を捜査し、人々の証言や事件現場の再現をしながらその背後にいるキメラの動きを察知し、キメラの住む異世界に突入して人を救出したりキメラと戦ったりもする。
捜査パートの中に唐突に戦闘が入ったりするし、メインの捜査とは別にある細かな事件を解決したり、街の人の頼み事に答えるサブイベントも捜査パートに組み込まれている。捜査パートの最後には今までの証言を重ね合わせて事件の背景を探るファミコン時代の探偵アドベンチャーチックなものが用意されている。


ストーリー的にもキメラの正体の謎、特務部隊司令官の不気味さ、謎の女科学者の存在、そしてレギオンをあまりに自由に操れすぎる主人公自身の謎を絡み合わせ進んでいく。特務部隊の仲間たちや双子の姉弟と共に戦いに挑んでいく展開はまるで少年漫画のようだ。章仕立てで構成されており、一章を終えるたびに謎が一つ解け、また一つ謎が増える。少年漫画らしく「ここは俺に任せて先に行け!」という展開が待ち構えていたり、主人公の隠されていた力が覚醒して攻撃が効かなかったはずの敵を一気に叩きのめしたりもするぞ。



こうしてクリアを目指す動線を作っているはずなのだが、実際にプレイをしてみた身としてはいささかちぐはぐな印象を受ける。テンションを高めてガンガン突き進める気になる戦闘パートとは違い、捜査パートはいまいち面白みを感じることができない。


問題点としては証言を重ね合わせる締めの設問がいまいち悪く、「あらかじめ答えを知っていないと適切な答えを選べない」という状態に陥っている。その答えは捜査でわかるようなものもあれば、到底わかりそうにないものも混じっている。ここでミスしたところで経験点ボーナスが少なくなるだけで戦闘パートに進めないということはないのだが、些か気分を害されてしまう。


また一部のサブイベントが嫌がらせの極地だ。段積みになったアイスクリームを購入し子供のいる場所へ運ぶ、というイベントだがコントローラーのジャイロにあわせてバランスが揺れるのでとにかくアイスが落ちる、こぼれる。そして通行人がこちらに向かってぶつかってくる! 当然ぶつかってしまうとアイスを落としてしまい失敗になる。プラチナゲームズの人々はこのサブイベントを楽しめたのだろうか? 恐ろしいハードアクションゲーマー集団である。




戦闘パートにも実は問題が内包されている。戦闘と戦闘の合間には小さなインターバルがあり場所を探索し次の場所へ進むためのスイッチを探したり、ギミックを解除したりする必要がある。(このあたりのパートはベヨネッタやワンダフル101をプレイしたことがあるプレイヤーなら「ああ、プラチナゲームズのあれね」とわかってくれるかと思う)

今作のそれは明らかにベヨネッタThe Wonderful 101に比べて低品質だ。
背景にまぎれてわからなくなっているスイッチ、面倒くさいギミック。ときには理不尽さすら覚えてしまう。はっきりいうとこのパートには「プレイ時間水増し」の要素しか感じ取ることができなかった。いざ敵が出現したときの戦闘のときのテンションの上がり方と相まってつまらなさが加速してしまう。

戦闘は本当に、本当に面白い。
巨大な敵が繰り出す攻撃を回避しつつ弱点はどこか。頭を弓で貫けばいいのか、いや大剣で連続攻撃すればスタンするんじゃないか、まてまてこの巨大な足をレギオンで拘束すれば……アドレナリンが全開になり敵の攻撃がスローモーションに見える。思考回路を全力で駆動させ攻略法を考える。その間も指はコントローラーを動かすのはやめない。スティックさばきに呼応して主人公は回避し攻撃を繰り出していく。その瞬間の高揚さは麻薬的だ。しかしいざ敵を倒してしまうと、探索や捜査パートに止められてしまう。やめてくれ。俺は戦いたいんだ。はやく、はやく俺に敵をくれ! 俺に生きる実感をくれ!


そうして戦闘ジャンキーになったプレイヤーにたいして無慈悲に探索ギミックは増えていく。麻薬中毒になった者にどんどん金を要求するがごとく。プレイヤーは涙と禁断症状を堪えながら必死で面白くもないギミックを解くことになるのだ。このゲームにはジャンプボタンがないのに浮遊板を連続で渡っていくギミックをやらされた時(落ちたら当然やり直し)にはさすがに「マリオ連れてこいマリオ!」と叫びそうになった。



最大の問題は最終盤のストーリーだ。章仕立てになりいよいよ最終章に到達したプレイヤーは不安に襲われる。とにかく今までのストーリーはどんどんと風呂敷が広がる一方だ。はたして最後の一章だけで全部の風呂敷をたたむことができるのだろうか? そしてラスボスを撃破したプレイヤーに与えられたエンディングは、まるで「打ち切りが決まったので急遽まとめた少年漫画」のようだった。……そんなところまで少年漫画らしく仕立てなくていいのに!


プラチナゲームズには神谷英樹というゲームストーリーの天才がいる。ベヨネッタ1であれだけキレイに決着をつけたはずなのに、ベヨネッタ2ではさらに1の要素を伏線として拾いつつ素晴らしいエンディングに仕立てた。The Wonderful 101では衝撃の展開を二重三重に重ねておきながらもエンディングではすっきりとすべてを解決させ希望の未来を見せてくれた。今作でも彼はスーパーバイザーという立場で参加している。彼ならばもっとすっきりとしたものが出来たはずだ、と思わずにはいられない。このような結末になった理由には色々とあるのだろうが、ただただ残念だ。



このゲームはプラチナの名に恥じない、確固たる面白さがその芯に走っている。しかしその外周部をぶよぶよとした贅肉で覆われてしまっている。神ゲーとの評価を得るためにはまず大規模な肉体改造とフィットネスが必要になるだろう。そしてそれができる人材はプラチナゲームズにはいるはずだ。次回作に期待したい。ベヨネッタ3を私は待っている。

2Dシューティングゲームははたしていつ「衰退」したのか

定期的にネットの海を騒がせる話がある。

それは『2Dシューティングゲームはマニアに合わせてどんどん高難易度していき新規層が入れなくなってどんどん衰退していき最後には滅亡した。新規層の大事さを忘れてはならない』というものだ。

実際シューティングゲームは滅亡どころかプラットフォーム各種で展開され根強い人気を確立しているジャンルであるのだが、この論はとても人気があるらしくバズりやすい。『人は正しさよりもわかりやすさを求める』という説があるが、まさしくそれだと思われる。

さて今回はこの説をシューティングゲームマニアではない奴が、少しばかり違った観点で検証していきたい。ちなみに私は斑鳩なら3面で力尽きる程度の腕前です。

 

まず、シューティングゲームが最も興隆していた時代はいつだろうか。

スーパーファミコン全盛期? ファミコン時代? なるほどその頃ならばアーケードゲームでもシューティングゲームは大人気だったはずだ。

ところがファミコンの売上ランキングを確認してみると、おそろしくシューティングゲームが少ない

売上がミリオンに到達したのはゼビウススターソルジャーのみだが、グラディウススターフォースといった有名作は及ばない。そのゼビウスにしても発売された1984年はロードランナー、四人打ち麻雀、テニス、F1レースとミリオンセラー満載年だ。50本前後あるファミコンのミリオンセラーソフトのうちシューティングが二本だけというと、いささか物足りなさを感じないだろうか。

ではこのときからすでにシューティングは衰退していたと言えるのだろうか? そうなると「マニアに合わせて高難易度していった結果衰退していった」論説はやはり現実に沿っていないことになることがわかる。このときのファミコンソフトのシューティングはアーケードよりも難易度がマイルドに調整されたり、裏技で残機数を増やしたり、無敵になるモードを導入しているからだ。

 

そうそう、アーケードのことを忘れてはならない。

少し思い出して欲しい。シューティングが輝いた、日本を熱狂させたアーケードゲームが歴史に名を残していることを私達は知っているはずだ。

 

そう、スペースインベーダー

 

1978年にアーケードに登場した、百円玉の年間発行数を三倍に増やすはめになった驚異のゲーム。シューティングの全盛期はこのインベーダーブームのときだとみなすのが妥当なのではないだろうか。大ヒットしたゼビウスのアーケードが1万5千台の出荷に対して、スペースインベーダーの出荷数は純正品が10万台、サブライセンス仕様の台が10万台、無許可コピー台が30万台出回ったとされている。その差は圧倒的だ。

 

シューティングゲームの全盛期がここならば、その後のファミコンスーパーファミコン時代や、インベーダーブーム終了後に系譜として続いたアーケードはすでに衰退期……良くいえば安定期だとみなす事ができる。

最初にビッグバンのような大ブームが起きているのだ。高難易度云々関係なしにそれは縮小する。むしろ今でも同ジャンルがプラットフォームを変えて新作が出続けていることに感嘆すべきではないだろうか。

 

……ここで記事を終えてしまってもいいのだが、もう少し観点を変えてみよう。そもそもシューティングゲームの定義とはなんだろうか?

 

『なにを今更』と思うかも知れない。自機が戦闘機でバリバリ弾を打ち敵弾をかわして敵をなぎ倒して進んでいくのがそうだと思うだろう。ボムが利用できたり障害物にあたったらミスになり、パワーアップアイテムが出てくるのが貴方の頭の中に思い浮かぶはずだ。

ちょっと困ったことに、「シューティングゲーム」の中には自機が人間であったり武器が刀であったり障害物にあたってもミスにならなかったりボムがなかったりパワーアップの概念がなかったりするものもある。さあ、これらを包括する定義はどうすればいいのだろうか? 先に述べたスペースインベーダーゼビウスといったタイトルもうまくくくれるような定義にしないといけない。そうなると必要最小限で根幹部分を突いた定義が必要だ。

 

 

そうなると「自機を操作し敵の攻撃をかいくぐり撃破してステージクリアを目指すタイプのゲーム」あたりに落ち着くだろう。これならばスペースインベーダー怒首領蜂も東方シリーズもうまくくくることができる。シューティングゲームの定義はこれでいこう。

 

……ちょっと待って欲しい。この定義はいくらなんでも大きすぎやしないだろうか? 敵の攻撃をかいくぐり、敵を撃破するゲームは至るところにあるだろう。シューティングゲームに限らず。魔界村ロックマン悪魔城ドラキュラはそうであるし、攻撃方法を変化させた例でいえばスーパーマリオブラザーズも入ってしまうだろう。

 

そう、そうなのだ。スペースインベーダーというビッグバンが起きた。そしてそこからシューティングゲームは本質をそのままに細かなルールを付け足しジャンルを変化させてアクションゲームやアクション要素のある他ジャンルへと進化したのだ。今あるアクションゲームはシューティングゲーム

 

かつて地球の支配者は恐竜であった。一昔前は恐竜たちは気象の大異変により絶滅した、といわれていたが、今では体を小さくし鳥類へと姿を変え進化し生き延び続けている……という説が有力である。シューティングゲームも同じことが言えるかも知れない。姿形を変え進化し、しかしその中の骨子はそのままに、我々を今でも楽しませてくれている。

 

 

 

注意兼謝罪:ここまで真面目に読んでくださった方には申し訳ないのですが、この理論でいうとスペースインベーダーがアクションゲーム・シューティングゲームの始祖ということになるのですが、本当にそうであるかゲームの黎明期の歴史にそこまで詳しくないので正直なところわかりかねます。もしスペースインベーダーの元になった作品があったら教えて下さい。

 

 

                         

追記:

 

元はインベーダーの元ネタはブロック崩しとのことです。ありがとうございます。

ただそうするとブロック崩しシューティングゲームの元祖だ、という論が出てきそうなのですが、果たして当時生きていなかった私がそこまで踏み込んでしまっていいのかという。ブロック崩しのルールとシューティングゲームの定義には随分と距離があるように思えますが、これは現在に住む人間の観点であるため、当時の空気を知らない空論な気がしてなりません。

 

                         

さらに追記:

このような指摘を頂きました (岩崎啓眞さんは当時ハドソンの中でバリバリ活躍していたレジェンドです)。スターソルジャーここで「約100万本」という表記をされていましたが、100万本には至らない数字という確認ができましたので、本文を訂正させていただきます。ありがとうございます。

 

 

裁判の行き着く先にある真実と、まだ見ぬ続編 -有罪×無罪-

 弟切草というゲームがある。
 それまでなかった「デジタルノベル」というジャンルをゲームの世界に生み出し一つの分水嶺となった作品だ。小説を読みすすめるごとく文字を読み、時折出てくる選択肢を選ぶことで物語は分岐し、そして様々なエンディングを迎える。ゲーム以外の媒体では不可能な、ゲームでこそという領域に切り込んだゲームだ。


 続編かまいたちの夜ではついにゲームならではの「推理ゲーム」に到達した。プレイヤーは殺人事件に巻き込まれ知恵を振り絞り恐怖の展開へと立ち向かわなければならない。もし犯人がわからないままだとしたら……その犯人の次の獲物はプレイヤーが操作する主人公だ。そうでなくても恋人に殺されてしまうバッドエンドになってしまう。プレイヤーがエンディングに到達するには犯人を見破らなければならない。他の媒体ではこれはどうにも不可能な仕様だ。推理小説ならば読み進めれば探偵が犯人を見つけてしまうし、ファミコンで発売されていた推理AVGの多くはコマンド総当りで突破することができたり、バッドエンドがあってもせいぜい一つや二つだ。かまいたちの夜のように多種多様な悲劇が用意されているわけではない。さらにはかまいたちの夜では犯人の見つけ方すら3パターン用意されていて、それぞれ別のエンディングに向かうようになっている。「犯人を見つけただけではゲームは終わらない」ように、プレイヤーが飽きない工夫がされているのだ。


 そんな素晴らしいかまいたちの夜だが、難癖をつけるところがないわけではない。犯人を突き止め、その犯行を自白させるためのトリック見破りの箇所は二択の選択肢を連続して選んでいくだけのものなのだ。これでは根気さえあれば本当にトリックを解いていなくてもエンディングを見ることができてしまう。というか、あの頃の小学生中学生は犯人の名前をネタバレで聞いてしまい、そこから選択肢を選びまくることでエンディングを見ていたというのが主流なのではないだろうか? 私は無論そういうタイプの子だった。この仕様はそんな推理小説に不慣れな子でもせめてエンディングを見ることができるような救済措置ではなかったのだろうか。


 この「微妙に推理しきれていない仕様」は続編「街」でも引き継がれる。推理小説の顔はずいぶんと引っ込み、主人公同士のほんの些細な交差を描いた作品となった(それはそれで名作であったことは言うまでもないが)。ナンバリング作品であるかまいたちの夜2においてはバッドエンドは分岐の一つとしてしか用意されておらず、犯人指摘は物語の最後でノーペナルティの選択式である。とにかく全部選びトリックどころか犯人すらわかっていないプレイヤーでも犯人を見つけ出すエンディングを見るようになった。そのかわりサブシナリオが多数用意され、それを楽しむような仕様になっている。「ゲームならではの推理を働かせる推理要素」は進化を止め足踏みを続けているようであった。

 その状況が打破されたのは逆転裁判である。この作品は今までの宿題をすべて片付けたゲームデザインが施されている。場所は裁判所。主人公は弁護士、依頼人は無実で証人の中に真犯人がしれっと混じっている。真犯人が述べる証言には必ず嘘が混じっているため、今までに出た証拠や証言を突きつけ矛盾を指摘していくのだ……このゲームデザインかまいたちの夜を超えたのだ。
 主人公成歩堂龍一は決して超人的な観察力を持つ探偵ではない。プレイヤーと同じように頭を抱え悩み、人に助けられ、ともに真実に歩んでいくようなそんな弁護士だ。プレイヤーが真犯人の細かな矛盾に気づきそれを指摘するのと合わせて成歩堂はリアクションし、異議あり!」と声をあげて真犯人を糾弾する。最初こそは余裕を見せている真犯人が、だんだんと追い込まれ、BGMが変わり、そして最後の最後、動かぬ証拠を突きつけることで真犯人は倒れ無罪判決をもらう……。


 逆転裁判が行ったのは「推理の小出し」だ。事件は大きなトリック、恐ろしい陰謀などで全容が見えないようになっている。それは成歩堂も一緒だ。その全容の外周部で証拠探しをし、小さなほころびを発見する。指摘することで生まれる新たな矛盾を他の証拠品で新たに突く。それを繰り返すことで事件の全容がプレイヤーと成歩堂の前に現れる。これはつまりプレイヤーが迷わないように導くガイドラインとして作用しているということだ。こうしてすすめることで推理小説に不慣れな小学生中学生でも頑張って自力で謎をとき、ゲームをクリアできるようにしている。ゲームならではの「推理の楽しみ」の再構築を逆転裁判は完璧な形でやってのけたのだ。


 2001年にGBAで発売された逆転裁判は人気作品となり、2.3と発売されシリーズ化された。プラットフォームをDSに移し4も発売されたころには完全に人気シリーズとしての評価と売上を確立した。市場には逆転裁判フォロワーが次々と生まれた。生まれたのだが評価と売上は散々なものも多かった。


 そんな潤沢な逆転裁判フォロワーの中に、一つ輝く原石のような作品が存在する。今回の記事は有罪×無罪である。(ここに来るまで2000字使ってしまった)




 有罪×無罪は2009年、バンダイナムコから発売されたゲームである。逆転裁判フォロワーの通り舞台は裁判所である。しかし主人公はあくまで陪審員であり、弁護士や検事、そして被告や証人の話を聞くことで無罪か有罪かを決めるという立場だ。被告が本当に無罪なのかどうかはわからない状態であり、自分の投票や質問で被告の有罪と無罪を、有罪であった場合は量刑や執行猶予の有無が変わってくるという塩梅だ。

 このゲーム、弁護士や検事、裁判官の監修を受けており実際の裁判の流れに近いかたちでゲームが進んでいく。検事の主張、弁護士の反論が冒頭陳述で述べられ裁判官と陪審員とで評議を行い中間決議を得て証人尋問が行われ実際に被告人に質問を行い、そして最終評決がくだされる。

 プレイヤーが行えることは質問と指摘である。陳述や証人尋問の際に浮かんだ疑問をメモしそしてそれを質問のときに証人や被告人にぶつける。それにより新しい証言が生まれるが、これを評議の際に集め適切な形にかためて「指摘」することで新しい事実を発見することができる。


 
 こうして並べてもいまいち腑に落ちないかもしれない。実際のゲーム内容に沿って解説してみよう。
 事件内容は火事による一名死亡。火事は家庭用のコンロが発生源。被害者は二階にいた70才の女性。この女性は睡眠導入剤を飲んでおり火事に気がつくこともなくそのまま一酸化炭素中毒により死亡した。火事の直接的原因となったのはこの家に嫁として嫁いできた27歳の女性。彼女が一階の台所に火をつけたままの天ぷら鍋を放置したため火事がおき、それによって姑の女性が亡くなったという事件。

 検察は姑が飲んでいた睡眠導入剤が嫁に処方されていたものであるという点、台所に設置されていたはずの火災報知器に細工がしてありならないようになっていた点、姑がいわゆる嫁いびりをするタイプの人間であったという点から「故意に火事を引き起こした殺人事件」だと指摘する。弁護士は反して検察が指摘した嫁いびりというものが極めて些細なことであったということ、睡眠導入剤は姑が自ら夜眠れないから分けてほしいと言い出していたこと、火災報知器に細工をしたのがそもそも被告人であるという証拠が何一つないことを反論する。

 これらの論点は「ファクター」として取り扱われ、各ファクターごとに陪審員たちが話し合い、有罪に思えるファクターか、無罪に思えるファクターかに振り分けていく。嫁と姑の仲はどれほど悪かったのか、睡眠導入剤は果たして飲まされたものか姑が自ら飲んだものか、火災報知器に細工をしたのは果たして誰だったのかを議論していく。
 被告人は義理の母を殺そうとした鬼嫁なのか。それともただ自分のミスで失火を招いてしまっただけの善良な市民なのか。


 火災報知器を取り付けにきた業者や隣人が証人として現れる。間違いなく火災報知器は事件の二日前に点検が行われ正常に稼働していたこと、事件の前日に台所に不審な白い煙がもうもうと立ちこもっていたにもかかわらず火災報知器がなっていなかったこと……などが証言として提出される。


 こうした証言と現場の写真、被告が購入したレシートなどを精査すると新たな事実が浮かんでくる。
 現場から歩いて5分の店に天ぷら油を買いに行ったはずの被告のレシートを確認すると、なぜか25分も遅れてレジで油を買ったことになっている。事件前日、被害者が購入したレシートのなかにこれまでの裁判の流れを全部ひっくり返すような代物がしれっと混じっている。
 こうした事実を発見し「指摘」することで、評議の流れは大きく変わる。一度有罪や無罪として扱われていたファクターを見る視線がかわることでそれがひっくり返る。

 これらの事実の再確認と指摘、そして評議を終えた後結審が行われる。判決が述べられたあと物語は終わり、そしてプレイヤーが指摘した事実の数にあわせて「真相究明度」が表示される。これを100%にするのがプレイヤーの最終目的であるが、その上で判決を左右できるのがこのゲームの肝だ。真実を暴くことが目的であった逆転裁判よりも、その先をいくように心がけたゲームデザインであるといえる。
 実はこのゲームの発売日は2009年5月21日、現実の世界においても陪審員制度が施行された日である。興隆した逆転裁判型フォロワージャンルと、話題になった陪審員制度を重ねてうまいところ時流に乗ろうとした作品である。しかし完成度の高さはいわゆる「二匹目のドジョウを狙った」だけではなく優れた裁判推理ゲームを世に生み出そうとするスタッフの気合の入りようが見て取れる。




 そしてこのゲームの真骨頂は最後のストーリー、第四話にある。

 
 これまでの物語は言ってしまえば裁判の枠の中で行われるものだ。被告は鬼嫁なのか、善良な市民なのか。大学教授は自ら青酸カリを飲み自殺したのか、それとも保険金目当ての妻の策略により飲まされてしまったのか。主人公の指摘により事実は明るみになるが、主人公はあくまで陪審員だ。事件が終わってしまえば無関係な一般市民という立場に戻る。


 しかし第四話は最後のストーリーにふさわしい構成を行っている。裁判はそれまで通りに行われる。隠された事実が暴き出され被告が殺人を行ったのか、そうではないのか真実がわかる。そして判決が言い渡され裁判が終了し裁判所から出たあと、主人公はふとしたことでその裁判の、事件の奥底に潜んでいた「吐き気をもよおす邪悪」の存在とその証拠にふれるのだ。そしてそこまで行っていた裁判の根底がひっくり返り事件の全くの別の顔、真実を見てしまう。真の邪悪は裁判を受けることなく、そしらぬ顔をして去っていくのを見せつけられる。
 愕然とする主人公。自分はこのまま何もすることができないのか。日本の司法制度はこの邪悪を裁くことができないのか。……その時現れたのが今まで裁判を通じて絆が出来上がった裁判長だった。裁判長はその様子を遠目で見ていた。証拠も直接的に見たわけではない。しかし主人公が証言することでそれを裁判に持ち込むことはできる。そう、主人公が証人となることで奴を裁くことができるのだ! 首を洗って待っていろ! ……裁判推理ゲームにあるまじき「俺たちの戦いはこれからだ」エンドで、このゲームは終わる。


 主人公はあくまで事件とは直接無関係な陪審員である。……そのフォーマットを破りにかかった素晴らしい展開だ。プレイヤーのテンションの落差は表現し難い。裁判を無事終えほっとしているところに急激の真相が突きつけられ無力感に襲われたところで裁判長の助言、血が沸くような展開にテンションが最高潮にあがったところでスタッフロールが流れるのを見ることになるのだ。
 このゲームは続編を作るべきだ。作らねばならない。あの真の邪悪に有罪判決を突きつけてやるまでこのゲームは真のエンディングを迎えたことにはならないのだ。(ただしそれをやるにはゲームシステムの大幅な変更が必要となって続編の意味がなくなるわけだが…)

 このゲームの発売から10年。続編の話は一向に聞かない。しかしこのゲームをこのまま埋もれさせておくには惜しい。是非このレビューを読んだ方々には実際にプレイしてもらい、最後の最後の形容しがたき悪に対する感情を湧き上がらせてもらいたい。

 なお、10年前に発売されたソフトではあるがいまだに公式サイトは運営中である。体験版に触れることもできるのでブラウザのフラッシュを許可してから是非覗いてみて欲しい。

yuzai-muzai.namco-ch.net


 

リブートの名にふさわしい内容であったか? 超昂天使エスカレイヤーR

 リブート。いい言葉だ。
 バットマン・ビギンズは素晴らしい映画だし、ロボコップ2014年度版もいろいろ世知辛い世の中を描写していて楽しかった。ターミーネーター新起動は……まぁ現在シュワちゃんvs過去シュワちゃんを見れただけで価値があるかもしれない。

 リブートは映画だけの話ではない。もちろんゲームにもある。今回の記事は「超昂天使エスカレイヤー:リブート」。正真正銘のエロゲーである。そのためそういう内容なお嫌な方はここで読むのを中止していただきたい。




 2014年に発売されたエスカレイヤーリブート(以後Rと表記)は、2002年に発売された超昂天使エスカレイヤーのリブート作である。戦闘システムに手を加え、CGを高解像度へと新たに書き換え、新規シナリオを追加し敵キャラクターも増やしたものだ。なるほど、こうして並べると「リブート」の言葉にふさわしい内容かと思える。


 エスカレイヤーRについて言及する前に、まず2002年に発売された原作の「超昂天使エスカレイヤー」について解説を行おう。


 この作品、いわゆる「戦うヒロインがエッチな目にあうエロゲー金字塔だ。
 「ヒロインものエロゲーを初めて実装した作品ではない。それ以前でも「流聖天使プリマヴェール」というヒロイン調教を題材としたゲームは存在する。エスカレイヤーが先進的だったのは、ヒロイン、エスカレイヤーが「ドキドキダイナモという性的興奮をエネルギーに変換する機関を備えているという設定だ。そのため主人公はヒロインとあの手この手でエッチなことをしてエネルギーを貯める。それによってパラメータを上昇させ、地球侵略を目論む怪人軍団と戦う。勝利をすれば次のストーリーにつながるが、敗北してしまうとエスカレイヤーは敵怪人に陵辱される。その際、当然エネルギーを獲得できるのだ。
 敗北しても強くなってリベンジに向かうヒロイン。プレイヤーとしては進めないストレスを、パラメータ上昇とエッチシーンを見ることで相殺するどころか黒字になるように作られている。(ただし怪人に負け続けると心が折れてゲームオーバーになってしまうが)
 

 エロゲー界による「如何にしてゲームシステムに戦うヒロインとエロを密着させるか?」という難題に対して、見事な答えを返したのだ。主人公とエスカレイヤーが体を重ねる必然性を作り、怪人に陵辱される描写をつけたし、それによる能力強化の理由付けまでやってのけたのは、満点の答案用紙であるといって過言ではない。


 
 その原作エスカレイヤーが2002年、リブート版は2014年。12年の歳月を得て復活したエスカレイヤーRは果たしてどうだったか?


 大幅に手が加えられたのは戦闘システムだ。原作がほぼオートバトルで終わっていたのに対し、Rではいろいろと手を加えられた。エネルギーを戦闘スキルに変更することができ、各種スキルを装着し戦闘に向かう。得たエネルギーをパラメータの上昇か、スキルの割り振りに使うかで戦略性が発生することにはなっている。
 そのスキルを使うためにはルーレットを回す必要がある。
 ルーレットは各ターン1回周り、5つセットしたスキルのどれかに充当する。簡単なスキルならば一つ充当しただけで使用可能になるが、強力なスキルの場合3つ充当させないと使用可能にはならない。つまり強力なスキルばかりをセットしただけではなかなかスキルが使えなくなり、簡単なスキルばかりだと火力が足りないことになる。


 最大の問題点。いったいこのシステムのどこにエロさがあるんだ? ただ怪人との戦闘がわかりにくく、煩わしいものになっただけなのだ。
 いや、別にエロさがなくてもゲーム的に面白いのならば問題はない。問題はないのだが、2014年の時点でルーレットを回して楽しさを覚えるゲームデザインはむしろ斬新すぎる。ルーレットの目押しを楽しいと思うには、私は年を取りすぎてしまっていた。戦略性が向上した、という表現は聞こえがいいが、この戦闘システムはいわば「蛇足」以外のなにものでもない。ゲームデザイン的に面白くもなれずに、エロ要素に結びつけることもできないのなら、前作同様オートバトルで構わなかったのではないか?


 原作エスカレイヤーは素晴らしい作品だった。しかしドラゴンクエスト1が如何に素晴らしい作品であろうが、そのまま現代に持ってきて懐かしさを取っ払った場合ただただ「よくわからない」「さすがに古臭い」といった評価を受けてしまうのと同じように、骨子をそのまま持ってきたこのエスカレイヤーRは「さすがに古臭い」という評価を受けることを否めない。
 残念なことに、「リブート」というには力不足だった。確かにシナリオは追加された、敵キャラは増えた、CGは高解像度化された。ただ、それだけだ。それなら「リマスター」なり「追加版」なりのほうがよほどふさわしいように思える。


 12年という長い年月においてゲームとしてなにかしらの進化をすることができなかった…と表現すると、なかなか寒いものがある。エロゲーなのだからエロ描写がしっかりしていればいい、という見方もあるかもしれない。かつて「ドキドキダイナモ」という発明で問題を潰したように、リブートと銘打った今作においてもなにか一つ大きな変化を期待したが、それはなされなかった。それはとても残念なことだと、ここに感想として記す。