平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

更新報告

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こちらの記事のリンクが切れていたので、InternetArchiveの該当記事にリンクを差し替えました。
新しい記事を作る予定はもうありません。なのでこれが最後の記事になります。


最後にお願いがあります。

コメントを付ける際は、記事を読んでから書いて下さい。
読まないなら書かないで下さい。そんなコメントを承認することはありません。


長年ありがとうございました。

「大怪獣のあとしまつ」がどんどん楽しめなくなっていく件について

-映画、大怪獣のあとしまつのネタバレを全開で行っています-



実はみてました。「大怪獣のあとしまつ」
予告の時点で「こんな映画出されたら特撮オタクの端くれとして見に行かざるを得ない」と思っていました。ですがちらちらと他所で『なんかやばいらしい』くらいの評価を見てはいたんですが、「ここで引くわけにはいかない」と映画館に足を運んだ次第です。



なんですが、楽しめたんですよ私。大怪獣のあとしまつ。
冒頭のお別れ会が同窓会になってしまったシーンから「どうやらこの世界では、怪獣に立ち向かうために実質徴兵制みたいなものが敷かれているらしい」と読み取ってから、わりとぐいぐいのめり込むことができました。背景で兵士募集ポスターっぽい(アメリカのI want you! For u.s. armyのポスターらしき奴です)のがあったのには「センスが絶望的に古くてむしろ斬新だ!」と思えました。
肝心のあとしまつは誰がやるのか、大臣たちが押しつけ合うシーンや、諸外国の対応が二転三転したり、最初こそ押しつけ合っていた大臣たちが観光資源になりそうなことに気がついて手のひら返ししたり、そういったどったんばったん政治劇は最初こそは好きでしたね。まぁ途中で下品な意味不明ジョークが連発されるのにげんなりして、政治劇シーンは脳を休めるためのシャットアウト時間なんだとわりきることになりましたが。キノコの下りは笑っちゃいましたけど。



肝心要の特撮シーンは非常に良かったと思います。ダムのプロジェクションマッピングで爆破点をつけるですとか、怪獣の死骸に大臣が登って安全性アピールとか。特にプロジェクションマッピングは今まで気の抜けた雰囲気だったのが、一転して引き締まった空気に切り替わったので良かったです。落ちは本当にしょうがないものになりましたけどね。

なので「ほどほどに面白いはずの政治劇シーン」「くっそつまらない下品なジョーク」「上等な特撮」「どうしようもない落ち」がぐるんぐるんと交互に襲いかかってきて、テンション的にはとんでもないアップダウンになっていくわけですよ(恋愛模様? 知りません。興味ないです)。


そして最後のトンデモ落ちに終わるわけですが、私、ここで映画館のなかで声出して笑ってました。「しょうもねー(笑)」って感じで。んで、エンドロール見てあのおまけも見て確信することができました。「本当にしょうもない作品だなぁ」と。


なんですけど、嫌いじゃないんですよ。私。そういうしょうもない作品が。
昭和の時代、「ジョーズが流行ってるから!」みたいな上の人の適当な思いつきで、現場の人らが必死に頑張ってつくった特撮作品があったりします。発想に技術がついていかずなんとも締まらない展開で終わってしまった作品もあります。そういった作品を私は小中学生のころレンタルビデオで見てきてて、「ん????」みたいに思ってたんですよね。んで、大人になったあと見直してみると「なるほどなぁ……」と思えたりするわけです。
世の中の作品、全てが「シン・ゴジラ」並の完成度を誇っているわけではありません。そうでない作品でもスタッフたちは手を抜いているわけではないです。



いいじゃないですか。しょうもない特撮作品があったって。


特撮映画はとにかく金がかかるのに、オタクたちの評価が厳しいジャンルです(まぁ平成ガメラ三部作というトンデモクオリティを、云億円という予算でやっちゃったから仕方ないような気がしますが)。それ故どんどん数が作られなくなってきたジャンルであり、そんな中、令和という時代で結構な予算を獲得し、こんなトンチキ映画を作ったこと自体がもはや賞賛に値します。私はこの映画を令和に、映画館で見れたことに満足してますし、楽しめました。







って感じで終わるはずだったんですよ。その後の関係者のムーブのおかげで色々とおかしなことになってきまして。

まずは監督の公開後舞台挨拶です。
www.oricon.co.jp

「怪獣を倒すスペシウム光線とか出すじゃないですか。なんで最初から出さないんだろうって子どものころから思っていた。なんとかキックで怪人をやっつけたり。『最初から、それなんじゃないの?』と」と幼少期に抱えた思いを懐かしむ。

ここらへんで「あぁ、やっぱり監督は特撮そんなに好きじゃなかったんだ」と再確認できました。特撮ヒーロー作品ではわりと必殺技を最初に出したもの通用せずピンチに!(そこに味方の援護が!) ですとか、その必殺技を相手に防がれて、さらにより上のランクの必殺技を生み出す特訓を行う! なんてのがごろごろしてます。バキでいうところの「君らがいる場所は我々がすでに三千年以上前に通過している」って奴ですね。それは別にまぁいいのですが。
そもそも「怪獣の死体処理」っていうのはもうすでにパシフィック・リムで劇中に綿密に描写されてたんですが、そこらをするっとスルーして『「誰もが知る“巨大怪獣”の誰も知らない“死んだ後”の物語」を史上初めて描く』という売り文句に「いや……その、ちょっと待って……」って思いがどんどんわいてきて。特撮知らない人らがいう「史上初めて描く」ってなんなの? って思えてきちゃいまして。


トドメがプロデューサーのインタビューでして。
www.oricon.co.jp

予想外でした。正体を明かせないアラタが、怪獣の死体処理を託されたことをきっかけに、元恋人のユキノとともに雨音の妨害を押し切り、人間のまま『あとしまつ』できるのか、この三角関係に関して反応を期待していました。ところが、特撮部分やギャグ要素に反応が偏っている印象を受け、伝えたかった三角関係の部分が伝わっておらず、そこが予想外でした。


三角関係……………………………………?????? えっ??? あの映画三角関係がメインだったんですか? 私脳からすっぱり全部切り捨ててたんですけど……。まったく重要さを感じませんでした……。


ラストの巨大ヒーローが全てを解決するというオチ、これは結局、「神風が吹かないと解決しない」という、ごく単純な政治風刺なのですが、これがほとんど通じておらず驚きました。

せ、政治風刺…………………………?????? え、ええ……????? あのシーン政治風刺のつもり……だったんですか…………?? 私はてっきり脚本がどうにもならなくなったんで「もうこの落ちでええやろwwww」的テンションで投げ捨てたしょうもない展開だったのかと……(だから笑ったんですが)。


先ほども申し上げたとおり、「巨大な怪獣の死体のあとしまつ」を巡り、正体を明かせない主人公が、元恋人の協力と、彼女の夫による妨害の狭間で葛藤する物語です。

もう頭がくらくらしてきたんですけど「正体を明かせない主人公」っていうのがかなり理解できない要素になってきてしまって……。あの映画のなかで主人公が「正体を明かせない理由」って何か一つでも出てきましたっけ? 

結果、主人公は敵対者に負け、正体を明かして「巨大な怪獣の死体のあとしまつ」をせざるを得なくなる。ビターなエンディングですが、それでも元恋人は「ご武運を」と涙ながらに主人公を見送る、切ないラストシーンをつくりあげられたつもりです。


いや、もう何度もビックリです。そもそも雨音が敵対者だと私はまったく認識できていませんでした。彼は彼なりに怪獣の処理に意欲を燃やしていたキャラであり、主人公とはベクトルが違えどなんとかしてやろうとしていたキャラとてっきり……。だからこそラストシーンは本当にしょうもない大爆笑シーンになったんだと……。


私はこの映画の制作サイドに『いやー、申し訳ない。クソ映画作っちゃいました。シン・ゴジラ期待した方、本当申し訳ない』って言って欲しかったんだな、ってわかったんですよ。んで、そういう人に「いやいや、他の人はどうだかわからないけど私は結構楽しめましたよ。制作費半分になった次回作も見に行きますぜ」って言いたかったんです。
ところが制作者側から『ちがうんです。本当はこういう高尚な意図があったんですけど伝わなかったんです。政治風刺なんです』って言われちゃえば、もう何にも言えないんですよ。「えっ……いや、申し訳ないですけどしょうもない映画ですよコレ。お金返してもらえます?」しか言葉がでなくなりますよ。


わりと真剣にコメンタリー付きBD出たら買おうかな、とか考えていたんですけど、もうだめです。もう二度と触れたくなくなったコンテンツに仲間入りです。


もっと上の都合上どうしてもはっちゃけるコメントを出すことができなかった、なんてのはあり得そうなんですが、それならそれで年単位で黙っていて欲しかったなぁと思います。かつてサターンの有名クソゲーであるデスクリムゾンを出したエコールソフトウェアは、「何を言われても仕方ない時期というのがある」と、一年半語ることなく、ただ黙って批判を受け続けていたという逸話があります。上記のプロデューサーさんらはエコールソフトウェアを見習って欲しいですね。

プロ野球選手会はそろそろ無理筋な主張をするのは止めた方がいいのでは

この記事は以下の記事らの続きです。まず二つの記事をお読みください。

amd-ryzen.hatenadiary.jp

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今でもプロ野球選手会は肖像権について、「選手会は、球団と選手がそれぞれの権利をそれぞれがライセンスし、その上で協力していく体制を目指しています」と主張し、その意義と問題の経緯をHPにて記載しています。

jpbpa.net


その主張自体は構わないのですが、一部このような主張があります。

日本野球機構が、2000年4月から3年間、ゲームに関する肖像等の利用を特定のゲーム会社に独占させる認可を与えてしまったことで、競争によって、続々と魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまったのです。この独占期間中に、他社がプロ野球ゲームを制作しようとする場合、このゲーム会社に対し許可を得るような形となってしまったため、他社が野球ゲームを制作しづらくなってしまったわけです。

特定のゲーム会社とはコナミのことを指します。さて、この主張はどこまで本当なのでしょうか?

実はプロ野球選手会は似たような主張を裁判前にも行っており、裁判中でもこのような主張を織り込んでいます。

団法人日本野球機構(「野球機構」)が,選手らへの事前通知もなく,選手の肖像等の使用に関して,平成12年4月から3年もの長期にわたるプロ野球ゲームの独占的使用許諾契約をコナミ株式会社との間で締結し,平成12年開幕時にコナミ株式会社以外のゲームメーカーによる野球ゲームが発売されなくなるという事態が発生したことを契機に,球団側に肖像権の管理を委ねることは問題なのではないかとの気運が高まった

ところがこれは事実ではありません。平成12年のプロ野球開幕時期にコナミ外から発売された野球ゲームは普通に存在します。ドリームキャストにてセガが発売した「もっとプロ野球チームをつくろう!」が9月28日に発売されています。なお、その前には「プロ野球チームであそぼうネット」もドリームキャストにて発売されています。これらは両方ともきちんと実名ライセンス取得済みです。つまりコナミは非常にスムースにサブライセンスを与えていたことになります。

こうした反例を把握してしまったがため、選手会は主張をかえて「魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまった」という表現にしたのだと思います。

では具体的に数字を出して調べてみましょう。野球ゲームはいったい年にどれくらいでていたのでしょうか? 実は野球機構が裁判中にまとめあげたデータ、「野球機構とライセンスを結んだ会社数と実名を使ったゲームの本数」があります。それを引用させて貰いましょう。まずはコナミがサブライセンスをする前の三年間、1997-1999年を確認しましょう。


1997 コナミ株式会社発売のスーパーファミコンゲーム「実況パワフルプロ野球3’97春」ほか8社     17タイトル
1998  株式会社スクウェア発売のプレイステーション用ゲーム「スーパーライブスタジアム」ほか10社    22タイトル
1999 株式会社セガ・エンタープライゼズ発売のサターン用ゲーム「サタコレ グレイティスト98」ほか11社 22タイトル



ではここからはコナミがライセンス権を取得したあとの三年間を見てましょう。



2000 株式会社エポック発売のゲームボーイ用ゲーム「ポケットリーグ」ほか14社               22タイトル
2001 コナミ株式会社発売のプレイステーション用ゲーム「ベースボールシミュレーションIDプロ野球」ほか7社  17タイトル
2002 株式会社エニックス発売のプレイステーション2用ゲーム「オレが監督だ!Vol2」ほか7社        17タイトル



……余り変わっていないように見えます。一応補足しておきますと、この区切りは単純に年で区切っていますが、コナミのライセンスは年度(4月から3月まで)ですので、2000年の途中から始まり、2003年の3月末で終わるということになるので、厳密にこの表が正しいわけではないはずです。しかしプロ野球選手会の主張が正しいのなら、ライセンスが終了した2003年4月以降に爆発的に野球ゲームが増えたことになります。このあとの三年間も確認してみましょう。



2003 株式会社コナミOSA発売のプレイステーション用ゲーム「実況パワフルプロ野球プレミアム版」ほか10社  24タイトル
2004 株式会社コナミスタジオ発売のプレイステーション2用ゲーム「実況パワフルプロ野球11」ほか7社     16タイトル
2005 コナミ株式会社発売のプレイステーション2用ゲーム「実況パワフルプロ野球12」ほか6社         18タイトル



増えた……のでしょうか? なんとも微妙です。確かに三年間の平均値を取ってみれば、コナミがライセンスを取得していた時期が一番低くなり(97-99 20.3本 2000-2002 18.6本 03-05 19.3本)ます。おそらくこの当たりの数字をもってプロ野球選手会は「ブレーキがかかった」と主張しているのでしょう。



しかしこれには大きな落とし穴があります。そもそも2000年はプレイステーション2が発売された時期であり、メインプラットフォームがプレイステーションからプレイステーション2へと移行しようとしている時期なのです。
プレイステーションの年間ゲーム発売本数を見て見ましょう。(Wikipediaソースで申し訳ありません)


1998年(全580本)
1999年(全627本)
2000年(全512本)
2001年(全263本)


と、1999年がピークです。2000年は1998年よりもさらに下回っています。なお、この本数にはシンプル1500といった低価格で大量にラインナップされる系統のソフトもカウントされています。
プレイステーション2の年間ゲーム発売本数は、というと


2000年(全122本)
2001年(全228本)
2002年(全346本)
2003年(全453本)
2004年(全465本)
2005年(全460本)


概ね2003年をピークに、2005年あたりまで続いた、といえるでしょうか。つまりコナミのライセンス終了の後にちょうどピークがやってきた形になります。
さらにいうならば他ライバルハードの低調ぶりがちょうど重なったこともあります。2000年はプレイステーションのライバル、セガサターンが急降下し、かわりにドリームキャストが出てくるもPS2の前に四苦八苦、ニンテンドウ64ゲームキューブ発売前で低調、ゲームボーイはそもそも実名野球選手が出てくるようなゲームがあまりでていない(一応ポケットプロ野球プロ野球スタジアム92といったタイトルはありますが)……という状況だったのです。
2003年以降はゲームキューブゲームボーイアドバンスが立ち上がり、順当に野球ゲームも出始めますが、そもそももっとも出しているのは当のコナミ、といった状況です。コナミのライセンスが切れたのに、いっきに増えた様子はありません。



これらの状況を総合すると、こういうことが言えます。


プロ野球選手会の主張は事実に即していません。


プロ野球選手会としては肖像権をなんとか手に入れたいがために、「肖像権を野球機構に任せてはおけないのだ」という理由付けが必要となります。それ故、野球機構と独占ライセンス権を結び、かつスクウェア相手にやらかしたコナミを悪役にしたてて己の正当性を誇示したいのでしょう。しかし、「続々と魅力あふれるゲームが誕生することにブレーキをかけてしまった」なんてことは起きていないのです。コナミはそもそも、順当にサブライセンスを各社に出していたのですから。


2004年、プロ野球選手会コナミと和解しています。「両者は野球界の発展のために協力する」という和解内容でした。で、あるならば、これらの主張を選手会は取り下げ、その上で自らの正当性を主張するのがよいと考えます。


もうそろそろ、コナミを悪役にして叩いておけばいいという風潮は見直されるべきではないでしょうか。

コナミと野球機構がプロ野球選手会相手に肖像権で裁判した話はどう決着がついたのか

先日、このようなツイートがありました。



このツイートには間違いが多数含まれています。取り急ぎこちらの記事をご覧下さい。



amd-ryzen.hatenadiary.jp


そもそもコナミプロ野球選手全員の肖像権を独占して他社から実名を使った野球ゲームを発売させないようにしようとした」なんてことはないのです。


実はコナミプロ野球選手の実名ライセンス権を取得した際、古田選手を中心とした日本プロ野球選手会との裁判に挑む羽目になりました。

game.watch.impress.co.jp

このことは結構なニュースになりました。おそらく前述の方はそのことが頭の片隅にあったため、あのようなツイートを行ったものと推察できます。
そしてこの裁判どのような結果になったのでしょうか? 


結論から言うと、選手会の完全敗北でした


そのため私は裁判に触れることなく前回の記事をしたためたのですが、いい機会ですので私の調べた範囲内で、コナミ野球機構vs日本プロ野球選手会裁判」の解説をしたいと思います。

まず、問題になったのはどういう点でしょうか? 上記ニュースサイトから抜粋すると

プロ野球選手の肖像権は個々の選手に帰属し、球団側が選手の肖像権を有する根拠として挙げている「統一契約書第16条1項」は、球団側が指示するテレビや映画などの撮影や宣伝利用を規定しているだけで、選手側の承諾なしに商業利用する根拠にはならないと主張している。

とあります。ざっくり要約すると「確かに球団とは契約したけど、名前と顔写真まで自由に使わせるなんて契約してないぞ!」という感じでしょうか。
そしてもう一つ

 選手会が独自に行なった調査では、あるゲーム会社のタイトルが販売可能な状態にあったにも関わらず、独占契約のため長期にわたって販売できなかった事実が明らかになったという。また、契約自体が他ゲーム会社を排除した形で締結された点について、競争入札などの方法を採らず特定の1社のみと交渉したことについて疑問を提示している。

この「あるゲーム会社のタイトル」というのはスクウェア劇空間プロ野球のことですね。この件に関してはそもそもスクウェアが先に大ぽかをやらかしているのですが(参照)、そのあたりはわからなかったのか、それとも都合が悪いのか触れていません(ちなみにスクウェアは次作、日米間プロ野球FINAL LEAGUE では野球機構のライセンスを受けず、選手会のライセンスを受けることで実名選手を使用しています。かわりに実名球団は出てきていません)。また競争入札制度を取っていなかったというのは事実であり、このあたりは野球機構のさじ加減次第というのが選手会としては不満とのことです。



2002年に起きたこの裁判は、2004年にコナミと和解が成立しています。

www.famitsu.com

今後両者は、野球界の発展のために協力し、少年少女の向けの野球教室などを開催していくとのこと。

というなんとも不思議な和解内容なのですが、これには事情があります。

www.ritsumei.ac.jp

コナミ側は、訴訟外で選手会と交渉をしました。コナミとしては、企業イメージを損ないかねないのでこの係争を続けていくのは好ましくないという判断があったようです。またインターネット上でコナミに対する不買運動を呼びかけるという動きもあり、さまざまな判断から交渉をしました。コナミにとっては、誰か正当な権利者から許諾をもらえればそれで十分なわけで、選手会と球団との争いはいわば野球界内部の内紛です。その内紛を自分のところに持ち込まれてもどうしようもないので、よく話しあってもらって決着がつくまで待つという形で和解をしました。その結果、選手会コナミに対する訴えを取り下げました

というわけでコナミ選手会は和解を成立させました。コナミはこの時点ですでにライセンスが期限切れであったため、選手会としても裁判を続ける意味もあまりなかったのかもしれません。コナミとしては正規の手段で正規の契約を行った、と思っていたものの「実は選手の総意が取れていませんでした」という現状に驚いたのでしょう。独占ライセンス契約を延長しないという判断を下すのも当然です。

しかし再び行った選手会野球機構の話し合いは上手くいきませんでした。そのため第二次訴訟が起こります。コナミ抜きで野球機構選手会が裁判でぶつかり合うこととなりました。



その結果は選手会の全敗でした。地裁で負け、高裁でも選手会の控訴を棄却し、最高裁は上告を退けています。



www.nikkei.com




高裁での資料が公開されていますので、その一部を抜粋してご紹介します。




https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/891/035891_hanrei.pdf



加えて控訴人らは,本件契約条項の「球団が指示する場合」については具体的な指示を要するところ,野球カード,ゲームソフトについての肖像等の使用についてはこれら具体的な指示を欠くから該当しないと主張する。しかし,既に検討したとおり,本件契約条項には「球団が指示する場合,選手は写真,映画,テレビジョンに撮影されることを承諾する。」とされており,球団の指示は「写真,映画,テレビジョン撮影」に必要とされるものである。そして,野球選手は野球の試合を行うことを活動の本旨としており(統一契約書様式第4条参照),そのテレビジョン撮影がされるのは当然の前提となっているところ,そこで撮影された映像は当然に「球団が指示する場合」に含まれるというべきである。また写真についても,上記で認定のとおり,球団の指示により撮影されているものと認められるから,控訴人らの上記主張は採用することができない

ざっくりいうと選手会の主張は、野球カードと野球ゲームに関しての肖像権は契約外というが、契約書を見る限りその主張は通らない」という具合です。
選手会「球団側が指示するテレビや映画などの撮影や宣伝利用を規定しているだけで、選手側の承諾なしに商業利用する根拠にはならない」という主張が否定されてしまいました。


その他においても野球機構と選手らと契約は、肖像権についての分配が行われていたり、長い歴史のなかで何度も契約に調整がなされ更新が行われてきたという点が評価されました。そうして球団と選手が結ぶ「統一契約書」は肖像権まで含めた契約と見なしてよし、というお墨付きが最高裁から出たということになります。

もう一つ抜粋します。


さらに控訴人らは,球団が肖像権を管理すべき合理性はないとして原判決を論難する。しかし,選手が商業的利用も含め自らの肖像権を生来的に有することは所論のとおりであるが,これを自らの判断で契約により球団等の第三者にその管理を委ねることも許されるのであり,本件は,前記のとおり,そのような意味における肖像権が選手から球団に対し契約により独占的利用を許諾したと認めることができるのである。そして,選手の肖像ないし氏名の宣伝目的での使用を球団が一括管理することを前提とした本件契約条項の内容が,それ自体として不合理といえないことも前記のとおりである。したがって,控訴人らの主張は採用することができない

資料後半部はこんな具合に「控訴人(選手会)らの主張は採用することができない」がずらっと並んでいるのを見ることになります。選手会の主張は、結局何一つ通ることはありませんでした。「なぜ競争入札をしなかったのか」という疑問に対しても「それを含めて野球機構が一括管理するのは別に不合理ではない」と言われてしまいました。

ただしこの裁判を行った結果、野球機構が選手らに対しての態度を改善させはじめていった……というのは、ない話ではありません。




jpbpa.net




 肖像権訴訟を提起する以前であれば、選手のCM出演に関して、球団が選手が若いからという理由だけで一方的に認めなかったケースなどがありましたが、今後は、合理的な理由がない限り拒否できないこととなり、選手が望む肖像権利用が実現していくものと思われます。
 また、肖像権訴訟を提起する以前は、球団が選手の意向を無視して一方的に選手の肖像権を利用した商品を作るなどのケースもありましたが、現在では、球団も選手の意向を踏まえた商品化を行うことが広まっています。

 この意味では、肖像権訴訟を提起したことにより、選手の肖像権に対する球団の理解、配慮が強まったことは事実で、肖像権訴訟を提起したことに一定の意義があったと考えています。


このように選手会側にとって状況は改善方向にあるようです。

この記事の結論としては以下のようになります。




1.コナミはそもそも実名ライセンスを独占使用していない


2.選手会は裁判を起こしたが、その主張は結局すべて通らなかった


3.裁判を通じて選手会野球機構は歩み寄りを始めたが、そもそもこれらは内紛であってコナミは無関係のとばっちり


前回の記事の締めもそうでしたが、今はもう令和の世の中です。「悪のコナミがあくどいことをしようとして、正義のヒーローが阻止した」というストーリーは面白くはありますが、事実ではありません。
ですからコナミは名誉回復がなされていい頃かと思います。


伊集院光がラジオのコーナーで「上上下下訴訟権利訴訟権利BA」という至極のネタを披露したのは20年以上前になります。



もうそろそろ、認識を改めてみませんか?

映画「新聞記者」を見た感想

芸人 伊集院光氏の怪談話を聞いたことはありますでしょうか?
「赤いクレヨン」が有名であったりしますが、氏の怪談話はその口調、語りもさることながら話自身がとにかくクオリティが高く、心霊現象を信じていない人でも背筋がぞわ、とくるほどのリアリティを有しています。


氏の話す怪談話はすべて創作であることを公言しており、何よりうれしいのは「伊集院さんその話良く出来てるわ!」と言われることであるとも言っています。(反面、霊能力者絡みに関しては口を濁して非好意的印象を漏らすのが氏のスタンスを覗えます)


伊集院光氏が語るに、「話のなかで引っかかりがあってはいけない」とのことで、例えば危ない、と思ったり異変が起きたりした場合、今の時代だったらすぐに携帯電話で助けを呼ぶことができるわけです。なのでその前置きとして『これってずいぶんと昔の話なんだけど』と差し込んだり、『そんなに山奥に来たわけじゃないのに急に携帯が圏外になってさ』といった台詞を混ぜることによって、怪談話の本筋に夢中にさせることができる、というわけですね。本筋をスムースに浸らせるようにする努力が、氏の怪談話のクオリティとなって輝くわけです。



「神は細部に宿る」


伊集院光氏の怪談話もまさしくこの通りであるといえます。





さて、話を本筋に移しましょう。映画「新聞記者」を見ました。Amazon Prime Videoです。ネタバレにある程度触れるのでご承知願います。なおこのレビューにおいて反権力だ左翼だ右翼だ、といった政治的スタンスには一切無縁でいきます。



この映画、大雑把なあらすじとしては熱意に燃える新米記者と、同じく国への奉仕に身を捧げる若手官僚の二人が、突如謎のリーク者による新聞社に送られてきた大学新設に関する資料を基に、国の巨大な陰謀を暴こうとするドキュメンタリーなのですが。




とにかくあちこちで引っかかりがありすぎて本筋に夢中になれないんですよ。先の伊集院光氏の怪談話とは全く逆ベクトルに走ってます。



政府は裏であくどいことをしていて、それを隠すために薄暗い部屋にバイト(?)を集めてかちゃかちゃキーボード叩いてツイッターで世論誘導をしようとしてるわけですが、その世論誘導は感情論であったり印象操作だったり偽の証拠使ったでっちあげだったりするんですが、あれだけバイト人数いるならバレないわけなくない!? って思っちゃうわけですよね。しかも途中でねつ造したフローチャートが週刊誌にリークされてやり玉にあがってしまうんですが、これをリークした人間の話題はでてこない。責任問題の話がちょろっとでてきてすぐに消える。いやいや、この大勢のバイトくんのなかにユダがいるわけですよ、そこ突くべきじゃないの? って思って本筋にのめり込めなくなります。



途中で若手官僚と新米記者とが合流する際、官僚は自分が記者にデータを横流ししていないか疑われているのを知っているため、尾行されていないか電話で確認してから合うわけですが、そもそも電話してる時点でアウトなんですよね。履歴も内容も国なんだから抜き放題なわけです。プリペイド携帯とか用意している気配もないですし。そもそもスマホGPS使えばわかりそうなのに、官僚の上司はずっと怪しんでるだけです。とっとと調べろ。君らやる気あるのか。



「政府は世論誘導をしており、みせかけの民主主義を演じているだけに過ぎない」というのがおそらくは影のテーマなんでしょうが、政府のやってることがあまりに幼稚すぎて悪の組織にしては半端なんです。物語の後半に新米記者に対してわざわざ過去の罪を告げてみせるんですが、その内容を録音されていたらどうする気だったんでしょうか? 殺すつもりなのかもしれませんけど、その実行犯は誰に?
若手官僚が離反したり、バイトくんの中のユダだったり、大学資料を送りつけてきたリーク者もそうなんですが、政府の周りは離反者でいっぱいなんですよね。それもそのはず、とにかくメンタルケアが全くなされておらず「こりゃ裏切りたくなるよなぁ」としか思えず、しかもそれが加速的に描写されていくのでむしろ「なんでこんな有様で官僚は普通に仕事してるの??」という逆効果な印象しか受けなくなります。DIOのような悪のカリスマ性はなく、どちらかといったら無惨様に近いのがこの映画の政府です。


極めつけが大学新設の裏で「実は生物兵器を国が作りたがっていた」という真相が明らかになるんですが、なぜ国が生物兵器を作りたがっているのか、その理由はわかりません。なぜ国際法で使用を禁じられたものをわざわざ作りたがっているのだ……??? しかも文書として残しているので、それが公になれば国際社会的に非難は避けられません。国外のことですから世論誘導も意味がないです。このあたりの描写は本当にわけがわからないです。監督が説明を放棄したとしか思えません。
そもそも話の発端のリーク者はこれを封じたければこの文書ごと新聞社に資料を送ってしまえばいいわけですが、それをしていません。資料がよほど厳重な場所に保管されていたのかというと、特段そんなわけなく主人公ら二人のコンビプレイでさくっと発見します。いったいどういうわけだ。


そんなわけで本筋に乗ることが出来ず、引っかかってばかりで面白みを得ることができなかった、というのが正直なこの映画の感想となります。「神は細部に宿る」の逆を見事に披露してくれたな、という感じですね。監督がそこまで考える能力がなかったのか、視聴者がそこまで気にしないと判断したのか、そのあたりの判断はわかりませんしそこに興味はありません。


ただ一つ面白いな、と思えたのはこの作品の中で「誤報を出した記者は死ぬ」という概念が提示されていたことなんですよね(実際に新米記者の父は誤報が原因で自殺している)。
もし実際にそのような概念が広がっていたらどうなるでしょうか? 新聞記者は他の記者へのねつ造を指摘することができなくなります。なぜなら自分が出した記事が誤報だった場合、即他の記者から突っ込みが来て、殺されてしまうからです。かくしてなれあいが始まり相互監視のチェック機能は停止し、本当の誤報はスルーされ、決して誤報誤報であると認定されなくなる世界のできあがりです。めでたしめでたし。

コナミのゲーム嫌いな社長は実在した!?  コナミの影の歴史に迫る!

さて、前回前々回の記事にて繰り返しコナミ創業者である上月景正会長に対し「ゲーム嫌いという風説は間違っている」という内容を広げてきましたが、その際いろいろと資料集めをした結果、なかなか面白い事実に気がつきました。それは長いコナミの歴史の中で、とある時期に「ゲーム嫌いの社長」の存在が実在しえたのではないか? ということです。


「今更何を言っているんだおまえ」と思うかもしれませんが、最後までご覧下さい。これは上月景正会長が後悔してやまないコナミの影の歴史の話です。



1988年から1994年までのコナミと聞くと皆さんどのようなイメージをお持ちでしょうか? おそらく素晴らしく正のイメージを持っていると思います。アーケードではグラディウスⅡをはじめ名作STGが次々に稼働し、ファミコンにおいては自社生産カートリッジの製造許可を最大限に発揮して独自形状による拡張音源搭載の作品を広く提供、末期にはFM音源をそのまま搭載したラグランジュポイントという名作を投入。スーパーファミコンにもがんばれゴエモンシリーズ、魂斗羅スピリッツミュータント・タートルズ、マダラ2、Pop'nツインビーと数々の名作を発売し、さらにはPCエンジンにも参入し、完成版スナッチャーともいえるスナッチャーCD-Romanticを発売、そして一大ブームを巻き起こしたときめきメモリアルの登場……と、まさしくコナミが乗りに乗っていた時期といえるのではないでしょうか。



ところがこの時期、静かにゆっくりと、爆弾が成長していたのです。ときめきメモリアルよろしく。我々の見えない場所で。


それを解説するにはまずは時を巻き戻し、1984年、コナミが株式上場(大阪証券取引所新二部)を果たしたときのことから話さないといけません。このとき創業者である上月景正社長は、社長を一度おり他の人に社長に就いて貰おうと考えはじめていました。なぜなら上場企業となれば社会的責任は増大し、社長としての対外的なお付き合いも増えるわけです。その当時の上場企業において40代の社長はほとんどいないわけなので、上月社長は「こんな青二才が会社の顔では、軽く見られてしまうのではないか」と心配していました。

そして実際に、東京証券取引所市場第二部に上場する前、1987年6月に実際に上月景正社長は社長を退任します。会長として会社にとどまり、社長は菱川文博氏へと変わりました。この菱川氏は兵庫県庁の企画部長や阪神県民局長をされていた方で、縁あってコナミへと入社しました。このとき、上月景正社長は上場するにあたって、大企業や各種金融機関から経営幹部をいろいろとスカウトしてきました。まだコナミの中では生え抜き社員が育ってはきたものの、役員になるまでには若すぎる、という判断でした。菱川文博氏もその中の一人で、当時63歳。会長職についていたのですが、その手腕と年齢による貫禄をかわれ、社長に指名されました。つまり会長と社長がひっくり返ったわけですね。

「異なった能力と資質をもつ二人が役割を分担することで、今までよりも良い経営ができると信じていた」上月景正社長は当時を語ります。しかしそれは「上場企業トップのプレッシャーから逃れたいという弱気の表れであった」とも振り返ります。上月景正社長はなにより、世間体を気にしていたのでした。(このあたりジュークボックスのサービスや、手作りゲーム機の販売を行ってきた過去からの流れがあるように見受けられます)



新体制をスタートさせて一年、二年は問題はありませんでした。しかし三年目に入ってくると、菱川社長と上月会長の間に何かがおかしくなっていきます。会長に来客があると間に割り込み、「会長には私から言っておきますので」といって会わせない、社員に対しては「報告はすべて私を通してくれ」と釘を刺す。そもそも上月会長は二頭政治になることを気にしていたので、相談しにくる社員にたいして「菱川社長と相談して決めてくれ」とだけいうようにし、直接アドバイスするのは菱川社長だけにする、というふうに徹底していたのですが、さすがにこの態度には「いったい何を気にしているのだろう?」と不思議でならなかったのですが、ようするにこれは雇われ社長にしかすぎない菱川氏が出身母体の違う幹部や役員たちに自己の権力を見せつける必要があったのだろうと上月景正会長は後から推察しています。「上月会長は病気で再起できないらしい」と噂が流れたこともあったそうです。


これが結果的に派閥争いを生み、社員の混乱を生み、さらには対外的にもコナミのイメージが低下しはじめました。外部から引き抜いてきた幹部たちは現場感覚が希薄であり、ゲームを作っている若手社員たちの声がどんどんと届かなくなっていったのです。


そして次第に決算もおかしくなっていきました。確かに悪い数字ではありません。しかしゲーム市場全体の成長率と比較すると、コナミのそれはいまいちでした。そして上月会長はとある事実に気がつきます。経営状態は悪化しているということに。確かに決算は悪い数字ではありません。が、それは海外の販社に商品を大量に卸していただけにすぎませんでした。消費者が喜んでコナミの商品を買っていたわけではなかったのです。流通在庫、棚卸資産が莫大な数字になっていきました。


さすがにこのままでは危ない。上月会長はそう判断し1992年に菱川社長を下ろすことを決断します。しかしここでも自分が再度復帰するという選択肢は取りませんでした。上場を機に社長交代をしたのだから、もう一度他の人に社長をお願いしようということで、メーンバンクだった大和銀行からコナミの要望で91年に入社してきた西村靖雄専務が社長になることになりました。入社から社長就任まで一年というスピード出世です。菱川氏は名誉会長に就任し、顧問役としてとどまり、上月会長も会長のまま、という体制です。


そしてこの人事は問題解決どころか、さらに傷口を広げる結果になりました。



銀行出身の西村社長は就任した途端、赤字決算転落という事態は到底受け入れることができず、大量の在庫をそのままにし、他の役員もそれに追従し現場の惨状を反映しない見栄えのいいままの経営計画を追認していきました。しかもあろうことか菱川名誉会長と西村社長が同調路線を取り、在庫処理はどんどん遅れ、問題解決は遠のくばかりでした。



「海外子会社に潜在的な赤字がある。それも数億というレベルではなく、数十億というものだ」



この問題に蹴りをつけるには創業者である自分しかありえない。菱川名誉会長や西村社長では責任の取れようがない。そこで一時西村社長を降格し、自分が社長へ戻り、この問題を処理したあと経験を積んだ(なにせ1年で社長就任です)西村氏を復帰させようというプランを立て、西村社長と話しをし、1994年6月、上月会長は上月社長と舞い戻りました。ところが西村氏はあろうことかさっさと大和銀行へと戻っていってしまいました。その上大和銀行からは「どうして黒字続きの経営者を首にしたんだ!」とカンカン。コナミ大和銀行との取引が打ち切られる羽目になります。


このような出来事もあり、上月景正社長が「残された我々としては唖然としてしまった」と語る羽目になりました。なんとか海外子会社の在庫処理をしなければならないのですが、その金額がとにかく膨れる。80億円ほどの損失を覚悟していたものの、そこからさらに不良在庫が見つかるという有様。海外子会社からしてみたら「日本の本社が勝手に商品を送ってきた。これは在庫ではない。押しつけられた商品が移動してきただけ。我々が仕入れたものではない」というもので、不良在庫という認識すらなかったのです。無茶な在庫押しつけはゲーム市場の黎明期なら通用していたのですが、時はすでに16bit機が円熟期を迎え、次世代機であるサターンや64の影がちらつきだした頃です。さらにはアメリカ市場では任天堂セガがシェア抗争の果てに本体にソフトを2.3本バンドルさせて売っていた事情もあり、買い控えと値崩れが起きていたころでした。無茶に押しつけた在庫が売り切れる余地などなかったのです。最終的にコナミの赤字は160億円にまで膨れ上がりました。当期売上高が277億円であるため、どれだけ巨額な赤字であったか想像できるかと思います。西村氏はこのことを予期できたため、さっさと銀行へ帰っていってしまったのではないか、と上月景正社長は語っています。


コナミは危機に陥りました。経営能力よりも社会的な信用を重視して社長を頼み、プレッシャーから逃げた結果です。苦いという言葉では言い表せないほどの惨めな経験であった、と上月社長は語っています。しかも上月社長は7年間現場を離れていたのです。社員と社長の間には空白の七年間が壁として立ち塞がっていたのでした。自分の考えや経営方針は、全く社員には伝わっていませんでした。上月社長はここから現状を打破するために様々な改革を打ち出すことになるのです。


その中の一つがメールの活用。パソコンを350台導入し、各所にメールを送付。同時に紙の書類を廃止し、社員からきたメールと返事はすべて公開。社長の社宅には専用線を引き24時間メールを確認できるようにし、夜遅く働いている社員や海外勤務の社員からのメールでも即返事を出すようにしました。おかげで「どうせ翌朝にならないと返事がこないだろう」と思っていた社員が驚き、次第に士気があがるようになったと語っています。そしてこのおかげで中間管理職の仕事というのが見直されました。当時の中高年はパソコンの苦手な人が多かったため、このメールのやりとりに忌避感を覚えていたわけですが、そうは言っていられなくなり現場に通ってマネージメントを行うようになったといいます。


また、社内の状況を把握するために一日中ずっと社員の日報を見ました。まずいと思えば即割って入り、そしてほとんど全社員の日報を見るに至り、ようやく状況を把握できたと判断した後は、社員に対して報告書を出すように指示しました。上司に渡すものだとなかなか都合の悪いものは書けないという問題はあるため、報告箱というものに入れさせ全部署で共有させました。おかげで問題点を遠慮なく書くようになり、部門を超えて経営全体の動きを共有化することができました。これが契機となり、開発部門の分社化、独立採算制を導入することができました(ときめきメモリアルのPS版を手がけたKCE東京小島プロダクションの原型となったKCEJ、悪魔城ドラキュラX月下の夜想曲を生み出したのサターン版移植担当であるKCE名古屋などなどが誕生しています(R4.01.13ブコメからの指摘あり訂正。ありがとうございます))。


そして上月社長は役員人事に手をつけました。世間体を気にすることはやめました。96年6月、管理職6人を取締役に抜擢しましたが、彼らは皆30代の若手でした(この中には後にデジタルエンタテインメント社長を勤め上げる田中富美明氏も入っています)。彼らに事業遂行にかかわるすべての権限を委譲しました。そして経営責任者というグループを作り、さらにその中に最高責任者というグループをつくり新たな給与形態をつくりました。たとえ平社員でも会社に絶対必要な人材なら責任者グループに入れ、部長格でも実績がないならそこから落とされるという仕組みです。「利益率が高い、売り上げ規模が大きい、成長率が高い」といった事業を担当する人物ほど給与をあげるようになっており、作り上げた計算式に決算データを入れるとそのまま給与が自動的に計算されるという仕組みでした。そのまま実施したところ、とある役員の年俸が一億円となってしまい、これは上月社長の年俸を遙かに上回るものでしたが、バランス取りを考えずそのまま実施したとのことです。



これらの改革は功と出ました。コナミは成長を続け、ゲーム会社として躍進することになります。また上月景正社長は同時期コンピュータエンターテインメント協会CESA)初代会長に就任し、ゲームソフトの権利保護、コンピュータエンターテインメント産業の発展に向けて精力的に働き続けます。



さて、こうして振り返ってみると確かにコナミのゲーム嫌いな社長」はいた可能性があります。1992-1994年コナミ社長をしていた西村氏は、在籍わずか一年で社長をすることになりました。しかも53歳です。銀行出身で1992年に53歳の西村氏がゲーム好きである可能性というのは、かなり低いかと思います。もしコナミのゲーム嫌いの社長」を真面目に指摘するのならば、西村氏がもっとも近いのではないでしょうか。しかし、その名をあげる人はいないでしょう。おそらく西村氏がコナミ社長をやっていたことをインターネット上で指摘するのはこの記事が初出かと思います。


最後にこの言葉を持ってこの記事を締めたいと思います。



上月景正氏は尊敬に値する方ですが、ここまで精力的に働き過ぎる人と一緒に仕事したいかっていわれたら絶対にしたくないですね


参考文献:日経情報ストラテジー1997年6月号
日経ベンチャー1999年一月号-四月号 社長大学
日経ビジネス1995年7月31日号 敗軍の将、兵を語る

「コナミはプロ野球の実名ライセンスを独占していた」という風説についての所見と解説

2000年、コナミのイメージを最悪に突き落とした事件がいくつもあります。

一つは「ジャレコ VJ」に端を発した音ゲー特許事件。もう一つは他社の商標を奪い取る商標登録問題。そしてもう一つ、野球機構からライセンスを受け野球ゲームに実名選手と実名球団を出せるようにしたのですが、これをコナミは独占しました。

他社はコナミにサブライセンス申請を出さないといけなくなりました。そして実際にコナミスクウェアにサブライセンスを許可しない方針と発表したため、ゲーム業界は荒れに荒れました。

この荒れ具合はBoycottKONAMIさんのページを見ればわかるかと思います。(2021年時点でもまだページが現存し、かつ目的を達成したことで活動を停止したBoycottKONAMIさんに敬意を表します。重要な参考資料として使わせていただきます)


このうちの音ゲー特許事件は翌年にナムコジャレコと和解が成立。商標登録問題もそもそもあくどいことをしたくてやったわけではない、という事情があるのですが、この野球機構のライセンスに関してはいまいちよくわからないまま2003年のライセンス独占契約期間満期終了を迎えてしまい、そのままその後の公正取引委員会による警告」を受け、「なんだかよくわからないけれどコナミがあくどいことをしていたから怒られたんだ」的な解釈がなされています。事実私もそう思っていましたし、おそらく多数の方もそう思っているかと思います。



今回はこのライセンス問題について私が理解できた範囲内で解説を行います。参考資料は再び国会図書館から送って貰った、東京大学法学部研究拠点形成特任研究員 大久保直樹氏によるコナミに対する公正取引委員会の警告等について -単独ライセンス拒絶の事例研究-」です。



まず言っておかなければならないのは コナミは実名ライセンスを独り占めしてはいません。ぴんと来ない方も多いかと思いますが、コナミは2000年4月、野球機構と契約を有効化してから他社と交渉を続けており、サブライセンスを各社に許可しています。8月時点ですでに7社と契約をし、以降5社とも交渉を続けている状況だとのことです。つまり、コナミは他社にバンバンサブライセンスを許可していたことになります。


これはある意味当然なことで、そもそもコナミ野球機構とこのような契約に至った背景には、コナミが相当量なスポンサー料を野球機構へ渡したからであり、その回収としてサブライセンス料は可能な限り欲しいわけですね。そのサブライセンス料をどう調節するかはコナミにある程度の裁量が任されていたと推察できますが、コナミと裁判で殴り合っていたナムコがサブライセンスを受け熱チュー!プロ野球2002を発売できたことを見ると、おそろしくぼったくっていたわけではない……のかな? と思えます。自社音ゲーは自社以外のゲーセンに置かない、という方針で対立する羽目になったセガにもサブライセンスを与えているのを見ると、「それはそれ、これはこれ」な懐事情が透けて見えます。


ところがスクウェアに対しては明らかにコナミは後ろ向きでした。アサヒ芸能の取材において「当社は、その権利を侵害している企業に対してのサブライセンス対応に大変苦慮しています」と牽制しているほどです。結局スクウェアコナミと契約でき、無事ソフトを発売することができたんですが……その発売は2000年9月。しかもデータは昨年の1999年のまま、という有様でした。コナミとの交渉がスムースに行われていたらもう少しマシな状況だったのでは? と思わざるを得ません。


そしてこの三年後、公正取引委員会がこの一連の流れを調査し、コナミ側に警告。野球機構側に注意を行いました。「他社にはサブライセンスすることになっていたのにも関わらず、特定のゲームメーカーの新製品の発売を遅延させる疑いのある行為を取った」というものです。明らかにスクウェアの件を指しています。


この警告というのは程度としてどのような具合でしょうか? 公正取引委員会のサイトを確認する「排除措置命令等の法的措置を採るに足る証拠が得られなかった場合であっても,違反するおそれがある行為があるときは,関係事業者等に対して「警告」を行い,その行為を取りやめること等を指示しています。」とありますので、法的措置を採るに至るほどの証拠があったわけではなく、「それは違反する可能性があるからやめような」というものだったのですね。


では具体的に、どの点が独占禁止法に触れるおそれがあるのか調べてみましょう。大久保直樹氏によると、「他社メーカーがコナミ野球機構からライセンスをもらえない状況」になった場合、独占禁止法「代替的競争手段の不存在」という要因を満たしてしまうといいます。代替的競争手段の不存在とは、この場合「コナミからライセンスがもらえないと実名選手や実在球団を扱うことができない」という状況ですね。
野球機構は12球団からライセンスの認可を受け、今まで複数他社にライセンス付与を行っていました。それをコナミ一社に絞り、他社はコナミからサブライセンスを認可してもらうように交渉を打ち切ってしまいました。コナミがそのままサブライセンスを許可していれば問題なかったわけですが、そこで交渉打ち切りとなると、他社はどうすることもできない。その状況が独占禁止法にあてはまるということになります。(各12球団に個別にライセンスを取りに行くという方法もあるかもしれないが、現実的ではないだろうと大久保直樹氏は解説されています)


こうしてみるとなるほど、公正取引委員会が警告を行ったのも納得がいきます。(警告がなされた時点ですでにコナミ野球機構の間のライセンスは終了していたのですが)


さて、もう一つ疑問符がつきます。セガナムコというライバルに対してサブライセンスを付与するほどだったコナミが、なぜスクウェアに対しては非常に冷たい態度をとり続けていたのでしょうか? 


それを解説するに「経済会 2000年7月号」の、上月景正社長(当時)のインタビューを紹介いたします。当時、各方面からスクウェア新作プロ野球ゲーム発売できず!? コナミスクウェアいじめ!」みたいな記事が盛り上がり、「もうゲームはできているのに発売できない」というスクウェア側の言い分が載っていてコナミバッシングに使われました。それに対するカウンターパンチとして上月景正社長(当時)自らインタビューに答えたものです(なお、上月景正氏がインタビューに答える、というのは恐ろしく貴重です。この方はほとんど表にでてきません。今回の記事も「ソフト業界の健全な発展のためにも、個別企業の利害関係を明かすべきではない」という考えでしたが、「あまりに経過を省いた報道に疑問を感じ」インタビューに答えたとのことです)。
そこにはこのような内容が記されていました。


当初、1999年夏にスクウェア社長武市氏(2000年には会長)がコナミを訪れ、野球ゲームをつくりたいから来年コナミが取得するはずの野球の実名ライセンスを貸して欲しいという申し出を受けました。これには上月社長も乗る気であり「それならばかわりにスクウェアさんが有しているサッカー選手の権利(FIFA関連)を譲っていただけませんか?」と提示しました。当時コナミが出していたウイニングイレブンは偽名選手だったのです。
ところがスクウェア側の返事はノー。『権利を有しているのはEAと合弁でつくったEAスクウェアなので、日本側だけでは決められない』という返事でした。当時スクウェアはEAと提携し、アメリカにEAスクウェア、日本にスクウェアEAという合弁会社を各自つくりました。ところがそのアメリカ側のEAスクウェアの株主は30%がスクウェアであり、その役員の中には当の武市氏も入っていたのに、です。


スクウェアが強硬な視線を崩さなかったため、結局コナミはサッカーのライセンスを諦め、改めて野球ゲームのサブライセンスの交渉に就こうとします。ところが打診をしたのにスクウェアは実際の契約行為に至らない。そうしている間に年があけ、2月にはなんとそのまま「劇空間プロ野球が発表されてしまったのです。これに上月社長は野球機構に問い合わせしたそうですが、その返事はコナミとの契約期間は4月以降からなのでそれ以前に発売されるのならやむを得ない」というものでした。これ自体はまっとうな話であるため、コナミ側としてもいったんは引き下がったものの、あろうことかスクウェアは発売延期をしてしまい、4月以降の発売となってしまったのです。


東京ゲームショーにもこの劇空間プロ野球は出展され「近日発売」と銘打っているので、さすがにコナミ側としては看過できずスクウェアに問い合わせをするのですが、その返事は「特許(原文ママ)は侵害していない」の一点張りだったとのこと。その上テレビなどで宣伝を始め、あろうことかNPBライセンス認証済み」とまでうたってしまったのです。その一方で先のサッカーゲームは権利がアメリカ側にあるはずが、スクウェア流通を活用して堂々とスクウェア本体が身を乗り出して手がけているという状況。さすがに「話が違う」と上月社長はスクウェア側と議論の場を設けましたが、結局納得するような答えは返ってこなかったとのことです。


最終的にスクウェア野球機構にライセンスの無断使用を謝罪。一度経緯を白紙に戻し(戻せるような交渉があったようにも見えませんが)改めてコナミと交渉を行った……という一連の流れだったのです。



上月社長の語っていることがすべて本当であるか、というのはわかりません(劇空間プロ野球の発表が2月……というのはちょっと疑問符がつきますが、それに反するソースも見当たりません。ファミ通1999年-2000年を所持している方ならわかるかしら?)。ですがナムコセガに対してサブライセンスを順当に認めていること、スクウェアが先走ってライセンスを取得したと言ってしまったこと自体は本当であるため、概ね信頼性あり、と見なして支障ないかとおもいます。

こうした経緯があるためスクウェアにサブライセンスを渡すのはどうか?」コナミ側が思案し、その結果まさしく独占禁止法に引っかかる「代替的競争手段の不存在」となってしまったわけですね。


また、コナミ公正取引委員会に反論をしています。公正取引委員会が言った「他社にサブライセンスをするようになっていた」という文言は契約文言には存在せず、公正取引委員会独自の解釈である、として批判しています。(2003年4月25日付けコナミ社プレスリリースとして出されていますが、さすがに現在は消されて見えなくなっています)
つまり場合によっては野球機構からサブライセンスを行わなくてもよい、と暗に言われていたんだ、と主張していることになりますが、私見ながらこの批判は意味がないかと思われます。「代替的競争手段の不存在」が成立してしまう以上、コナミはどうやってもサブライセンスを行わなければならないはずであり、この公正取引委員会の見解は関係なしとなります。

しかしコナミがそう主張しているということは、実際の野球機構との契約の中でも概ねそのような説明を受けてきたと思われます。……と、なると、おそらく野球機構自身、ライセンスを与えない行為が独占禁止法に引っかかるかどうかを把握していなかった可能性があります。

現に公正取引委員会から野球機構も注意を受けています。コナミが順当にサブライセンスを認可するようチェックする義務があるはずなのに、それを怠った」という理由です。

野球機構がいまいち独占禁止法を理解しないままライセンスをコナミに貸し、コナミもまた完全に理解している状態ではないまま、スクウェアという特大のやらかしに巻き込まれたことで、そのまま無知で地雷を踏み抜いてしまった……。この事例はこういうことなのではないでしょうか。


そしてもう一つ謎が残ります。なぜスクウェアはライセンス違反のまま発売を強行しようとしたのか、ですが、それに対する資料が見つかりません。それとEAから受けたサッカーのライセンスを結局コナミに譲らないまま終わるのですが、これが独占禁止法に当たらなかった理由はわかりません。海外でのライセンスは事情が違う、ということなのでしょうか。


こうした事情を踏まえてまとめると以下のようになります。



コナミ公正取引委員会から警告を受けたが、それは「ライセンスを独占していたから」ではない


コナミスクウェアにライセンスを出すことを渋ったのは主にスクウェア側に理由があるが、それでもそれは独占禁止法的に問題のある行為だった


・ライセンスを独占していたのはむしろスクウェア側だが、公正取引委員会は動いていない



コナミスクウェアの双方のやらかしについては「ゲーム業界全体がまだ未成熟だったから」というのもあるかもしれません。上月社長は経済会のインタビューの最後にて「ゲーム業界といえども国際ルール、国際基準に見合った肖像権ビジネスをしなければなりません」と語っています。スクウェアの態度によほど怒っていたのでしょうが、その対応が独占禁止法に引っかかるというのはまさしく皮肉です。


今令和の世になってどうかと見てみると、漠然とコナミが悪いことをした」というイメージが残り、それを拭い切れたとはいえません。
しかし綿密に精査してみると、単純にコナミがやらかしたとは言い切れず、相応の事情があったことがわかります。あれから20年近くたちました。そろそろ見直されてもいい頃だと思います。PS2が初登場した2000年の頃のイメージは、PS5が登場している2021年にはいささか古いのではないでしょうか。この記事がそのイメージの更新に繋がればと祈ります。


ここでこの記事は終わります。お疲れ様でした。