平和的なブログ

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特別編 「KONAMIの社長はゲーム嫌い」という伝説

 タイトルのような話を皆さんは一度聞いたことがあるのではないでしょうか?
 実はこういう話には珍しく、全くの大デマ…というわけではなく、たどりにたどればソースらしき逸話に到達することが可能です。
www.nikkei.com

 有料記事ではありますが、登録することで月10本無料で読むことができる記事なので、その一部を引用致します。
>「(ゲームの)イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」。上月は99年、創業当時を振り返ってこう語っている。
(中略)
>「上月さんは『所詮はゲーム』という世間の風潮を気にして、『ゲーム屋』と呼ばれるのを嫌っていた」。経営会議に立ち会ったOBはこう打ち明ける。

 以上の箇所が各地に転載され、「コナミの社長はゲーム嫌いで、ゲームを止めたがっているのだ」という風説が広がりました。

 私は一時それに対して「この文章はそういう意味ではない。99年といえばコナミ音ゲーをヒットさせ、コンシューマーにも意欲作を出していた。今ではその子供が後を継いでいる。つまり『昔はそう思っていたが、今はゲームが好きだ』という意味なのだ」と説明していた時期がありました。

 その解釈は大間違いというわけではなかったのですが、いささか考察が甘かったのです。
 
 そもそも何故このような風説が流れてしまうのか、というと、原因の一つとしてコナミ創設者上月景正氏は表に出てくることがほとんどない」というのが挙げられます。99年に受けたインタビューは今はもう直接確認できない上、私がネット上で確認できるインタビューはわずか一件のみでした。
 その一件のインタビューをご覧になれば、「イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」「ゲーム屋と呼ばれるのを嫌っていた」の本当の意味がわかるかと思います。
 
kigyoka.com


 2005年、起業家倶楽部のコナミ特集の際、当時の上月元社長(今はコナミホールディングスの会長となり、第一線を退いています)へインタビューを行ったものです。ぜひ全文を読んでもらいたいのですが、特に注目すべき点を引用します。

 
>問 まずはゲーム業界に入ったきっかけ、創業のいきさつを聞かせていただけますか。

>上月 昭和四十年代の頃、私はたまたまレコード会社に勤めており、ジュークボックスという機械が出てきて、それを担当することになったのです。飲食店など人の集まるところにジュークボックスを置いて、それにお客さんが十円、二十円入れて好きな曲を聴くというものです。



 コナミの創業当時は、ジュークボックスを扱う会社として設立されたということです。


>問 アメリカ系の会社がレンタルビジネスをしている中で、上月さんの会社は売りきりでやっていたのですね。

>上月 そうです。われわれは失敗して撤退しました。その一方で、米軍基地の周辺には歓楽街ができ、そこに軍の中の機械が広がっていく。それがゲームセンターの走りになりました。だからジュークボックスがゲーム業界のすべての原点なんです。



 そしてジュークボックスの販売に失敗し、そこからゲームセンターへと転換することになりました。



問 一九八一年、社員が三十人程度だった御社は一気に三十六人の新卒を採用した。なぜそれだけ思い切ったことをしたのですか。


>上月 当時、新聞広告だけではいい人が来なかったんです。職安もしかりでした。思い切ってと言いますが、仕事はいくらでもあったのにそれをこなす社員がいなかったということなのです。仕事があり、将来性もあるのに、それをやれる人がいない。新聞広告で採用しても意欲はない、能力はないということで、それではどうにもならないので、真っ白な新卒を採用して会社を築いていこうと思ったのです。

>問 しかし、よく三十六人も採用できましたね。

>上月 ですから当時、初任給十二万円が相場のところを十四万円にしたのです。

>問 当時は二万円の差は大きかったですよね。

>上月 だから採れたんです。




 ゲームをつくる転換にあたって、大量の人員が必要となりそこで給料を上げ人を呼び込み一気に確保したことが語られています。重要なのが次です。




>問 学生を集めるために、その他にも工夫しましたか。

>上月 ゲーム関連の職業は忌み嫌われる時代でしたから、電子応用機器の製造会社として募集しました。実際に電子応用機器という産業項目があり、間違いはないでしょう。電子応用機器で初任給は十四万円、オフィスは写真の通り、ということで募集した(笑)。けれど、会社に来たら実態がわかってしまうから、ホテルで面接をしました。来てくれるだけでうれしいのですから、筆記試験はやっていません。



 ここで語られるのが「ゲームで募集をかけると人は来ない」ということなのです。この点は重要で、コナミが上場する際にも語られています



>問 上場はスムーズにできたのですか。

>上月 最初、上場できますかと会計士に相談したら「とんでもない、無理です」と言われました。「組織もなければ、内部監査制度もない、取締役会の員数もそろっていない。なんにもないではないですか。だいたい就業規定はあるんですか」と。それで急きょ、そういうものを取り揃えてやりました。ゲームという分野では上場できなかったので、電子応用機器の会社として上場しました。電子応用機器がゲーム産業で使われているという位置づけですね。それで当社が上場すると、同業他社が「こんな産業でも上場できるのか」と驚いて、みんなが当社に勉強にきました。またうちの主幹事はN証券だったのですが、競合他社を聞かれてS社、N社、T社と答えると、N証券がみんなそこに「上場しませんか」と回り始めたんですね。それど、みんなが当社の後に続いて上場していったのです。



 なんと「ゲームという分野では上場できない」という当時の事情が語られています。社長の意識と関係なしに、ゲームという娯楽が如何に低く見られていたのかわかるかと思います。
 そしてインタビューはスポーツクラブ買収の件に踏み込みます。



>問 御社は二〇〇一年にピープル(現コナミスポーツ)を買収し、スポーツ事業を始められた。これは大きな転機になりましたが、そのいきさつは。

>上月 それ以前に、当社はダイエットができるゲームをつくっていた。音楽を聴きながら体を動かすだけでダイエットできるというものです。その時に、ピープルからカロリー計算などのノウハウをもらって、共同開発したのです。そのうち役員会で、リハビリできるゲームはどうかという案が出た。そういう方面も面白いねという議論をしていた中でどうせやるなら、病気にならないゲームの方がいいねといった話をしていたのです。そうした中で、たまたまマイカルが業績不振でピープルを売るという話が出てきた。健康産業はこれからの産業だし、何よりも世の中に受け入れてもらえる業種であることが魅力でした。住民から近くにはつくらないでくれと言われていたジュークボックスの時代から考えると、どこにも反対されないフィットネスクラブは大変な魅力でした。



 ダイエットできるゲームとはダンスダンスレボリューションのことで、フィットネスクラブにダンスダンスレボリューションを置かせようと営業活動に出たところで接点が出来た、ということが別記事にて書かれています。ここで重要なのは「ジュークボックスの時代には住民から反対運動の声すら出ていた」ということです。


 これらの話をまとめると、別の解釈ができるようになります。つまり上月元社長は「ゲームという娯楽が周囲から低く見られていた時代を、なんとかゲームという表現から逃れることでゲーム会社としてコナミを大きくしていった」ということなのです。
 「イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」のは事実でしょう。ゲームの会社だと知られたら、子供が虐められたかもしれません。「ゲーム屋と呼ばれるのを嫌っていた」のもまた事実でしょう。「ゲーム屋」では会社を大きくすることができなかったのですから。

 これらの時代背景を踏まえて上月元社長のやってきたことを見れば、私はとても「この社長はゲーム嫌いだ! ゲームを嫌がるだなんて許さん!」などと非難することはできないのです。そして同時に「今ではゲームが好きだ」という浅いレベルの解釈のままいるのもできません。上月社長がどれだけゲームという娯楽に全力を注いで来たかは、好きや嫌いといったもので済ますにはいかないと理解できるでしょう。


 上月元社長はもう80手前の高齢です。亡くなってしまうのもおかしくない年齢です。そんな状態でありながら、「コナミの社長がゲーム嫌い」という風説が広がったままでは、流石にゲーム業界に貢献をしてきた大先輩に申し訳がないのではないか……そう思い、ブログの記事としました。少しでも風説が晴れることを願って。