平和的なブログ

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映画「新聞記者」を見た感想

芸人 伊集院光氏の怪談話を聞いたことはありますでしょうか?
「赤いクレヨン」が有名であったりしますが、氏の怪談話はその口調、語りもさることながら話自身がとにかくクオリティが高く、心霊現象を信じていない人でも背筋がぞわ、とくるほどのリアリティを有しています。


氏の話す怪談話はすべて創作であることを公言しており、何よりうれしいのは「伊集院さんその話良く出来てるわ!」と言われることであるとも言っています。(反面、霊能力者絡みに関しては口を濁して非好意的印象を漏らすのが氏のスタンスを覗えます)


伊集院光氏が語るに、「話のなかで引っかかりがあってはいけない」とのことで、例えば危ない、と思ったり異変が起きたりした場合、今の時代だったらすぐに携帯電話で助けを呼ぶことができるわけです。なのでその前置きとして『これってずいぶんと昔の話なんだけど』と差し込んだり、『そんなに山奥に来たわけじゃないのに急に携帯が圏外になってさ』といった台詞を混ぜることによって、怪談話の本筋に夢中にさせることができる、というわけですね。本筋をスムースに浸らせるようにする努力が、氏の怪談話のクオリティとなって輝くわけです。



「神は細部に宿る」


伊集院光氏の怪談話もまさしくこの通りであるといえます。





さて、話を本筋に移しましょう。映画「新聞記者」を見ました。Amazon Prime Videoです。ネタバレにある程度触れるのでご承知願います。なおこのレビューにおいて反権力だ左翼だ右翼だ、といった政治的スタンスには一切無縁でいきます。



この映画、大雑把なあらすじとしては熱意に燃える新米記者と、同じく国への奉仕に身を捧げる若手官僚の二人が、突如謎のリーク者による新聞社に送られてきた大学新設に関する資料を基に、国の巨大な陰謀を暴こうとするドキュメンタリーなのですが。




とにかくあちこちで引っかかりがありすぎて本筋に夢中になれないんですよ。先の伊集院光氏の怪談話とは全く逆ベクトルに走ってます。



政府は裏であくどいことをしていて、それを隠すために薄暗い部屋にバイト(?)を集めてかちゃかちゃキーボード叩いてツイッターで世論誘導をしようとしてるわけですが、その世論誘導は感情論であったり印象操作だったり偽の証拠使ったでっちあげだったりするんですが、あれだけバイト人数いるならバレないわけなくない!? って思っちゃうわけですよね。しかも途中でねつ造したフローチャートが週刊誌にリークされてやり玉にあがってしまうんですが、これをリークした人間の話題はでてこない。責任問題の話がちょろっとでてきてすぐに消える。いやいや、この大勢のバイトくんのなかにユダがいるわけですよ、そこ突くべきじゃないの? って思って本筋にのめり込めなくなります。



途中で若手官僚と新米記者とが合流する際、官僚は自分が記者にデータを横流ししていないか疑われているのを知っているため、尾行されていないか電話で確認してから合うわけですが、そもそも電話してる時点でアウトなんですよね。履歴も内容も国なんだから抜き放題なわけです。プリペイド携帯とか用意している気配もないですし。そもそもスマホGPS使えばわかりそうなのに、官僚の上司はずっと怪しんでるだけです。とっとと調べろ。君らやる気あるのか。



「政府は世論誘導をしており、みせかけの民主主義を演じているだけに過ぎない」というのがおそらくは影のテーマなんでしょうが、政府のやってることがあまりに幼稚すぎて悪の組織にしては半端なんです。物語の後半に新米記者に対してわざわざ過去の罪を告げてみせるんですが、その内容を録音されていたらどうする気だったんでしょうか? 殺すつもりなのかもしれませんけど、その実行犯は誰に?
若手官僚が離反したり、バイトくんの中のユダだったり、大学資料を送りつけてきたリーク者もそうなんですが、政府の周りは離反者でいっぱいなんですよね。それもそのはず、とにかくメンタルケアが全くなされておらず「こりゃ裏切りたくなるよなぁ」としか思えず、しかもそれが加速的に描写されていくのでむしろ「なんでこんな有様で官僚は普通に仕事してるの??」という逆効果な印象しか受けなくなります。DIOのような悪のカリスマ性はなく、どちらかといったら無惨様に近いのがこの映画の政府です。


極めつけが大学新設の裏で「実は生物兵器を国が作りたがっていた」という真相が明らかになるんですが、なぜ国が生物兵器を作りたがっているのか、その理由はわかりません。なぜ国際法で使用を禁じられたものをわざわざ作りたがっているのだ……??? しかも文書として残しているので、それが公になれば国際社会的に非難は避けられません。国外のことですから世論誘導も意味がないです。このあたりの描写は本当にわけがわからないです。監督が説明を放棄したとしか思えません。
そもそも話の発端のリーク者はこれを封じたければこの文書ごと新聞社に資料を送ってしまえばいいわけですが、それをしていません。資料がよほど厳重な場所に保管されていたのかというと、特段そんなわけなく主人公ら二人のコンビプレイでさくっと発見します。いったいどういうわけだ。


そんなわけで本筋に乗ることが出来ず、引っかかってばかりで面白みを得ることができなかった、というのが正直なこの映画の感想となります。「神は細部に宿る」の逆を見事に披露してくれたな、という感じですね。監督がそこまで考える能力がなかったのか、視聴者がそこまで気にしないと判断したのか、そのあたりの判断はわかりませんしそこに興味はありません。


ただ一つ面白いな、と思えたのはこの作品の中で「誤報を出した記者は死ぬ」という概念が提示されていたことなんですよね(実際に新米記者の父は誤報が原因で自殺している)。
もし実際にそのような概念が広がっていたらどうなるでしょうか? 新聞記者は他の記者へのねつ造を指摘することができなくなります。なぜなら自分が出した記事が誤報だった場合、即他の記者から突っ込みが来て、殺されてしまうからです。かくしてなれあいが始まり相互監視のチェック機能は停止し、本当の誤報はスルーされ、決して誤報誤報であると認定されなくなる世界のできあがりです。めでたしめでたし。