1993年のスカイリム
みんなスカイリムは好きかい? 私は大好きだよ。
ゲームの中に世界がまるまる一つ詰め込まれていて、好きなところに行け、そしてあちこちに多彩なイベントが仕込まれていて飽きることなくプレイし続けられる。本編であるアルドゥイン倒しを目指して進めてもいいし、それを全く無視して生活を送っても良い、柔軟なゲームスタイルを受け入れることができる。本編もガンガン前に出て両手剣を振るう剣闘士スタイルを取ることもできるし、後方で多彩な魔法を駆使する魔術師スタイルで進めてもよい。与えられた選択肢はまさしく無限大なのだ。
こんなにおもしろいゲームが出てきたのは、ゲーム機自体の性能がとてつもなく上がってきて、高度なゲームエンジンを動かす余地が出てきたことと、作り込める予算と開発期間が与えられたことが理由にあげられることだろう。私の生きている間にこんなゲームが出てくるんだから、生きててよかったし、もっともっと長生きしたいと思えてくるね。
さて、ここまで書いておいてなんだけれども、今回の記事はスカイリムがメインの話ではないのだ。スカイリムが21世紀の、高性能なゲーム機と潤沢な開発予算によって生み出されたものだとしたら、では果たして、90年代前半において、今のゲーム機とは全く比較にならない性能しかないゲーム機で、制限された人員と予算とで、こんな自由度の高いゲームを作ろうとしたらどのようなものが出来上がったのだろうか? 私はそのソフトを提示することができる。そう、「ゼロヨンチャンプ2」である。
ゼロヨンチャンプ2について語る前に、前作「ゼロヨンチャンプ」と、その周辺状況を説明しておく必要がある。
発売は「メディアリング」。この会社は三菱樹脂の子会社で、三菱樹脂はPCエンジンのHuカードの生産元だったのだ。その流れでメディアリングが設立され、ゲーム制作へと舵をきった。一方で堀井雄二が出演している深夜番組オフィスヒット内でゲームデザイナー育成企画が行われ、その中に本作のディレクター神長豊が参加しており、彼の出した企画が見事採用され(どういう流れでメディアリングに企画が拾われたのかはよくわからないのだが)、「ゼロヨンチャンプ」として世に出ることとなったのだ。
ゼロヨンチャンプというゲームがどのように作られたかは、神長豊本人のコメントがインターネット・アーカイブに残っている。
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車が趣味だったので車のゲームを作りたかったものの、ハードウェア性能の制限があるためコーナーを全部オミットした、ゼロヨン(直線400mまっすぐのレース)になったというものだ。当時のPCエンジン周りのゲーム機事情は難しい。スーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブの三者でシェア争いをしていたが、そのハードウェア性能は一長一短で、どこが飛び抜けて強いというわけでもなく、性能面でいえば業務用アーケードが頭一つ飛び抜けていた。
そんな制限下でゲームを作ろうとすると、大胆なオミットが必要となり、ゼロヨンを選んだ神長豊の選択は大正解であるといえる。その上車のゲームを作るにあたって、メディアリングという会社は最高の環境だった。なぜなら三菱樹脂が親会社なので、そこから三菱グループである三菱自動車へ話を通し、各社車メーカーから実車のライセンスを借り受けることに成功する。そしてゼロヨンチャンプは日本のゲーム史上はじめての「実車が収録されているレースゲーム」となったのだ。
思い切ったゲームデザインと実車の収録、そしてパロディ満載のイベントとが好評を博し、ゼロヨンチャンプはPCエンジンで発売されたソフトの中で最多再販回数を記録することとなる。
そして続編、ゼロヨンチャンプ2が作られることとなる。その時点でPCエンジンはバージョンアップをしており、「スーパーCD-ROM2」へと更新することとなった。そう、CD-ROMである。(ところで三菱樹脂の子会社がHuカードでなくてCD-ROMでゲームを出して良かったんだろうか……?)
PCエンジンの性能は前述した通り、決して突出したものではない。しかしCD-ROMという媒体を導入したことにより話は変わる。1992年に発売されたファイナルファンタジー5のカセットROM容量は2MBである。だがCD-ROMは当時で650MB540MB(訂正:最初期のCD容量は540MBだった)という大容量を扱うことができた。そんなCD-ROMで神長豊という才能あるクリエイターが暴れたらどうなったか? ゼロヨンチャンプ2はそれへの回答でもある。神長豊は、PCエンジンスーパーCD-ROM2という環境で、1993年におけるスカイリムをつくりあげたのである。
ゼロヨンチャンプ2のストーリーは明快である。前作ゼロヨンチャンプにて日本ゼロヨンのNo1となった主人公の元に、謎のアメリカ人スティングがゼロヨン勝負をしかけてくる。主人公が立ち向かうも全く歯が立たない。彼はなんとアメリカゼロヨンチャンプだったのだ。自分と日本車とをバカにして去っていくスティングにリベンジすべく、単身彼はロサンゼルスに飛び、バイトを行って金をため、車を買い、それをチューンして、パーツを取り付け、リベンジを果たす。しかしなんとスティングですらノーマルコースのチャンプでしかなかったのだ! アメリカのゼロヨンは他にウェット、アイスの二種コースが存在する。それら個別のコースのチャンプを打ち倒すと、全米アメリカチャンプの存在が知らされ、彼に挑戦するためにはアメリカ全土に散らばるゼロヨンメダルを集めなければならないという。ここまで来たなら、アメリカでもNo1になってやる! 主人公は譲り受けたモーターホーム(車を三台載せて走れる超巨大キャンピングカー)で、アメリカ全土を周りゼロヨン勝負を続けるのだ! ……というもの。
ロサンゼルス戦が第一部にあたり、ここで各種コースの基本とアルバイトを学ぶ。第二部がアメリカ全土に周り、各地でイベントをこなすことができる。ゼロヨンとは直接関係ない場所も多くあり、そこでは情報を得たり、観光したり、アルバイトに励んだり、カジノで遊んだりすることもできる。ここで勘のいい人は「ん?」と思うことができるかもしれない。そう、第二部はまさしくオープンワールドなのだ。各地にイベントが仕込んであり、どこからでも自由に遊ぶことができる。しかもイベントが相互に作用しているものも多くある。とある場所で遊ぶミニゲームの景品は「防弾チョッキ」であるが、これは全く無関係の場所の警備員アルバイト(ようするにRPGなのだが)に必要なアイテムである。そしてその警備員アルバイトにて遭遇する最強の敵は、普通に戦っただけでは決して倒すことが出来ないが、全く別の場所で色仕掛けで財布を抜き取ろうとする女の子を更生させるイベントをこなすことで手に入る「クロロホルム」を使うことでようやく倒すことが可能になる。
デトロイトに日本車を載せて行ってしまえば車は破壊されるし(日本バッシングが激しかった頃である)、シカゴで車を買おうとするとボッタクリ価格を突きつけられる(それでも車を買うと手のひら返して丁寧な対応に変わる)。各地を回ると新規のイベントが起き、そして他の地区で起こしたイベントと連動してまた新しいイベントが発生する。メインストーリーである打倒全米チャンプを脇に置いてミニゲームであるアルバイト(一つ一つのクオリティが本当に高い!)に精を出しても良いし、真面目に車をチューンアップしていってもよい。イベントの数はとにかく多く、探しきれないほど。事実本当に探しきれず、20年以上やり続けていた私ですら知らなかったイベントもあり、つい5年前に発見したものもある。今でもコンプリートしたとは言い切れず、意味不明なアイテムが残ったままだったりする。この領域は本当に趣味でしかなく、普通の人はそこまでしないでメインストーリーをクリアすることが可能で、そしてそのメインストーリーも、最後に大どんでん返しがあり、「やられた!」と思うこと間違いない。私が勝手に「神長豊節」と呼んでいるストーリー展開は、このゼロヨンチャンプ2から始まっている。骨太のメインストーリーと、CD-ROMの大容量を活かした豊富なイベント。PCエンジンCD-ROM2の名作と名高い「天外魔境2」は「5分に一度はイベントだ!」という目標を掲げて作られていたが、今作はいうなれば「イベントという海に泳ぎにいこう!」という自由度を付加したものである。大量のイベントは旅をする中でワクワク感を増大させる。まさしく、ゼロヨンチャンプ2は1993年に作られたスカイリムなのだ。ゲーム機の性能が足りないならば、大胆にゲームデザインをオミットすればよい。イベントという他のところで補い、それをCD-ROMという武器を活かして大量に用意する。結果選択肢は大量に生まれ、ゲームの中の世界に彩りと広がりが無限大になっていく。神長豊の手腕によってオーパーツとも言えるゲームは生まれたのであったのだ。
さて、以上をもってこのゼロヨンチャンプ2の紹介として記事を締めるが、ここから先は私が愛してやまないゼロヨンチャンプ2が死ぬことを運命づけられた作品であることを記述することにする。そう、この作品はいつか必ず死ぬ。しかもそう遠くない時期に。
ゼロヨンチャンプ2は前作に引き続き、実車収録である。そのため、バーチャルコンソールやPCエンジンアーカイブスに収録する場合、各社にライセンスを再度取りに行かなければならず、障壁が非常に高い。(そしてその障壁は突破する見込みがまったくない)
その上、これは「ゲーム実況」という比較的新しい文化にも作用する。ファミ通と電撃が共同で企画した「ゼロヨンチャンプ2にチャレンジ!」というものがあったが、配信後「権利侵害に関わる可能性があるため、動画を削除しました」というアナウンスを出し、記事すら該当箇所が消される始末。あったことを消される運命にあるのだ。
ゲームは配信されない、プレイ動画は消される(ライセンス無視の実況動画はあるが)、あとは実機でのプレイしか残っていないが、ここにも問題がある。PCエンジンのCD-ROMは製造後、すでに20年以上が経過している。PCエンジンの極初期につくられたCDは品質がさほど高くなく、寿命は10年ほどだ、と言われていた。ゼロヨンチャンプ2はそれより後の、CD最盛期に作られたものであるため品質的に安定しているが、それでもそろそろ読み込み不良を起こす個体が出てきてもおかしくない。そして近い未来、寿命は必ず訪れる。その時、我々はこのゲームをプレイすることが不可能になるのだ。それでは、いったいどうやってこの作品を後世に伝えることができるのか? 私は方法を思いつかなかった。この作品は、死ぬ。皆の記憶と興味から消え去って、死ぬのだ。
その運命がほんの少しだけ、先に伸びることを望みこの記事を捧げる。どうか皆の興味が、わずかにでもゼロヨンチャンプ2という名作に向かいますように。