平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

幻影異聞録♯FEというゲームを語ろう

 はじめに

知らない人向けに一から解説をしよう。
このゲームは任天堂が発売し、女神転生・ペルソナシリーズでお馴染みアトラスが開発を担当したソフトで、あのファイアーエムブレムと、女神転生をコラボし、その上からアイドル要素をまんべんなく降り注いだゲームでして……ああっ、待って! 帰らないで! 私の話を聞いて! お願い!
全体的な雰囲気というと、敵に倒された味方キャラは蘇らない(基本的には)高難易度ぎっちぎちなファイアーエムブレムと、東京にICBMを打ち込まれ大洪水で全てを洗い流されたりする中(一体東京に何の恨みがあるんだ)、人類が神や悪魔に抗うハードコアな世界観が魅力の女神転生コラボしたとはとても思えない、身の回りのキャラはほとんど死ぬことなく、アイドルが精一杯レッスンを行っていたりテレビに向かって踊って歌ってみせる模様が画面に大写しに……ああっ! 待って! だから帰らないで! もうちょっと! もうちょっとだけブラウザ閉じるのを止めて!

主人公たちがアイドルなのはとても重要な理由があるんだから!


 秀逸なるその戦闘システム
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このゲームはRPG、主人公たちはごく普通の高校生……だったり、アイドル見習いだったり、すでにレギュラー番組を持っている中堅だったり、もしくはほとんど一流の粋に到達していたりする子、だったりする。彼らは「ミラージュ」と呼ばれる別世界の英雄たち(ファイアーエムブレムシリーズのキャラのこと)の力をその身に宿し、邪悪なる敵のミラージュと戦っていく。戦闘システムは今ではやや古典的な部類になりつつある、素早いキャラが優先的に行動していくコマンド式ターン制バトル。

 本作の肝となる戦闘システムは恐るべき完成度の高さだ。主人公たちや敵には、10属性分の耐性が割り振られている。弓と火や雷が弱点だったり、氷や剣、衝撃が弱点だったりと、必ず10属性のうちどれかが弱点になるようになっている。主人公たちは固定ではなく、装備する武器によって弱点や耐性がかわる。その弱点を攻撃スキルでつくと、その攻撃に応じて他のキャラが「セッション」して、追加攻撃を行うのだ。しかもこのセッションは一度切りではなく、キャラクターの習得スキルに応じて2つ目、3つ目と、どんどん繰り返し放たれていく。さらには物語が中盤になると、戦闘に出ていない控えのキャラもこのセッションに参加できるようになっていく。そうすると攻撃は多彩に広がっていくことになる。

 プレイヤーとしては敵の属性を見定め(一度攻撃した属性は記憶され、攻撃時に再確認が容易になっている)、どの弱点をどのスキルで付けば効率的なのか、悩めるようになる。逆に敵も、こちらのキャラの弱点をつけば、それはセッションとなり連続攻撃となってピンチに陥ることになる。敵の攻撃にあわせて手持ちの武器を変える必要があるかもしれないし、場合によってはあえて強い武器から弱い武器に変えた場合が有利な状況もあるかもしれない。

 しかもこのゲーム、バフ(能力強化)、デバフ(弱体化)といったパラメータ操作系が非常に強力だ。命中率ダウンを受ければ体感で1/3くらいしかヒットしないし、毒でも受けようものなら、毎ターン体力の1/4近くがごっそり減らされる。仲間のデバフを打ち消すか、それとも残り少ない体力の敵を先に倒すか、キャラの行動順を見ながら考える必要がある。
 プレイヤーが悩み、考え抜いて対応した分、ダイレクトにそれは戦闘に反映される。こちらのデバフが上手く敵に突き刺さり、ガンガン回避できるようになるかもしれない。相手の繰り出す攻撃がこちらの耐性属性かもしれない。こちらのセッションが7連続で相手に突き刺さり、余波で二体目のミラージュも倒してしまうかもしれない。主人公たちが戦闘ステージを駆け回り、攻撃をスピーディに繰り出す様はまさしくアイドル。そう、主人公たちはアイドルなのだ。戦う場所はステージ上で、観客たちが歓声をあげる。入場するときには変身シーンを見せながら、勝利を決めればそのフィニッシュを決めたキャラにカメラが動いてポーズを決めてみせる。彼らはアイドルらしく、見てる我々を楽しませることに全力だ。観客が湧けば湧くほど、その分戦闘が有利に働いたりもする。

 主人公「たち」がアイドルというわけ そして「主人公」がアイドルではないわけ


 さて、ここまで読んで「なぜここまでしてアイドルゲーに仕立てる必要があったのか?」と思う読者も出てくるだろう。ゲーム内にその答えが用意されている。かいつまんで言うと、そもそも「芸能」とは、神降ろしの儀式であり、神聖なものだったと。それ故ミラージュなる異世界の英雄の力をその身に宿し、力を発揮しうる器としてふさわしいものだったという話だ。それらの器たるキャラクターには、それぞれのアイドルを目指す動機づけがある。幼馴染、織部つばさはアイドルであった姉を超えることを夢見てトップアイドルへの階段を登っていく。親友の赤城斗馬は少年との約束を守るがために自身の憧れであった特撮ヒーローの主役を目指す。他のキャラクターもそれぞれが夢をもっており、それを実現するがためにアイドルの頂点へと目指している。そして何よりも、「皆を、勇気づけたい」という動機がそれぞれのキャラクターの根源にある。アイドルとはミラージュの器であり、同時に敵ミラージュの影響で不安や怯え、無気力となってしまった人々を照らす象徴でもあるのだ。そう、敵ミラージュは、人々の精神を狙っている。それによって多くの人達が夢を忘れ、意欲を失っている。ストーリーの中で、主人公たちは敵パフォーマに精神を蝕まれた人たちを助けにいく。そう、アイドルとはなにか。人を勇気づける象徴だ。それならば、敵ミラージュを倒し、そこから開放して光をもたらすのも、一流のアイドルとしての使命じゃないか! このゲームがアイドルゲーである理由はまさしくそれである。「アイドルに、一流のアイドルになりたい」という彼らの最終的な目標は、「人々を不安に貶めるミラージュを倒し、勇気と希望で照らし出すこと」なのだ。


 ところが一つ大きな問題がある。それは本作のメイン主人公、蒼井樹はアイドルではないのである。彼は幼馴染織部つばさや親友赤城斗馬のことを応援してはいるものの、本人は別に芸能界に憧れがあるわけでもなく、芸能界に無知である。彼は半ば偶然に、ミラージュの力を得て芸能事務所に入る羽目になったが、あくまでマネージャー的立場でしかない。彼の原動力は「友達を守りたい」といったとても小さな、身近なもので動いている。アイドルになりたいと思ったことすらない彼が、なぜ本作の主人公なのか。結論からいえば、彼はアイドルだからである。

 彼は幼馴染や親友が、夢に向かって走っているのを応援している。時折彼らが戸惑ったり、道に迷ってしまった場合は、そっと背中を支え、静かに答えを教えてあげる。彼らにとって進むべき方向を指し、そして今までやってきた努力を見てきたからこそ言えるセリフで、彼らを勇気づける。「大丈夫、きっとできるよ」。たったこれだけのセリフなのに、蒼井樹がいう言葉には強烈な説得力がある。そう、まさしく蒼井樹は、アイドルを光らせる、アイドルのアイドルなのである。彼は仲間たちが、真のアイドルたらんとして頑張っていることを知っている。だからこそ、仲間たちを勇気づけられる存在でありたいと願い、そしてそうなっていくのだ。最終的に仲間たち全員が蒼井樹に勇気づけられ、夢を叶えていく。そして最後の決戦に向かう時、自信を持って蒼井樹と並んで進むのだ。


 もうひとりのアイドル


 この世界には、世界を照らすアイドルたちがいる。そしてそのアイドルのアイドルたる蒼井樹がいる。さて、蒼井樹にとってのアイドルとは誰だろうか。そう、それはこのゲームをプレイしているプレイヤー自身、貴方のことだ。貴方は的確に戦闘の指示を行い、コミニュケーションの選択肢では好感度が増減する。蒼井樹は確固たる自我がありながらも、その一部に貴方の意思を宿してこの世界の魅力と、危機と、そして仲間たちの笑顔を見せてくれている。このゲームはアイドルゲーである。アイドルによって世界が光り輝くのと、アイドルたち自身が魅力いっぱいで動く様を特等席で見ることができる。エンディング、蒼井樹らは今まで共に戦ってきたミラージュ、クロムたちと別れることとなる。クロムは元の世界に戻り、新たなる戦いに向かうことに鳴る。そして樹たちも、この世界でアイドルとしての道を歩み続ける。樹たちはクロムとの別れを体験するのとほぼ同時に、プレイヤーとの別れを体験する。たとえ樹とクロムが離れていても、強い絆で結ばれているのと同じように、このゲームがエンディングを迎えたとしても、貴方が感じ取った樹との絆は、とても強固なものになっているだろう。貴方は笑顔で、樹の背中を送り出すことができるはずだ。

 今作はWiiUのみの発売で、現在移植はされていない。レアソフトでもなんでもなく、中古屋にいけばWiiUと一緒にセットで容易に買うことができるだろう。是非、WiiUとともに購入してプレイしてもらいたい。最高に輝くアイドルたちがそこにいる。