平和的なブログ

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光のゲームと、闇の裏事情 -幻影異聞録♯FE ENCORE-

以前このようなレビューを書いた。WiiUで発売され、そのままあまり日の目を見ることなく沈んでいったとあるRPGへのレビューである。
しかしレビューを書いて二年後、ゲームが発売されて四年後という今、あろうことかSwitchへと追加要素を含んだ移植がなされた。大変喜ばしい。
この幻影異聞録♯FE ENCORE」について、前回書いていなかったこと、WiiU版との変更点を含め改めてレビューすることにする。



まず、大まかな違いから解説しよう。オリジナルWiiU(以下オリジナル版と記載)にはいくつかDLCが存在し、Switch版のENCORE(以下ENCOREと記載)にはそれらが最初から全て含まれており、追加衣装や経験値・熟練値稼ぎすることができるおまけダンジョンが内包されている。とはいえこれはおまけや救済措置であり、別にオリジナル版をプレイする人はDLC必須ということではない。
戦闘へ移行する際のロードが高速化され、また最後の方へとなると冗長化するセッション攻撃演出を簡素化することも可能となった。ダンジョンへと移動する際の読み込みもかなり軽減化された。


WiiUとSwitchのスペック差がダイレクトにプレイ環境へと響いたという感触を受ける。思った以上にサクサクと進めてオリジナル版のテンポのイマイチさに今更ながら気がつくといった具合だ。セッション演出の簡素化は必須ではなかったが、後半なんども見せられることになるので経験値稼ぎのときには使うとスムースに行えた。
また新しい追加シナリオが収録されている。もともとオリジナル版でストーリーが完成してしまっているため、新たな敵、新たな展開を追加するというわけにもいかない。そのためエンディングに向かう手前の合間合間にあるショートストーリーを追加したような印象だった。上手くキャラの魅力を掘り下げたとは思うが、これだけを目当てにENCOREを買おうとするファンはすこし肩透かしを食らってしまうかも知れない。


またオリジナル版は手元のゲームパッドにLINE風のメッセージやり取りを表示させていたが、ENCOREにはそれが実現不可能なため通常画面に上乗せするようにそのメッセージを乗せている。この画面にミニマップが表示させられていたので、その点でいえば劣化したといえるかもしれない。わざわざマップを確認するためにボタンを押すのは億劫だ。


追加要素をまとめると「オリジナル版を高速化+おまけストーリーを追加した」といった具合になる。続編ではなく移植であるためこれくらいでちょうどいいのかもしれない。
高速化されたゲームプレイは非常に快適で、前回のレビューで触れた「奥深い戦闘システム」にどっぷり浸れることになる。この点は明らかな優位性だ。



そしてその快適なゲームプレイに応じて、キャラの魅力も存分に味わえる。前回のレビューではさほど触れていなかったが、このゲームは濃厚なキャラゲーだ。ファイアーエムブレム初代と覚醒のキャラクター(厳密にいえばパラレルワールドの存在だが)と、現代の高校生(一部小学生)らの心の交流はプレイヤーの胸にガンガンと突き刺さってくる。

心を交わしミラージュマスターとなった主人公らに対して協力者となったミラージュ異世界の霊体を差し、ファイアーエムブレムシリーズの英雄たちもこの中に入る)は、普段でも彼ら良き相談相手となり戦闘の間も掛け合いを繰り出す。



主人公樹がコマンドを選択するときはクロムが『その攻撃は効果的なようだ』と弱点を教えてくれるし
必殺技を選択しようとすれば『その技で決めろ!』と激をいれる。
ターンが回ってくれば二人は声を合わせて「『運命を超える!』」と叫び
クロムがオーバーロードにクラスチェンジした後は樹が「ちょっと悪役っぽいな…」と漏らしクロムが『なんだとぉ!?』と声を張る。


ヒロインつばさのミラージュは初代ヒロインのシーダだが、この二人は仲の良い姉妹のように息がぴったりだ。
ターンが回ってきたつばさが「消費したカロリーで!」といえばシーダ『特大パフェは無理そうね』と返し
新しい衣装に着替えて戦闘に舞い降りれば『可愛いわつばさ!』シーダが喜び、「ありがとう!」とつばさが受ける(なお、物語前半だとつばさは思いっきり狼狽える)。
物語途中でも二人はよくおしゃべりし、シーダ『どうすれば男の人の心が動かせるのか……私にはまったくわからなかったわ』!?)と漏らしつばさは「そうだよね」と相づちを打っていたりする。



ヒーローに憧れる赤城斗馬のミラージュであるカインはマスターである斗馬の夢、特撮ヒーローの主演になることを素直に応援しているし、元から大人気アイドルであるキリアのミラージュであるサーリャは双方が足りてないところを補うあうような関係だ。ことあることにハリウッドを持ち出すスターを夢見るエレオノーラと、ことあるごとに貴族的振る舞いを持ち出すヴィオールのコンビは衝突することもありながらも『貴族的に行こうエリーくん』「ハリウッド的に!」なんて掛け合いをして必殺技を繰り出していく。
まだ小学生の源まもりのミラージュ、ドーガは心配性な保護者のような振る舞いをしながらも、彼女のサイドストーリーの最終章では少し大人になったまもりに対して「喜ばしい限りです。ですが嬉しい反面、寂しくもあります。……こうして、大人になっていくのですね」と成長を喜び自分の手から離れていく未来をすでに予想していたりする。


孤高の俳優、剣弥代についているナバールは、物語後半彼のためにあえて一計を案じ彼を騙す演技をする。ことが済んだあと弥代はナバールの演技力に感嘆し「お前も中々の役者だな」と褒めるが、ナバール『当然だろう。常に一番近くで、一流の芸能に触れているのだ』と返す。



強い信頼感で結ばれているキャラ同士の掛け合いは床をのたうち回りそうになるほど甘く光り輝いている。このゲームは最初から最後まで濃厚な掛け合いが満載だ。それがエンディングの一抹の寂しさに繋がり、その先の輝ける未来を想像できる信頼へと結ばれていく。直接的な戦闘やストーリーに絡んでいるわけではないが、この掛け合いはこのゲームになくてはならない要素だとわかるだろう。プレイして、是非貴方も床をのたうち回ってもらいたい。



それはそうとオリジナル版、ENCOREとゲームを二周して気がついたことがある。このゲームの最大の弱点だ。
このゲームは現代の東京を舞台にしているが、実際に敵とたたかう場所は東京の裏の顔、「イドラスフィア」だ。イドラスフィアはいくつもあり、いわゆるRPGのダンジョンとして機能している。このイドラスフィアは単純な迷路というわけではなくその中にある仕掛けを解いていく構造になっているのだが、その仕掛け一つ一つがやけに引っかかる。はっきりいうと「面白くない」。


「撮られてしまうとスタート地点に戻されるカメラが設置してあるダンジョン」はまだいい。
立体構造になっていて飛び降りていく箇所を選択しながら進むのもよかろう。

「踏むとトラップが作動する床と、見えない壁を複数個のスイッチで切り替えて進んでいくフロア」人の悪意を具現化したようなダンジョンだった。さらに進むと「あみだくじ状に動く床と、進む先がわからない床とを駆使してパズル状構造になってるダンジョン」を乗り越える必要がある。このあたりはいよいよ制作スタッフに意地が悪いグレムリンが憑いてしまったのか? と思わずにはいられない。ギミックを突破した喜びがあればいいのだが、それはいまいちなくてとにかく手間だけがかかる印象しか残らない。戦闘が楽しいのが救いなのだが。

イドラスフィアの一つ、幻想だいたまを歩みをとめてぐるぐると背景を見回してみると、その出来栄え、作り込みの綺麗さに気がつく。他のイドラスフィアもそれぞれの気色にあわせた華麗な背景になっている。なっているのだが、実プレイ中はギミックにイライラすることが多くなかなかそちらのほうに気をやることができないのが残念だ。事実私もWiiU版でプレイ中そこまで気にしていなかった。



そしてもう一つ、このゲームの弱点について触れなければならない。


冒頭部にてこのゲームのことを追加要素を含んだ移植と評したが、これは厳密にいうと間違いだ。このENCOREにはオリジナル版から抜け落ちた要素が一部ある。それを詳しく解説する。
もともとのオリジナル版は日本で発売されている。しかしそれを欧州・海外にて発売する際に一部の表現内容を変更して発売されることになった。このENCOREを「ポリコレ規制版」と呼ぶ場合もあるが、実際はポリコレ規制というよりももう少しややこしい。


日本ではゲームはすべてCEROというレーティング団体が審査し年齢制限を決める。日本においてはオリジナル版はCERO B(12才以上推奨)だ。しかしこれがアメリカで発売する時はESRBというレーティング団体を通さねばならない。
アメリカにおいては「未成年の少女の肌の露出」および「少女が水着姿で仕事を行う」といった要素が非常に厳しい目で見られる。もし日本版をそのままローカライズした場合はESRB M(17才以上推奨)あたりになったのではないだろうか。ペルソナ4ペルソナ5などがこのESRB Mを受けているが、アメリカの小売事情は日本のそれと比べて厳しく、年齢確認と保護者への同意確認が必要になっている。日本でも同じことがいえるが、アメリカでは可能な限りレーティングを下げるためメーカーも必死になる。そのためこれらの要素を減らした海外版としてつくられESRB T(13才以上推奨)の認定を受けた


その結果、ヒロインたちのユニフォームから露出が減少し、ヒロインつばさが水着グラビアを行うイベントが普通に衣服を着込んだままグラビア撮影に挑むイベントへと改変された。
ENCOREのみをプレイした人たちはこのイベントに違和感を覚えることはないだろう。うまい具合に修正が及んでおり、違和感を覚えそうなセリフが広範囲に直されているからだ。
しかし水着グラビアという仕事を通じ、最初こそ羞恥心を覚えていたためにカメラマンの不興を買ってしまったつばさが、撮影されることとはどういうことか、自分自身で答えを見つめ改めて水着姿に挑み、敵ミラージュから『なんだその格好はぁ? 恥ずかしくねぇのか』といわれたときも仁王立ちで「恥ずかしくありません!」と返すイベントが、この修正によって本質を歪められてしまった。ヒロインのつばさは水着姿でも堂々と立ち向かえる子なのだ。それこそ皆が応援してくれるアイドルの構成要素であるとわかっているからだ。ENCOREではそこまで至らない。それが非常に残念だ。


なぜ日本においてENCOREもこのような表現規制がなされたままだったのか。理由は明白だ。そもそもこの幻影異聞録♯FEというゲームがさほど売れていないからだ。日本国内でオリジナル版の売上本数パッケージ版で3万本。完全新規RPGの開発費をペイできたかというと、まず間違いなく無理だろう。このSwitchへの移植は低予算なプランでしか動きようがなかった。そのため日本だけオリジナルのまま作り直すということはなく、世界全体で低いレーティングが受けられる欧州版をグローバル版として、それをそのまま日本向けに再ローカライズした。


ここまではまだいい。世知辛い業界の寒風が吹き荒ぶ中、それでもよくやったと言ってあげたくなる。しかし問題は任天堂がこのENCOREを発表後、しばらく日本の公式サイトで元の日本オリジナル版の画像を掲載していたことだ。これで一時混乱が発生した。結局任天堂はENCOREが表現規制がされたグローバル版であることを認め、事前のダウンロード版を購入したユーザーが希望すれば返金に対応する羽目となった。


つまりこれは、任天堂がこのゲームに対して全く興味を失っている」ことを露呈させてしまったということだ。わずかにでも複雑な経緯を持った自社製品に対して把握していれば、このような事態は起きるはずがなかった。しかしENCOREの広報は上記の事情を把握していなかった。把握していれば、発表と同時に「残念なお知らせですが、これはオリジナル版とは一部表現が違う箇所があります」と周知することができ混乱は少なく済んだはずだ。今から言っても詮無きことだが。


ゲームを購入しようとするプレイヤーに対して、メーカーは真摯であるべきではないのか? 輝くような青春と掛け合いを描写するゲームの内部事情が如何に寒いことになっていても、それを隠して精一杯売ってみせるポーズをとってみるのがゲームメーカーというものではないのか? 表現規制よりも何よりも、私はこちらのほうががっかりした。


とはいえ「抗議のために不買」というスタンスは私は取らない。生まれてきたゲーム自身には罪はない。それよりもこのゲームが売れずに埋もれた場合、真の意味で幻影異聞録♯FEは死ぬだろう。そちらのほうが私にとっては悲劇だ。


もしENCOREをプレイして興味をもった人がいるならば、是非オリジナル版もプレイしてもらいたい。きっと織部つばさのことをもっと好きになれるだろう。幻影異聞録♯FEを発売したこと以外について任天堂に感謝をするならば、その導線をこのENCOREで作ってくれたことだろうか。