名作映画は人生を変えた -12人の優しい日本人-
貴方は「人生を変えた映画を一本挙げよ」と言われたとき、どれを挙げますか? きっと悩みに悩み、今まで出会った映画作品の中から一つを選ぶことでしょう。
私の場合、あげるとしたら間違いなく『12人の優しい日本人』です。これは1991年に公開された日本映画で、「もし日本に陪審制度があったら」をテーマにしたコメディ寄りの法廷もの映画です。まぁ今現在、日本に陪審制度があるんですけどね。
もともと米国映画の名作『十二人の怒れる男』というものがあり、陪審員らが顔を突き合わす会議室の中だけで物語が展開するという流れで映画が進むのですが、本作もそのスタンスを踏襲しています。舞台は会議室だけ。登場人物は12人の陪審員と、守衛と、ちょい役のピザの配達員のみという非常にシンプルな構成。
しかも視聴者はどのような映画なのか、どのような裁判だったのか、そもそもどんな事件だったのかを把握する間もなく、会議室に集められた陪審員たちが一斉に「無罪」に手をあげて、無罪判決で決まるというスタートからこの映画は始まります。残りの時間どうやって映画は進むのか。そんな不安を抱いていると、陪審員の一人が声を上げます。「これでいいんでしょうか?」と。もう少し話し合いたい、皆の意見を聞きたい、ということであえて彼は無罪から有罪に変えます。解散ムードだった会議室が慌ただしくなり、取り急ぎ事件の様子から話し合うことになります。
そこで各自無罪だと思う理由を述べていってこの有罪の陪審員の意見を変えようとするわけですが、細かなところを突き詰めていくと皆が「あれっ?」と思ってしまう箇所があったりします。違う視点から同じ事象を眺めてみると、ものの見方が変わってきて、全く怪しいところがなかった被告人がだんだんと怪しい動きをしているように見えてきてしまう……。視聴者もそれにあわせて次第に無罪と有罪の間をふらふらと動くようになっていきます。
そうした議論の合間にも、そもそも裁判を終えてさっさと帰りたい人、意見を変えすぎてしまう人、反面まったく変える気配すらない人、陪審員長でもないのにしきっちゃう人、アル中、メモ魔、などなど「いかにも日本人っぽい個性」を各自が発揮していて見ていて飽きがきません。
物語が盛り上がり、有罪論と無罪論が半分に別れ、いったいどちらに決着がつくのかわからなくなった頃には、視聴者はまず間違いなく有罪論に心象が傾いているはずです。有罪論は理論的で、動機、計画性、殺害方法を述べているからです。反して無罪論は感覚的で、心象でしか述べられていません。
そしてこの映画の妙は、そこから一転とある陪審員が本領発揮するのです。それ以降は今まで張られていた伏線を一気に回収しながら話が集約していきます。視聴者も「そういうことだったのか!」と驚きながらラストの展開へと突き進むことになります。そして訪れるエンディングの結末に、拍手せざるを得なくなるでしょう。
元ネタである『十二人の怒れる男』が陪審制度の恐ろしさ、人が人を裁くことの難しさを浮かび上がらせ(この映画では逆に皆が有罪だと思っている中、一人だけ無罪を主張するところからスタートする)、皆に有罪を出すことの重みを実感させようとした結果、事件の真相というものが描かれなかったことに対して、この『優しい日本人』では真相らしきものに到達しています。その真相に納得した後、視聴者はものの見方を変えなかったらどうなっていただろうか…? とぞっとする構成になっています。そしてもう一度この映画を最初から見直すと、各所に散りばめられた伏線の見事さに感嘆するようになっています。
陪審制度と人間の不確かさを描いた『十二人の怒れる男』、それと同じテーマを根底に敷きながらも面白おかしく見事に描いたこの『12人の優しい日本人』、間違いなく名作です。ぜひ皆さんレンタルDVDでかまいませんので見てください。
えっ? ああ、なんでこれが「人生を変えた映画」なのか、って? 別段これを見て私が法律家を目指したとかそういうことではありません。
大学時代、友人のAくんが試験前でもがき苦しんでいた時、差し入れの夕食と一緒にこれを見たのですが、Aくんは見事に大ハマリし、そこから自分でビデオを借りてきて一週間ほど延々と繰り返しビデオを見続けて、見事必修科目を落として留年することになりました。
間違いなくAくんの人生を変えた(あまり良くない方に)作品です。見せたことを後悔しました。