平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

人事を尽くせ -シヴィライゼーション2-

 人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています。 元任天堂社長 山内溥



 貴方は一万人の遊牧民の指導者だ。流浪の旅を終えついに土地に根を張り都市を作ることになった。さあ首都を建てる場所を探し出そう。草原の近くならば食料は豊富だ。森ならば資源が算出できる。海や川は交易を生み出してくれる。
 立てられた首都はその場に応じた食料と資源と交易を生み出す。食料が一定量貯れば人口は増え、その分多くの土地に人を配置できる。資源は軍隊ユニットや建造物を作り出し、軍隊ユニットは未開拓の地域を探検したり、法も秩序もないバーバリアンたちから都市を防衛してくれる。建造物は様々な効果を都市に及ぼして文明の拡張を助けてくれる。交易は資金か科学か贅沢品に分配される。資金は貯めればわずか1ターンでユニットや建造物を建てることができる。科学は積み重ねることで新たな技術を発見することができる。その技術で新しいユニット・新しい建造物がアンロックされる。贅沢品は都市管理に使われる。不幸な市民が大勢いる場合、その都市は反乱を起こして機能が停止してしまう。それを防ぐため贅沢品を用意し、不幸な市民を満足させる必要がある。


 都市が大きくなり新たな軍隊ユニットを作り出した頃には、開拓民を組織し第二・第三の都市をつくることができるだろう。襲いかかるバーバリアンたちを新たに組織された軍隊が撃退し、知識人たちは技術からまた新たな技術を作り出す。アルファベットから数学を、そして数学と哲学を重ね合わせれば大学、といったように。そしていずれは万有引力の法則の発見に繋がり、それは蒸気機関を生み、内燃機関、航空工学へと進歩するはずだ。
 そうして技術の進歩を進めていればいずれは別の文明に接触するはずだ。彼らは好意的か? 敵対的か? 君の軍隊が彼らのよりも強力ならば、彼らは恐れ、そうでなければ侮ることだろう。好意的なら技術の交換にも応じるだろうが、あまりにこちらが技術で先行していると、武力をもって奪いにかかってくる。
 また、広くなる領土は首都から離れた都市ほど汚職が酷くなり、本来もつ生産力をフルに発揮できなくなる。技術で発見したより新しく近代的な政治体制に以降し、その汚職を食い止める必要がある。民主主義になれば都市はその力を存分に発揮することができるが、かわりに口うるさい議会が貴方を戦争から遠ざけようと躍起になるだろう。その上軍隊のコストは跳ね上がる。未熟な文明には民主主義は荷が重い。


 いうまでもないが世界は有限だ。どの文明も拡張し続けることはできない。表面上は仲良くしていた他文明も状況が変われば牙をむく。彼らをすべて征服するか、もしくは先んじて技術の粋を結集し、宇宙に移民ロケットを発射すれば……君の勝利だ。



 人気SLGシヴィライゼーションとはこういう流れのゲームだ。現在ではシリーズ最新作の6がコンシューマにも移植されたり、コンシューマ用に内容が簡素化されたシヴィライゼーション・レボリューション」として発売され、それの移植版がスマホにも展開していたりとして、プレイするに困らない状況だ。大変喜ばしい。
 そんな人気シリーズではあるが、初期のシヴィライゼーション1や2がどういうゲームであったのか、知る人は恐ろしいほど少ない。
 シヴィライゼーションはPCゲームではあるのだが、実は1はSFCやPS1,SSでも展開している。2はヒューマンが移植担当し、PS1にて発売された。そのはずなのだが、とにかく知る人が少ない。日本にて明確にスポットライトがあたったのは4からなのではないだろうか。(主にニコニコ動画のつー助教授の解説講座・スパ帝の動画が原因だろうか)
 そのため今回は影が薄いシヴィライゼーションの初期作、主に2を解説していく。


 実は上記のシヴィライゼーションの骨子とのいえるゲームデザインとシステムは、1時点でほとんど完成されていた。都市を作り成長させ、技術を繋げ、ライバル文明とやりとりし、制覇を目指すか宇宙を目指すか。
 非常に論理的なゲームで、数字の積み重ねがダイレクトに反映される。交易重視で人の配置を行えば他ライバルに技術力で圧倒でき、資源重視で配置を行えばその軍事力はライバルを恐れさせるだろうし、世界で一つしか作ることのできない強力な建造物「七不思議」をライバルに先じて作れれば大きなリードになる。人口増加を最優先にすれば古代の時代にもたつくかもしれないが、豊富な人口はその後の成長を加速させること疑いない。


 1や2とその後のシリーズとの相違点というと勝利条件はこの2つだけであり、まだ文化という概念や文明ごとの特性はなく、拡張主義や封建主義といったものはあくまでライバル文明の性格を表しているに過ぎなかった。戦闘は単純な計算の上で行われ、攻撃側の攻撃力と防衛側の防御力がイーブンならばどちらも勝率50%、攻撃力が2,防御力が1ならば勝利は66%といった具合。そのため屈強な戦艦が敵首都を守る古代の防衛ユニットである重甲歩兵に負ける…ということもしばしば起こり得た。
 また、ランダムイベントとして疫病や飢餓が存在した。唐突に都市の人口が減らされてしまうバッドイベントであり、これを防ぐためには穀物倉庫・上水道といった建造物が必要になる。なるのだが、これらの建造物はコストがかかるため建てるタイミングが悩ましい。あまり早期に建てるとただ起きるかどうかわからないバッドイベントを防ぐためにコストを払うだけという状況に陥る。


 そんなデザインではあったが、とにかくよくできていた。己の文明を育てていく過程で都市が多く、大きくなっていくのを視覚的に把握することができ、こちらがいち早く火薬、鉄道といった重要技術を発見すれば、ライバル文明がこぞってそれらを欲しがってきたりと、成長を実感させてくれる。そしてなにより自軍の爆撃機が他国の都市を爆撃しつくす様は愉悦以外の何物でもない。
 SFCで発売された1はパット操作故の操作性の限界や、ゲーム後半のライバルの思考の遅さが問題ではあったものの、きちんとプレイヤーを楽しませ、悩ましてくれる。思考の遅さはその後発売されたPS1版、SS版で改善されている。プレミアがついているゲームではないので是非とも触れてみて貰いたい。


 そして2なのだが、骨子は1とさほど変わらない。高解像度化、クォータービュー化させて視野性を向上させ、ユーザー補助のお助け機能をいくつか追加させた。ユニットや技術、七不思議を増やした。その上でいくつかゲームルールを変更した。


 まず戦闘ルールが変わった。HPと打撃力という概念が加わり、戦闘に勝利するたびに自分の打撃力の分、相手側のHPを減らし、次の戦闘を行う。これをどちらかが倒れるまで繰り返す、というものに変わった。基本HPは10であり、打撃力は陸戦最強ユニットの戦車でも3だ。これにより戦艦が古代の重装歩兵に負けるということはまず起こらなくなった。また減ったHPは都市に戻るか、その場で待機しないと回復しない。そのため強力なユニット一つで敵陣地を蹂躙する……というのも限界点がくるようなゲームデザインになった。
 また厄介者だったランダムイベントが起こらなくなった。食料が不足したときのみ飢餓が発生し、贅沢品が足りなくなれば反乱が起きる。逆に充分な贅沢品があり幸福な市民過半数を超えた場合は感謝祭が行われ様々なボーナスが付与される。


 また、発展先がない技術、通称「行き止まり」の技術が減った。例を一つあげると1では陶器の技術はただ穀物倉庫を立てるためだけの技術だった。そのためあえて自分から研究せず、ライバル文明から分けてもらう選択も取れる技術だった。しかし2においては近海航海術に繋がるようになり、その近海航海術は遠洋航海術、哲学へと繋がっていく重要な技術ツリーの根幹になっている。そのためできる限り早期に取らなければならない技術になった。このような行き止まりの技術が減ったことは、技術の重要度が均等に近づいたということであり、どの技術を優先させて研究すべきか、必死に考える必要がでてきたといえる。己のプレイスタイル、大陸の地形、それらを加味していこう。もし貴方の文明がいる陸地が小さな島なら早期に航海術を発見することは必須であるし、ライバル文明が好意的な態度を取っているのなら貿易技術を確立しておけば双方の都市にボーナスが入る。逆に敵対的ならば数学を獲得しそこから解禁になる投石機で相手の都市を先制攻撃すべきかもしれない。



 そうした技術の均平化、イベントや戦闘のランダム性の排除を行った結果、シヴィライゼーション2はどういうゲームになったのか。それは極限なまでに計算しつくす必要があるゲームへと変貌したのだ。


 紙とペンを用意しよう。都市が産出する資金を50%増幅させてくれる建造物「市場」はそれ自体が資金コスト1を必要とする。君主政治にて科学7,資金3の割合で市場が赤字にならないレベルの必要交易数は5だ。もし海に面していない内陸部の都市で草原・平原だけで交易を産出しようとすると5タイル必要となるため、人口は最低でも4必要(中央のタイルは人口に関係なく+1と扱われるため)になる。しかしこれはあくまで赤字にならないレベルであり、+50%の恩恵を受けようとするならば交易は最低でも12、可能なら15は必要だ。そうなれば内陸部での都市はよほど大規模にならない限りは市場を建てる意味がなくなってしまう。
 しかも人口は8以上に伸ばすには上水道が必要になる。上水道自体もコストが3かかる建造物だ。そうなれば都市単体で黒字化を目指すのは難しい。前作のようなバッドイベンドが起きないのだから、上水道の価値はただ人口の上限を伸ばすためだけにある。何も考えず立てたら赤字まっしぐらだ。それを埋め合わせるためには沿岸部か川を見つけ新たな都市をたて黒字に持っていく必要がある。それができなければ貧困にあえぐ貧しい国家へと転落するだけだ。


 その他の建造物も同じことだ。図書館は産出する知識を50%増幅させてくれるが、これを内陸部の都市に建てる意味はどれほどあるか考えなければならない。いっそのこと建造物を諦め軍隊ユニットを産出する専用の都市にしたほうがいいかもしれない。もしくはライバル文明の侵攻を食い止める城塞都市にしても良い。その城塞都市と首都とを道路で繋げばすばやく援軍を送ることも可能だ。最前線には重装歩兵、後方には機動力に優れた騎馬隊を用意すれば四方からやってくるバーバリアンたちを迎え撃つこともできるだろう。




 建造物のコスト、ユニットの性能、建てるべき七不思議、付き合うライバル文明、優先する技術、それらすべてを考えて進めなければならない。もし穴があれば、そこからすべてが瓦解していくことだろう。


 防衛圏のどこかに穴があれば、そこからバーバリアンたちは無慈悲に侵攻を開始する。
 ライバル文明との付き合い方をしくじれば戦争へとまっしぐらだ。さらにそのライバル文明が同盟をくみ複数の文明と一気に戦争となったら目も当てられない。
 強力な七不思議に目移りしてあれもこれもとしている間に、もっとも君が欲しがっていた七不思議をライバル文明がかっさらっていくかもしれない。
 軍隊ユニットを揃えることに夢中になりすぎて技術で遅れを取るかもしれない。その場合、相手は大砲をもっているのにこちらは鉄の盾で迎え撃つことになる。
 反対にこちらは大砲を備えているのに数が足りず、相手の大量の古臭い騎馬隊に首都の周りがずたずたにされることもありえるだろう。




 もちろんこれらは高難易度でプレイする場合のことだ。しかし難易度を一つあげるたびに、考えなければならないことが一つ増えていく。最高難易度天帝をプレイするたびに、貴方は自らのプレイスタイルの穴をCPUから突っ込まれることだろう。
 そしてその度に「ああすべきだった」「こうしなければいけなかった」と悔やむことになる。決して運が悪かった、という逃げを許してはくれない。次回のプレイスタイルに反映させることを約束される。ゲームとにらみ合い、ギリギリにまでバランスを取れた選択を取り続け、勝利することができたとき……まさしく貴方は「人事を尽くす」ことができたことだろう。


 このゲームで敗北し、「運が悪かったな」と思える時が来たら、貴方はこのゲームをマスターしたことになるのだ。

確率と乱数と人の心 -ランス9 ヘルマン革命-

 いただきストリートというゲームがある。すごろくのような盤面でプレイヤー同士サイコロを振り合い、お店を買い株をやりくりし目標金額にいち早く達成したプレイヤーが勝ちとなるルールだ。
 非常に良くできていて対人戦でもCPU戦でも楽しめるゲームだが、一部悪評がある。それは「強いCPU相手はサイコロの目を操作するズルを行う」というものだ。最高ランクのCPUは狙いすましたかのように空白地に滑り込んだり、逆に絶対に止まってはダメなマスをするりと抜けて危険地帯を脱したりする。なるほど、ズルといわれてもしかたないかもしれない。
 ところがこの悪評、全くのお門違いなのだ。実はサイコロの出目はゲームスタートの時点ですべて決定しており、その状況ごとで生成しているのではないのだ。株や投資で状況が変わっても、サイコロの出目がずれることはない。つまりCPUが危険地帯をすり抜けたり、都合のいい空白地にぴったりと入り込むのは「人がそのときの記憶を強烈に印象づいてしまう」という理由なのだ。確率は1/6のまま変わっていない。

 
 これと逆のアプローチを仕掛けているゲームがある。ファイアーエムブレムシリーズだ。
 このゲーム、自分と敵キャラの素早さの差や武器の性能で命中率が算出されるが、実はこの命中率、表示されているのが90%であっても実は90%ではないのだ。実行命中率というニコニコ大百科のページをご覧いただければわかるが、90%と表示される命中率は実は98%オーバーで、命中率10%の場合はわずか2%に過ぎない。


 なぜこのような実装をしているのか? それは認知の差を埋めるためだ。どうしても当たると思っている攻撃が外れたときの印象のほうが強く残る。当たるはずのない攻撃があたっときの衝撃は忘れがたい。その実際の確率と印象との度合いを和らげるがため、表記と実際の確率をずらしているのだ。人間は常時数字を冷静に把握できるというわけではない。



 以上のことを頭の片隅においてもらって本題にいこう。今回のレビューはアリスソフトの有名シリーズ、「ランス9-ヘルマン革命-」だ。



 ランスシリーズについては前回のレビューで書いたとおりで特記すべきことはない。シリーズものの通り10の前作にあたり、ストーリーとしては、雪と氷に覆われた政治腐敗の結果疲弊と汚職が激しいヘルマン帝国を救うべく革命に立ち上がった男がいた。かつて国を追われてしまった皇子パットン。彼は国を救うべくかつて敵として戦った最強の男、ランスに助けを求める。ランスはランスでパットンのことを助けようなんて気はさらさらなかったものの、諸々の事情とかわいい女の子を求めて彼と行動をともにすることとなる。

 このゲームはエロゲーであるが、漢の描写がとてもうまい。


 理想のために戦うパットンもそうだが、パットンの傍ら、その理想を支えんとする親友ヒューバート。
 自国の限界と革命の正しさを理解しつつも自らの立場ゆえ敵として立ちふさがるレリューコフ。
 国と親友の革命のために命をかけて立ち向かうアリストレス。
 ただの助っ人という立場なのに関わらずランスと任務と己のプライドのために最前線で突っ込む赤い死神リック。


 終盤、敵の総大将がいる箇所へ突破する際、後ろから追手が仕掛けてくる。ドアの前にリックが立ち止まり、「ここは私におまかせください。貴方達は一刻も早く先へ!」というよくある展開が繰り広げられる。普段は今生の別れフラグが立つものの、ランスは男相手なのであっさり置いて先に行く。そしてリックは水を得た魚のように剣を振るいバッタバッタとなぎ倒す。そう、リックはこういう場面でこそ生きる男なのだ。敵の返り血で鎧が赤く染まりまさしく赤い死神の異名にふさわしい格好になるリックを前に、へたり込む敵兵の一人。「ダメなんだ……。ダメなんだよ。あいつは本当に止められないんだ……」と震える。そう、かつて以前のシリーズで同じような場面があり、足止めするリック一人に無数のヘルマン兵が倒されたのだ。それを知っているからこそランスはリックを一人で置いていったのだ。


 こういったシチュエーションをイベント戦闘ではなく、普通の描写としてしれっと読ませていく。ゲームとしての思い切りの良さが心地よい。

 イベント戦闘に頼らない描写は他にもある。かつて古代の自律型破壊兵器が敵の手によって復活し、ボディガードとして運用される。当然、プレイヤーとしてはこいつはどこかのボスとして登場するのだな、と認識するのだが、なんとこのキャラはイベントバトルではない地の文章で倒されてしまうのだ。しかし読み込ませる文章の上手さと演出の巧みさでプレイヤーのテンションがガンガン上っていく。判断の上手さの勝ちだ。



 説明の順番が前後するが、このゲームはスーパーロボット大戦ファイアーエムブレムと同じジャンル、ターン制戦術SLGだ。ターンが始まり素早さの高いキャラごとに行動をして攻撃をしかけ、戦闘ごとの目標を達成したらクリアである。キャラの個性は色濃く出ていてパットンは味方をかばう事ができ、ランスとリックはガンガン前線に出て敵を倒していけるアタッカーだ。必殺技も各自用意されていて、リックの必殺技は「お前はスパロボZZガンダムのハイメガキャノンか」と思うほどの広範囲高威力を誇る。後方支援に特化する弓使い、敵の装甲を無視できる魔法使い、攻撃力は低いものの回避力と移動力に特化したスカウト、といった具合に多種多様なキャラを使いこなしていく必要がある。


 基本的な作りは古のアリスソフトファンならママトト/ままにょにょシステム」だと説明すればわかるだろうか?(ラストバトルのBGMもそのアレンジだ)
 実のところ古典的ターン制SLGをベースにしているため、よほど破綻がなければ低評価にならないわけがない。なのだが、それに付随した新要素がいまいち理解に及ばないものが多い。


 例えば武器、防具の強化は資金をかけて行うのだが、少し面白いのが防具の強化を行っても装甲の数値強化はあくまで一時的なもので、一度攻撃を受けて減少したものはデフォルト値に戻るのだ。鎧に装甲を増してもその装甲が剥げてしまったら元の鎧に戻るようなイメージだ。なかなかちょっと他のゲームでは見られない。


 さらに独特なのが武器だ。これは完全に運で、成功すると1ポイント上昇し、失敗すると何も変わらない。強化にかかる資金は最初は少ないが、どんどん必要金額が跳ね上がる。失敗し続けると強化されないのに必要金額だけが上がることになる。この仕様は理解しがたい。背景で乱数調整が行われているらしく、最終的には確率が収束して同じ強化値になるようになっているらしいが、それならばいよいよこんなガチャを回さなければならない仕様になっているのがわからない。ただの手間だ。


 装甲について少し語ったが、このゲーム、減少するのは装甲だけではない。回避というパラメータが存在するが、敵の攻撃を回避するたびにこの数値が少しづつ減っていく。何度も何度も敵の攻撃を避けるとスタミナ切れを起こしてダメージを受けてしまう、というイメージだろうか? なんとなくわかる仕様だろう。
 それと並行して受け流しというパラメータも存在する。これは戦士系のキャラが剣を使い相手の攻撃を受け流すイメージだ。若干ダメージを受けてしまうが防御として機能する。これも何度も受けると減少していき、最終的には直撃を受けてしまうことになる。これもなんとなくわかる仕様ではあるまいか。
 そして最後、回避や受け流しもできずにHPが0になるといよいよもってキャラが戦闘不能……にならなかったりする。このゲームには根性というパラメータがあり、それによってHPが1で踏みとどまったりもする。根性があるキャラは二度三度と続けて踏みとどまることもよくある。ランスは特にこのパラメータが高いので安心だ。



 さて、困ったことにこれらのパラメータはもちろん敵も作用する。するとどうなるだろうか。相手のHPとこちらの攻撃力を見比べ、どの敵なら倒せるか予想する。大まかな予測は自動計算で○(当たれば倒せる)、△(倒せるときもある)、×(まず倒せない)の三段階で敵アイコンの脇に表示してくれる。敵は当然わらわらと出てくるので挑発もちのキャラで誘導しつつアタッカーを前線に送り攻撃をしかけて数を減らそうと…するが、回避が働いてスカっとミスる。○がついていても回避を見ていなかったこちらのミスだ。仕方ない。
 敵の回避が減ったので次の攻撃にトドメを……刺そうとしたところで受け流しをされる。これも仕方ない。受け流しというパラメータがあることは知っているはずだ。
 別キャラクターの攻撃でいよいよトドメ……としたところで、敵の根性で倒しきれない。さすがにもうここはミス云々では己の感情が済まされなくなってくる。


 このゲームはいうなれば「命中率99%の攻撃がミスりまくる体験ができるゲーム」になっている。自分の攻撃ターンには相手に○とついていても、それがまったく信用できない。とにかく回避と受け流しと根性とで敵がサクッと倒れてくれない。攻撃のたびにすべての敵キャラのパラメータを熟知しろという理屈だが、先も述べたようにこのパラメータはただの目安だ。実際に攻撃を行った際の命中率が表示されるわけではない。
 前述のファイアーエムブレムとも、いただきストリートとも違う別次元のアプローチを仕掛けプレイヤーを困惑させることに成功している。プレイをし続けるたびにふつふつとゲームと乱数に小馬鹿にされている気分になれる。こんな仕様にするのなら、回避率、受け流し率、根性復活率を随時表示すべきではなかっただろうか? プレイヤーはファンネルを切り払われるとムカつく習性があるのだ。


 救済措置として魔法使いの攻撃はすべての判定をスルーしてあたるというものがあるが、これも問題になっている。最終章を除けば自軍の魔法使いは2人だけ。しかし敵は無関係にどんどこ魔法使いを出現させる。討ち漏らせば即ランスやパットンが倒れる羽目になるだろう。このあたりのバランス取りを放棄しているのが見えて心苦しい。


 総評としては物語は◎、ゲームシステムとゲームバランスに難がある、という評価にならざるを得ない。しかしこのゲームシステムはランス10と比較したらまだ理解できうる範囲内に留まっているし、ゲームバランスもキレてアンインストールする羽目にまでは至らない。


 なお肝心のエロ要素に関しては『紳士的な執事になる薬を事故で飲んでしまいヒロインに対して理想の執事として接することになるランスだが、風呂の世話をしている最中に欲望が薬を上回ってヒロインに襲いかかる』という大笑いできる展開があったので是非見てほしい。

PCエンジンminiが届いたときに

本日PCエンジンミニが届きました。
早速接続し、スイッチオン。今の時代、HDMIとUSBで何でも済ませられるのは素晴らしいと思います。

そしてコントローラーを握った私を襲ったのは違和感でした。
なにかが違う。
コントローラーはこんなに固くなかったはずだ、と思いました。PCエンジンのコントローラーはもっとふにゃふにゃで手応えがないはずだ、と。

そして一瞬後わかりました。私のPCエンジンのコントローラーは、使い込み使い込み、その結果ふにゃふにゃになっていったんだと。

ああ、そうだ。子供の頃必死にゲームに立ち向かい、コントローラーを握りしめた結果の結晶があの感覚なんだと。

改めて新品となったコントローラーを握りしめ、再度かつて立ち向かったゲームたちを前にこう思います。

ありがとうPCエンジン。そして、これからもよろしく。

光のゲームと、闇の裏事情 -幻影異聞録♯FE ENCORE-

以前このようなレビューを書いた。WiiUで発売され、そのままあまり日の目を見ることなく沈んでいったとあるRPGへのレビューである。
しかしレビューを書いて二年後、ゲームが発売されて四年後という今、あろうことかSwitchへと追加要素を含んだ移植がなされた。大変喜ばしい。
この幻影異聞録♯FE ENCORE」について、前回書いていなかったこと、WiiU版との変更点を含め改めてレビューすることにする。



まず、大まかな違いから解説しよう。オリジナルWiiU(以下オリジナル版と記載)にはいくつかDLCが存在し、Switch版のENCORE(以下ENCOREと記載)にはそれらが最初から全て含まれており、追加衣装や経験値・熟練値稼ぎすることができるおまけダンジョンが内包されている。とはいえこれはおまけや救済措置であり、別にオリジナル版をプレイする人はDLC必須ということではない。
戦闘へ移行する際のロードが高速化され、また最後の方へとなると冗長化するセッション攻撃演出を簡素化することも可能となった。ダンジョンへと移動する際の読み込みもかなり軽減化された。


WiiUとSwitchのスペック差がダイレクトにプレイ環境へと響いたという感触を受ける。思った以上にサクサクと進めてオリジナル版のテンポのイマイチさに今更ながら気がつくといった具合だ。セッション演出の簡素化は必須ではなかったが、後半なんども見せられることになるので経験値稼ぎのときには使うとスムースに行えた。
また新しい追加シナリオが収録されている。もともとオリジナル版でストーリーが完成してしまっているため、新たな敵、新たな展開を追加するというわけにもいかない。そのためエンディングに向かう手前の合間合間にあるショートストーリーを追加したような印象だった。上手くキャラの魅力を掘り下げたとは思うが、これだけを目当てにENCOREを買おうとするファンはすこし肩透かしを食らってしまうかも知れない。


またオリジナル版は手元のゲームパッドにLINE風のメッセージやり取りを表示させていたが、ENCOREにはそれが実現不可能なため通常画面に上乗せするようにそのメッセージを乗せている。この画面にミニマップが表示させられていたので、その点でいえば劣化したといえるかもしれない。わざわざマップを確認するためにボタンを押すのは億劫だ。


追加要素をまとめると「オリジナル版を高速化+おまけストーリーを追加した」といった具合になる。続編ではなく移植であるためこれくらいでちょうどいいのかもしれない。
高速化されたゲームプレイは非常に快適で、前回のレビューで触れた「奥深い戦闘システム」にどっぷり浸れることになる。この点は明らかな優位性だ。



そしてその快適なゲームプレイに応じて、キャラの魅力も存分に味わえる。前回のレビューではさほど触れていなかったが、このゲームは濃厚なキャラゲーだ。ファイアーエムブレム初代と覚醒のキャラクター(厳密にいえばパラレルワールドの存在だが)と、現代の高校生(一部小学生)らの心の交流はプレイヤーの胸にガンガンと突き刺さってくる。

心を交わしミラージュマスターとなった主人公らに対して協力者となったミラージュ異世界の霊体を差し、ファイアーエムブレムシリーズの英雄たちもこの中に入る)は、普段でも彼ら良き相談相手となり戦闘の間も掛け合いを繰り出す。



主人公樹がコマンドを選択するときはクロムが『その攻撃は効果的なようだ』と弱点を教えてくれるし
必殺技を選択しようとすれば『その技で決めろ!』と激をいれる。
ターンが回ってくれば二人は声を合わせて「『運命を超える!』」と叫び
クロムがオーバーロードにクラスチェンジした後は樹が「ちょっと悪役っぽいな…」と漏らしクロムが『なんだとぉ!?』と声を張る。


ヒロインつばさのミラージュは初代ヒロインのシーダだが、この二人は仲の良い姉妹のように息がぴったりだ。
ターンが回ってきたつばさが「消費したカロリーで!」といえばシーダ『特大パフェは無理そうね』と返し
新しい衣装に着替えて戦闘に舞い降りれば『可愛いわつばさ!』シーダが喜び、「ありがとう!」とつばさが受ける(なお、物語前半だとつばさは思いっきり狼狽える)。
物語途中でも二人はよくおしゃべりし、シーダ『どうすれば男の人の心が動かせるのか……私にはまったくわからなかったわ』!?)と漏らしつばさは「そうだよね」と相づちを打っていたりする。



ヒーローに憧れる赤城斗馬のミラージュであるカインはマスターである斗馬の夢、特撮ヒーローの主演になることを素直に応援しているし、元から大人気アイドルであるキリアのミラージュであるサーリャは双方が足りてないところを補うあうような関係だ。ことあることにハリウッドを持ち出すスターを夢見るエレオノーラと、ことあるごとに貴族的振る舞いを持ち出すヴィオールのコンビは衝突することもありながらも『貴族的に行こうエリーくん』「ハリウッド的に!」なんて掛け合いをして必殺技を繰り出していく。
まだ小学生の源まもりのミラージュ、ドーガは心配性な保護者のような振る舞いをしながらも、彼女のサイドストーリーの最終章では少し大人になったまもりに対して「喜ばしい限りです。ですが嬉しい反面、寂しくもあります。……こうして、大人になっていくのですね」と成長を喜び自分の手から離れていく未来をすでに予想していたりする。


孤高の俳優、剣弥代についているナバールは、物語後半彼のためにあえて一計を案じ彼を騙す演技をする。ことが済んだあと弥代はナバールの演技力に感嘆し「お前も中々の役者だな」と褒めるが、ナバール『当然だろう。常に一番近くで、一流の芸能に触れているのだ』と返す。



強い信頼感で結ばれているキャラ同士の掛け合いは床をのたうち回りそうになるほど甘く光り輝いている。このゲームは最初から最後まで濃厚な掛け合いが満載だ。それがエンディングの一抹の寂しさに繋がり、その先の輝ける未来を想像できる信頼へと結ばれていく。直接的な戦闘やストーリーに絡んでいるわけではないが、この掛け合いはこのゲームになくてはならない要素だとわかるだろう。プレイして、是非貴方も床をのたうち回ってもらいたい。



それはそうとオリジナル版、ENCOREとゲームを二周して気がついたことがある。このゲームの最大の弱点だ。
このゲームは現代の東京を舞台にしているが、実際に敵とたたかう場所は東京の裏の顔、「イドラスフィア」だ。イドラスフィアはいくつもあり、いわゆるRPGのダンジョンとして機能している。このイドラスフィアは単純な迷路というわけではなくその中にある仕掛けを解いていく構造になっているのだが、その仕掛け一つ一つがやけに引っかかる。はっきりいうと「面白くない」。


「撮られてしまうとスタート地点に戻されるカメラが設置してあるダンジョン」はまだいい。
立体構造になっていて飛び降りていく箇所を選択しながら進むのもよかろう。

「踏むとトラップが作動する床と、見えない壁を複数個のスイッチで切り替えて進んでいくフロア」人の悪意を具現化したようなダンジョンだった。さらに進むと「あみだくじ状に動く床と、進む先がわからない床とを駆使してパズル状構造になってるダンジョン」を乗り越える必要がある。このあたりはいよいよ制作スタッフに意地が悪いグレムリンが憑いてしまったのか? と思わずにはいられない。ギミックを突破した喜びがあればいいのだが、それはいまいちなくてとにかく手間だけがかかる印象しか残らない。戦闘が楽しいのが救いなのだが。

イドラスフィアの一つ、幻想だいたまを歩みをとめてぐるぐると背景を見回してみると、その出来栄え、作り込みの綺麗さに気がつく。他のイドラスフィアもそれぞれの気色にあわせた華麗な背景になっている。なっているのだが、実プレイ中はギミックにイライラすることが多くなかなかそちらのほうに気をやることができないのが残念だ。事実私もWiiU版でプレイ中そこまで気にしていなかった。



そしてもう一つ、このゲームの弱点について触れなければならない。


冒頭部にてこのゲームのことを追加要素を含んだ移植と評したが、これは厳密にいうと間違いだ。このENCOREにはオリジナル版から抜け落ちた要素が一部ある。それを詳しく解説する。
もともとのオリジナル版は日本で発売されている。しかしそれを欧州・海外にて発売する際に一部の表現内容を変更して発売されることになった。このENCOREを「ポリコレ規制版」と呼ぶ場合もあるが、実際はポリコレ規制というよりももう少しややこしい。


日本ではゲームはすべてCEROというレーティング団体が審査し年齢制限を決める。日本においてはオリジナル版はCERO B(12才以上推奨)だ。しかしこれがアメリカで発売する時はESRBというレーティング団体を通さねばならない。
アメリカにおいては「未成年の少女の肌の露出」および「少女が水着姿で仕事を行う」といった要素が非常に厳しい目で見られる。もし日本版をそのままローカライズした場合はESRB M(17才以上推奨)あたりになったのではないだろうか。ペルソナ4ペルソナ5などがこのESRB Mを受けているが、アメリカの小売事情は日本のそれと比べて厳しく、年齢確認と保護者への同意確認が必要になっている。日本でも同じことがいえるが、アメリカでは可能な限りレーティングを下げるためメーカーも必死になる。そのためこれらの要素を減らした海外版としてつくられESRB T(13才以上推奨)の認定を受けた


その結果、ヒロインたちのユニフォームから露出が減少し、ヒロインつばさが水着グラビアを行うイベントが普通に衣服を着込んだままグラビア撮影に挑むイベントへと改変された。
ENCOREのみをプレイした人たちはこのイベントに違和感を覚えることはないだろう。うまい具合に修正が及んでおり、違和感を覚えそうなセリフが広範囲に直されているからだ。
しかし水着グラビアという仕事を通じ、最初こそ羞恥心を覚えていたためにカメラマンの不興を買ってしまったつばさが、撮影されることとはどういうことか、自分自身で答えを見つめ改めて水着姿に挑み、敵ミラージュから『なんだその格好はぁ? 恥ずかしくねぇのか』といわれたときも仁王立ちで「恥ずかしくありません!」と返すイベントが、この修正によって本質を歪められてしまった。ヒロインのつばさは水着姿でも堂々と立ち向かえる子なのだ。それこそ皆が応援してくれるアイドルの構成要素であるとわかっているからだ。ENCOREではそこまで至らない。それが非常に残念だ。


なぜ日本においてENCOREもこのような表現規制がなされたままだったのか。理由は明白だ。そもそもこの幻影異聞録♯FEというゲームがさほど売れていないからだ。日本国内でオリジナル版の売上本数パッケージ版で3万本。完全新規RPGの開発費をペイできたかというと、まず間違いなく無理だろう。このSwitchへの移植は低予算なプランでしか動きようがなかった。そのため日本だけオリジナルのまま作り直すということはなく、世界全体で低いレーティングが受けられる欧州版をグローバル版として、それをそのまま日本向けに再ローカライズした。


ここまではまだいい。世知辛い業界の寒風が吹き荒ぶ中、それでもよくやったと言ってあげたくなる。しかし問題は任天堂がこのENCOREを発表後、しばらく日本の公式サイトで元の日本オリジナル版の画像を掲載していたことだ。これで一時混乱が発生した。結局任天堂はENCOREが表現規制がされたグローバル版であることを認め、事前のダウンロード版を購入したユーザーが希望すれば返金に対応する羽目となった。


つまりこれは、任天堂がこのゲームに対して全く興味を失っている」ことを露呈させてしまったということだ。わずかにでも複雑な経緯を持った自社製品に対して把握していれば、このような事態は起きるはずがなかった。しかしENCOREの広報は上記の事情を把握していなかった。把握していれば、発表と同時に「残念なお知らせですが、これはオリジナル版とは一部表現が違う箇所があります」と周知することができ混乱は少なく済んだはずだ。今から言っても詮無きことだが。


ゲームを購入しようとするプレイヤーに対して、メーカーは真摯であるべきではないのか? 輝くような青春と掛け合いを描写するゲームの内部事情が如何に寒いことになっていても、それを隠して精一杯売ってみせるポーズをとってみるのがゲームメーカーというものではないのか? 表現規制よりも何よりも、私はこちらのほうががっかりした。


とはいえ「抗議のために不買」というスタンスは私は取らない。生まれてきたゲーム自身には罪はない。それよりもこのゲームが売れずに埋もれた場合、真の意味で幻影異聞録♯FEは死ぬだろう。そちらのほうが私にとっては悲劇だ。


もしENCOREをプレイして興味をもった人がいるならば、是非オリジナル版もプレイしてもらいたい。きっと織部つばさのことをもっと好きになれるだろう。幻影異聞録♯FEを発売したこと以外について任天堂に感謝をするならば、その導線をこのENCOREで作ってくれたことだろうか。

シリーズ完結編は最高のファンアイテムだった -ランス10-

平成の最初に生まれ平成の最後に完結したゲームシリーズがある。


ランス


アリスソフトより発売される正真正銘のエロゲーである。
典型的中世ファンタジー世界観のように見せかけ、なぜかハニワが亜人として住み着いていたり、ヤバそうな名前の雑魚キャラヒムラーとかゲッペルスとか)が大量にいたり、和名のキャラ(しかも忍者や魔法使いとして)がさも当然に紛れていたりとするヘンテコ世界観で、そんな世界に住む『可愛い女の子は全て俺のもの!』な鬼畜でやりたい放題な破天荒冒険者ランスが主人公のゲームだ。
ランスは冒険したり命を狙われたり時には国一つを救ったりもする。その合間に女の子を抱いたり女の子を抱いたり女の子を抱いたりもする。というかまあ、ランスの目的はむしろそっちなのだが。


今作、ランス10はシリーズの完結作である。



面白かった! 



ただそれに尽きる。今までのシリーズでランスは魔族の女の子を襲って身ごもらせたり、エルフっぽい女の子(カラーと称される)を襲って身ごもらせたり、奴隷とよぶヒロイン、シィルが氷漬けになったりそれを解かしたりしていたが、それらの冒険で広げられた風呂敷が見事に集約して畳まれていった。素晴らしい流れだった。


ランス6で出てきたダークランスがこういうキャラになるのか!」
戦国ランスでもがき苦しんだトラウマがようやく解かれるときが来たか!」
「ランス9で上手くリファインされたシーラが激強キャラになってる!」
「マリアお幸せに」
「メディウサ絶許」


などなど、ゲームを進めるたびにシリーズのファンならば頭に衝撃がガンガン走る展開になっている。最終決戦が終わったあと流れるエンディングを見た時には半ば放心状態になっていた。無尽蔵に広がる風呂敷に「無事にこのシリーズは完結できるのだろうか」という疑問が湧き上がるのに対してアリスソフトは完璧な答えを提示した。お手上げだ。ここまで完璧だと降伏するしかない。
「勇者と魔王はいくら倒しても別の存在が新たな勇者と魔王となって復活する」「魔王はかならず破壊衝動に飲み込まれる」「それらを作った創造主は人がもがき苦しむ様子を楽しんでいる」などといった「こんなのどうやってもグッドエンディングになるわけないよな……」といった設定を、見事打ち返して場外ホームランにしたてた。


最後の最後の最終局面、恐ろしいまでの伏線回収を行った上、ランスは「全員、俺様についてこい!」というセリフをパーティメンバーと、プレイヤー本人にも投げつける。傍若無人で怖いものなしで無鉄砲・無計画、プレイヤーに対しては「女の子を犯す」「女の子たちを犯す」かなんてろくな選択肢をよこさなかったランスが、初めて真の意味で「世界」を守る英雄、プレイヤーの代理人へと昇華した瞬間だ。血がたぎるセリフである。30年という歴史を背負ったキャラだからこそいえる最高の、最強のセリフだ。褒めることしかできない。他のゲームシリーズではどうやっても真似できることができないだろう。



もし以上の文章にて興味をもって「ランスシリーズをやってみたことがないんだけど、ランス10をやってみようかな?」と思った人はちょっとまって欲しい。ランス10は今までのシリーズファンだからこそ脳天をぶち抜かれるのであって、ランスを知らない新規層向けのゲームではないのだ。


そしてもう一つ、「決して楽しくはない」のだ。



ついさっき面白いと評したばかりだが、詳しくこのゲームをシステム面から解説していこう。


このゲーム、2018年に発売されたにしてはあまりにプレイヤーに対して不親切すぎる。


敵と味方、お互いが向き合い行動力を使用したり溜め込んだりして攻撃しあうターン制バトルを採用しているのだが、このシステムを解説する努力を完全に放棄している。各キャラの使えるスキルはバラバラで、何がどう強いのかは使ってみないとわからない。
同じスキルを次ターンにも使うと行動力にペナルティが生まれることだけチュートリアルで説明してくれる。が、具体的にどのスキルがどう作用するのかは実際に試してみるのがもっともわかりやすい。わかりやすいだけで理解できるとは限らないのだが。



そして各ルートの宝箱をあけることでいままで歴代の出てきたキャラがランダム(※ここ重要)で手に入る。そのキャラをリーダーとしてセットすることで戦闘のときにスキルを使えるが、控えキャラになった場合でも各々のリーダーのステータスにプラスに作用される。だからキャラをたくさん獲得したほうが有利になるため宝箱が非常に重要になる……のだが、おそろしいことにこれらの解説はゲーム内では一切なされない。私がこのシステムを理解したのはBBS PINKのランス10本スレを読んでからだった。まさか30半ばも過ぎてBBS PINKのエロゲー板に行くことになるとは思いもよらなかった。


一応説明書にあたるヘルプは同梱されているが、はっきり言って無駄だ。自分が何を調べたいのかすらわからない初心者に無関係の事柄を細かに書かれたヘルプは害悪にあたる。私が知りたいと思った情報を与えてくれることは一度としてなかった。ありがとうBBS PINKの人たち。キャラのもつスキルの効果を知りたい場合は詳細ボタンを2度押すとは思わなかった。

しかもこのゲームのバランス調整はなにかおかしい。二戦目のボスにしてバトルシステムを熟知していないと倒せないキャラがでてくる。そんなボスがでてくるならば、事前にバトルシステムを段階的に周知させていくようなデザインを施さねばならない。私が最初にそのボスと戦ったとき「負けイベントの判定バグか?」と疑ったほどだ。1991年に出たFF4でさえ、霧状態のミストドラゴンに攻撃するとカウンターをくらうと親切に教えてくれたはずだ。


ようするにこのゲームは非常に難易度が高い。時間制限があり指定されたターン内で条件が満たされなかった場合、シリーズをやり通してきて見知ったキャラがあっけなく死んでいく。国が滅ぼされてヒロインは陵辱される。そして最終的には主人公ランスたちも殺される。バッドエンドだ。
プレイヤーはバッドエンドを一つ見るたびにボーナスポイントを得ることができる。それで新規にゲームをやり直すと若干上方補正がついた状態でプレイできる。無意味なチュートリアルから。
プレイヤーは見知ったヒロインたちがなすすべなくやられ、ランスが絶望のあとで殺される様々なエンディング(無駄に多彩である)を周回して見ていき、戦闘力を底上げして、そしてほとんど唯一の正解ルートを探し当てることが必要とされる。


1時間くらいかかるチュートリアルを何周もしながら! 10時間かかってようやくバッドエンド一つ!!


私、仕事して結婚して子供いるんですよ? 無尽蔵に時間がある大学生じゃないんですよ?


このあたりのミスマッチは如何ともし難い。今までずっとシリーズに付き合ってきたファン向けであるはずなのに、トゥルーエンドに向かうためには100時間はざっくり必要とは。



もう一つ指摘をしておかなければならない。高難易度に調整した結果理不尽さが生じているところを。
このゲーム、敵のHPが非常に高く長期戦になる。回復方法も限定されているため「如何に敵の攻撃を防ぐか/妨害するか」に比重が置かれるようになる。その最適解を極めると、「初手、毒付与の後80%の確率で成功する睡眠魔法をかけて3ターン放置して毒ダメージ与えつつ行動力を貯める。失敗したらリセット&ロード」という作戦が構築されてしまう。いや、これならまだいい。したい奴がやればいい。


困ったのは敵の攻撃を妨害する能力が同じような「80%の確率で敵の攻撃を阻止」といった確率のものでしかないのだ。

敵が3回攻撃してきて、その内一つが「20%の確率で自軍のキャラ一人をダウンさせる。ダウンしたキャラは戦線から離脱(復帰不可)」だった場合はどうするか。



まずは妨害攻撃があたるのを祈る


あたったらその3つのうちの一つを妨害してくれることを祈る


だめだったらダウン攻撃が発動しないことを祈る


ダウン攻撃が発動してしまった場合、メインアタッカーにあたらないことを祈る。





これではゲームではない。祈祷だ。




味方にはダウンのとき身代わりになってくれるキャラもいるにはいるが、そのキャラを獲得するには悲惨な状況にならなければならない。戦況を優位にさせていると運でしか獲得することができない。
また運だ。
このゲーム、戦略性ある戦闘を構築している一方で、大事な自軍のキャラの獲得の多くをランダム性に任せるという意味不明な構造だ。ルートによっては確実に獲得できるキャラもいるのだが、戦略性の幅はどうしても限定されてしまう。こんな作りにするのなら時間制限をなくすか、もしくは全体的に難易度を下げるべきだった。


しかも最後の最後、真のラスボスがこのダウン攻撃を発動してくる。「頼むからランスにだけはあたってくれないでくれ」と画面に向かって祈るしかない。もしランスにあたったらやり直しだ。このあたりはいよいよ持ってスタッフの正気を疑った。


このようなシステムになった理由はおそらく「最適解を知っていてもなおも一筋縄ではない高難易度」を目指した結果ではないか。このようなシリーズキャラが多数いて様々なスキルが登場するゲームでは、特定のキャラと特定のスキルを組み合わせればたいていのボスを倒せる強力な技というものが出てきてしまう。それを知っていてもなおもなかなかクリアできないような、高難易度を目指したのではないだろうか? 私からしてみたら余計なお世話でしかないのだが。


攻略Wikiを見て進める奴はどんな状態でも攻略Wikiを見るものだ。それはプレイヤーそれぞれの自由にしたらよい。私はできる限り攻略サイトに頼るまいとした結果、2つ目のボスで詰まって助けを求める羽目になった。これが楽しいゲームプレイであったとはとてもいえない。20時間以上プレイし2つ目のバッドエンドを見たところで最終的に心が折れて改造セーブデータを入れることになった。ランス10をゲームとして見切ったからだ。



このゲームはゲームではない最良のファンアイテムだ。
そのためファンでもない新規層がプレイするのはただの拷問でしか無い。この拷問を面白がることができるのは、ランスシリーズをやり尽くしてきた猛者だけだ。

それでもこのシリーズに足を踏み入れようとする、猛者たらんとする者がいたなら、まずは鬼畜王ランスか、戦国ランスをオススメする。前者はWindows95時代のゲームだが、なんと無料で、かつGoogleChromeでプレイすることが可能だ。後者はシリーズの後半に入ったためキャラが把握しづらいかもしれないが、おそるべき完成度を誇る。ゲーム初心者でもさくっと独特のシステムに馴染むことができる。



ようこそ地獄へ。我々は君を歓迎する。さぁ、この最高な拷問を楽しもうじゃないか。

プラチナなのは社名か、品質か -アストラルチェイン-

プラチナゲームズという会社がある。
劣化せず非常に安定しているプラチナのように、高品質で劣化しないゲームを提供しようとする思いを詰め込んだ社名だ。
そしてこのご時世にもかかわらずマルチ抜きのシングル向け高品質アクションゲームを作りづつけているクリエイター集団である。
彼らが作ったベヨネッタ2The Wonderful 101は私の中でもお気に入りのソフトに入る。退屈しないQTE、アクションゲーム素人でもどうにかなるレベルデザインと難易度調節。プラチナゲームズ「キャラを格好良く操作して敵をバッタバッタとなぎ倒す」感覚を与えてくれることにおいて恐ろしく高水準にある会社だ。

そんなプラチナゲームズが開発したのがSwitchにて2019年発売された「アストラルチェイン」だ。



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主人公は近未来の世界に住む特務部隊の一員で、レギオンと呼称される生体兵器を扱い異世界からの侵略者、人類の敵であるキメラとの戦いに双子の姉弟と仲間と共に身を投じることとなる。
ジャンルはもちろんアクションゲーム。このゲームの売りは主人公と、レギオンとを別個に動かすデュアルアクションだ。左スティックで主人公の操作、右スティックでレギオンの操作を行う。レギオンは敵に近寄れば自動的に攻撃してくれるし、ボタンでターゲットした敵にけしかけることもできる。また主人公は三種の武器(警棒、大剣、銃)を操り、レギオンも5種いるため、それぞれの種類を敵と状況に合わせて切り替えていくのが必須スキルになっている。



主人公とレギオンは一本の特殊な鎖で繋がっていて、これが様々なアクションを生んでくれる。
ギオンを操作してぐるりと敵の回りを囲むと敵は光の鎖で拘束され一定時間身動き取れなくなる。その間、連続攻撃は叩き放題だ。
また遠く離れたレギオンの元へ瞬間的にジャンプする能力、チェインジャンプが存在する。そのジャンプしている道中に存在する敵に主人公は自動的に斬撃を繰り出していく。
さらには突撃してくる敵を左右に避け、この鎖で受け止めると主人公とレギオンの連携攻撃が自動的に発動する。

このゲームは回避とレギオンの活用が大事だ。如何にして敵の攻撃をかわしカウンターへと繋げていくか、その導線がしっかりとある。プレイヤーは敵の攻撃を見切り、どのスキルを活用して撃破するかを試行錯誤する。そのトライアンドエラーにきちんとこのゲームは堪えてくれる。燃えるBGMの中(私のオススメはAwakeningです)、君が操る主人公はレギオンと共に格好良く敵をなぎ倒してくれるだろう。


こう読むと非常に難しい要素ばかりに聞こえてしまうかもしれないが、意外にガチャガチャ操作をしてもなんとかなるデザインになっている。「レギオン射出」→「レギオンの元へとチェインジャンプ&攻撃」→「そのままコンボ攻撃」という流れはすぐ慣れて簡単にできる操作だし多少の操作ミスをしても繋がってくれるのが嬉しい。




このゲームは戦闘パートと、サブイベントが満載の捜査パートの二つが折り重なっている。
主人公は特務部隊という設定上、近未来の都市で起きた事件を捜査し、人々の証言や事件現場の再現をしながらその背後にいるキメラの動きを察知し、キメラの住む異世界に突入して人を救出したりキメラと戦ったりもする。
捜査パートの中に唐突に戦闘が入ったりするし、メインの捜査とは別にある細かな事件を解決したり、街の人の頼み事に答えるサブイベントも捜査パートに組み込まれている。捜査パートの最後には今までの証言を重ね合わせて事件の背景を探るファミコン時代の探偵アドベンチャーチックなものが用意されている。


ストーリー的にもキメラの正体の謎、特務部隊司令官の不気味さ、謎の女科学者の存在、そしてレギオンをあまりに自由に操れすぎる主人公自身の謎を絡み合わせ進んでいく。特務部隊の仲間たちや双子の姉弟と共に戦いに挑んでいく展開はまるで少年漫画のようだ。章仕立てで構成されており、一章を終えるたびに謎が一つ解け、また一つ謎が増える。少年漫画らしく「ここは俺に任せて先に行け!」という展開が待ち構えていたり、主人公の隠されていた力が覚醒して攻撃が効かなかったはずの敵を一気に叩きのめしたりもするぞ。



こうしてクリアを目指す動線を作っているはずなのだが、実際にプレイをしてみた身としてはいささかちぐはぐな印象を受ける。テンションを高めてガンガン突き進める気になる戦闘パートとは違い、捜査パートはいまいち面白みを感じることができない。


問題点としては証言を重ね合わせる締めの設問がいまいち悪く、「あらかじめ答えを知っていないと適切な答えを選べない」という状態に陥っている。その答えは捜査でわかるようなものもあれば、到底わかりそうにないものも混じっている。ここでミスしたところで経験点ボーナスが少なくなるだけで戦闘パートに進めないということはないのだが、些か気分を害されてしまう。


また一部のサブイベントが嫌がらせの極地だ。段積みになったアイスクリームを購入し子供のいる場所へ運ぶ、というイベントだがコントローラーのジャイロにあわせてバランスが揺れるのでとにかくアイスが落ちる、こぼれる。そして通行人がこちらに向かってぶつかってくる! 当然ぶつかってしまうとアイスを落としてしまい失敗になる。プラチナゲームズの人々はこのサブイベントを楽しめたのだろうか? 恐ろしいハードアクションゲーマー集団である。




戦闘パートにも実は問題が内包されている。戦闘と戦闘の合間には小さなインターバルがあり場所を探索し次の場所へ進むためのスイッチを探したり、ギミックを解除したりする必要がある。(このあたりのパートはベヨネッタやワンダフル101をプレイしたことがあるプレイヤーなら「ああ、プラチナゲームズのあれね」とわかってくれるかと思う)

今作のそれは明らかにベヨネッタThe Wonderful 101に比べて低品質だ。
背景にまぎれてわからなくなっているスイッチ、面倒くさいギミック。ときには理不尽さすら覚えてしまう。はっきりいうとこのパートには「プレイ時間水増し」の要素しか感じ取ることができなかった。いざ敵が出現したときの戦闘のときのテンションの上がり方と相まってつまらなさが加速してしまう。

戦闘は本当に、本当に面白い。
巨大な敵が繰り出す攻撃を回避しつつ弱点はどこか。頭を弓で貫けばいいのか、いや大剣で連続攻撃すればスタンするんじゃないか、まてまてこの巨大な足をレギオンで拘束すれば……アドレナリンが全開になり敵の攻撃がスローモーションに見える。思考回路を全力で駆動させ攻略法を考える。その間も指はコントローラーを動かすのはやめない。スティックさばきに呼応して主人公は回避し攻撃を繰り出していく。その瞬間の高揚さは麻薬的だ。しかしいざ敵を倒してしまうと、探索や捜査パートに止められてしまう。やめてくれ。俺は戦いたいんだ。はやく、はやく俺に敵をくれ! 俺に生きる実感をくれ!


そうして戦闘ジャンキーになったプレイヤーにたいして無慈悲に探索ギミックは増えていく。麻薬中毒になった者にどんどん金を要求するがごとく。プレイヤーは涙と禁断症状を堪えながら必死で面白くもないギミックを解くことになるのだ。このゲームにはジャンプボタンがないのに浮遊板を連続で渡っていくギミックをやらされた時(落ちたら当然やり直し)にはさすがに「マリオ連れてこいマリオ!」と叫びそうになった。



最大の問題は最終盤のストーリーだ。章仕立てになりいよいよ最終章に到達したプレイヤーは不安に襲われる。とにかく今までのストーリーはどんどんと風呂敷が広がる一方だ。はたして最後の一章だけで全部の風呂敷をたたむことができるのだろうか? そしてラスボスを撃破したプレイヤーに与えられたエンディングは、まるで「打ち切りが決まったので急遽まとめた少年漫画」のようだった。……そんなところまで少年漫画らしく仕立てなくていいのに!


プラチナゲームズには神谷英樹というゲームストーリーの天才がいる。ベヨネッタ1であれだけキレイに決着をつけたはずなのに、ベヨネッタ2ではさらに1の要素を伏線として拾いつつ素晴らしいエンディングに仕立てた。The Wonderful 101では衝撃の展開を二重三重に重ねておきながらもエンディングではすっきりとすべてを解決させ希望の未来を見せてくれた。今作でも彼はスーパーバイザーという立場で参加している。彼ならばもっとすっきりとしたものが出来たはずだ、と思わずにはいられない。このような結末になった理由には色々とあるのだろうが、ただただ残念だ。



このゲームはプラチナの名に恥じない、確固たる面白さがその芯に走っている。しかしその外周部をぶよぶよとした贅肉で覆われてしまっている。神ゲーとの評価を得るためにはまず大規模な肉体改造とフィットネスが必要になるだろう。そしてそれができる人材はプラチナゲームズにはいるはずだ。次回作に期待したい。ベヨネッタ3を私は待っている。

2Dシューティングゲームははたしていつ「衰退」したのか

定期的にネットの海を騒がせる話がある。

それは『2Dシューティングゲームはマニアに合わせてどんどん高難易度していき新規層が入れなくなってどんどん衰退していき最後には滅亡した。新規層の大事さを忘れてはならない』というものだ。

実際シューティングゲームは滅亡どころかプラットフォーム各種で展開され根強い人気を確立しているジャンルであるのだが、この論はとても人気があるらしくバズりやすい。『人は正しさよりもわかりやすさを求める』という説があるが、まさしくそれだと思われる。

さて今回はこの説をシューティングゲームマニアではない奴が、少しばかり違った観点で検証していきたい。ちなみに私は斑鳩なら3面で力尽きる程度の腕前です。

 

まず、シューティングゲームが最も興隆していた時代はいつだろうか。

スーパーファミコン全盛期? ファミコン時代? なるほどその頃ならばアーケードゲームでもシューティングゲームは大人気だったはずだ。

ところがファミコンの売上ランキングを確認してみると、おそろしくシューティングゲームが少ない

売上がミリオンに到達したのはゼビウススターソルジャーのみだが、グラディウススターフォースといった有名作は及ばない。そのゼビウスにしても発売された1984年はロードランナー、四人打ち麻雀、テニス、F1レースとミリオンセラー満載年だ。50本前後あるファミコンのミリオンセラーソフトのうちシューティングが二本だけというと、いささか物足りなさを感じないだろうか。

ではこのときからすでにシューティングは衰退していたと言えるのだろうか? そうなると「マニアに合わせて高難易度していった結果衰退していった」論説はやはり現実に沿っていないことになることがわかる。このときのファミコンソフトのシューティングはアーケードよりも難易度がマイルドに調整されたり、裏技で残機数を増やしたり、無敵になるモードを導入しているからだ。

 

そうそう、アーケードのことを忘れてはならない。

少し思い出して欲しい。シューティングが輝いた、日本を熱狂させたアーケードゲームが歴史に名を残していることを私達は知っているはずだ。

 

そう、スペースインベーダー

 

1978年にアーケードに登場した、百円玉の年間発行数を三倍に増やすはめになった驚異のゲーム。シューティングの全盛期はこのインベーダーブームのときだとみなすのが妥当なのではないだろうか。大ヒットしたゼビウスのアーケードが1万5千台の出荷に対して、スペースインベーダーの出荷数は純正品が10万台、サブライセンス仕様の台が10万台、無許可コピー台が30万台出回ったとされている。その差は圧倒的だ。

 

シューティングゲームの全盛期がここならば、その後のファミコンスーパーファミコン時代や、インベーダーブーム終了後に系譜として続いたアーケードはすでに衰退期……良くいえば安定期だとみなす事ができる。

最初にビッグバンのような大ブームが起きているのだ。高難易度云々関係なしにそれは縮小する。むしろ今でも同ジャンルがプラットフォームを変えて新作が出続けていることに感嘆すべきではないだろうか。

 

……ここで記事を終えてしまってもいいのだが、もう少し観点を変えてみよう。そもそもシューティングゲームの定義とはなんだろうか?

 

『なにを今更』と思うかも知れない。自機が戦闘機でバリバリ弾を打ち敵弾をかわして敵をなぎ倒して進んでいくのがそうだと思うだろう。ボムが利用できたり障害物にあたったらミスになり、パワーアップアイテムが出てくるのが貴方の頭の中に思い浮かぶはずだ。

ちょっと困ったことに、「シューティングゲーム」の中には自機が人間であったり武器が刀であったり障害物にあたってもミスにならなかったりボムがなかったりパワーアップの概念がなかったりするものもある。さあ、これらを包括する定義はどうすればいいのだろうか? 先に述べたスペースインベーダーゼビウスといったタイトルもうまくくくれるような定義にしないといけない。そうなると必要最小限で根幹部分を突いた定義が必要だ。

 

 

そうなると「自機を操作し敵の攻撃をかいくぐり撃破してステージクリアを目指すタイプのゲーム」あたりに落ち着くだろう。これならばスペースインベーダー怒首領蜂も東方シリーズもうまくくくることができる。シューティングゲームの定義はこれでいこう。

 

……ちょっと待って欲しい。この定義はいくらなんでも大きすぎやしないだろうか? 敵の攻撃をかいくぐり、敵を撃破するゲームは至るところにあるだろう。シューティングゲームに限らず。魔界村ロックマン悪魔城ドラキュラはそうであるし、攻撃方法を変化させた例でいえばスーパーマリオブラザーズも入ってしまうだろう。

 

そう、そうなのだ。スペースインベーダーというビッグバンが起きた。そしてそこからシューティングゲームは本質をそのままに細かなルールを付け足しジャンルを変化させてアクションゲームやアクション要素のある他ジャンルへと進化したのだ。今あるアクションゲームはシューティングゲーム

 

かつて地球の支配者は恐竜であった。一昔前は恐竜たちは気象の大異変により絶滅した、といわれていたが、今では体を小さくし鳥類へと姿を変え進化し生き延び続けている……という説が有力である。シューティングゲームも同じことが言えるかも知れない。姿形を変え進化し、しかしその中の骨子はそのままに、我々を今でも楽しませてくれている。

 

 

 

注意兼謝罪:ここまで真面目に読んでくださった方には申し訳ないのですが、この理論でいうとスペースインベーダーがアクションゲーム・シューティングゲームの始祖ということになるのですが、本当にそうであるかゲームの黎明期の歴史にそこまで詳しくないので正直なところわかりかねます。もしスペースインベーダーの元になった作品があったら教えて下さい。

 

 

                         

追記:

 

元はインベーダーの元ネタはブロック崩しとのことです。ありがとうございます。

ただそうするとブロック崩しシューティングゲームの元祖だ、という論が出てきそうなのですが、果たして当時生きていなかった私がそこまで踏み込んでしまっていいのかという。ブロック崩しのルールとシューティングゲームの定義には随分と距離があるように思えますが、これは現在に住む人間の観点であるため、当時の空気を知らない空論な気がしてなりません。

 

                         

さらに追記:

このような指摘を頂きました (岩崎啓眞さんは当時ハドソンの中でバリバリ活躍していたレジェンドです)。スターソルジャーここで「約100万本」という表記をされていましたが、100万本には至らない数字という確認ができましたので、本文を訂正させていただきます。ありがとうございます。