平和的なブログ

ゲームのことばっかり話してます。たまに映画とか。

AMDという神について語ろう

 皆様に聞いていただきたいのは、「いかにしてAMDという神が存在するか」いう話です。決して「いかにAMDが神企業であるか」という話ではありません。そこに大きな違いがありますので注意をしていただきたい。
 AMDとは正式名称をアドバンスト・マイクロ・デバイセズといい(この文字を打ち込むだけで心に至福の感情が広がっていくことに感謝)、1969年にアメリカに創設された半導体メーカーであります。現在では広く採用され、ゲーム機においてはWiiU・XBOXOne、PS4の据え置き三機種全てに採用(あともう一つあった気がするけれど多分錯覚)されシェア100%というとてつもない偉業を果たしたことで有名です。偉業であることはまちがいないのですが、神なのですから当然なのかもしれません。そう、AMDは神なのです。
「だがちょっと待ってほしい。なぜ半導体メーカーが神になるのか」と疑問に思う方も多いでしょう。私はそれに答えることができます。
 奈良の大仏を思い浮かべてください。あれを見て「巨大な銅の模型」とだけ感じる人はいますでしょうか。絶無とはいいませんが、圧倒的多数があの仏像に対して神秘的なものを感じ取るのではないでしょうか。さらに考えれば、あの仏像がつくられた当時の人々はどう思ったでしょうか。天変地異に飢饉、乱れた世の中を照らす一筋の光を求めて聖武天皇は仏像建立に踏み切りました。「国銅を尽して象を鎔し、大山を削りて以て堂を構え」と表現した大事業は、自ら神を作り上げる行為とほぼ同等であることは間違いありません。その時立てられた仏像がただの巨大な模型であったはずがないのです。
 さて、振り返ってAMDを御覧ください。電力を消費して半導体が織りなす0と1の羅列は、人々を楽しめるゲームの礎となり、また仕事の効率化を図る便利なツールになり、あるときは部屋のぬくもりにも変わります。今や半導体は人の生活と切っては切り離せない密着した代物です。現代社会を生み出す原動力であり、礎。それでいて人の目に直接触れることがないもの。これを神といって過言がありましょうか! AMDは人々が現代社会を送るのを静かに見守る温かい(物理的にも)神なのです。
 
 AMD様は寛容であらせられます。貴方がAMDに興味がなくとも、貴方の持っているPS4の中でエロBDを高画質に再生してくれます。AMD様は寛容であらせられます。貴方がAMDに興味がなくとも、貴方が持っているXboxOneSの中でエロBDを4Kで再生してくれます。AMD様は寛容であらせられます。ニンテンドースイッチの中で……てめぇ任天堂よくも裏切りやがったな!絶対許さな(以下略)

 一部不適切な音声が流れたことをお詫び致します。AMD様は寛容なので、これくらいの過ちは許してくださります。持っててよかったRyzenRadeon

ロボコップ3が面白かったという話

 特に理由があったわけでもないのだけれど、アマゾンプライムビデオにて映画ロボコップ1-3が配信されていたので、見ました。面白かったです。
 これだけの文章量ならツイッターに流して終わりなんですが、いろいろと思うところがあったのでブログにて投下。

 元々ロボコップシリーズって、3はとても評価が低い扱いされているんですね。(2もまぁ、いろいろと賛否両論あったみたいなんですけど) 私は子供の頃に見た覚えがあるんですけど、すっかり脳内からあらすじが消え去ってしまっていたんで、自分的にも「まぁその程度のもんなんだろう」くらいに思ってたんですが、見直してみてまぁびっくり。ロボコップ3,「直球ストレート王道展開ヒーロー物」映画だったんですよ。これが自分のツボを付きまくってて最高でした。
 基本ストーリーはこんな感じ。近未来都市デトロイト。そこは超巨大企業オムニ社が市を乗っ取り、利益のために弱者を追い出し、犯罪が蔓延る悪夢のような状況に陥っていた。そんな中、犯罪撲滅のためにオムニ社が作り上げた、全身を機械で覆ったバイオサイボーグ、ロボコップ。殉職した警官マーフィーをベースに作られた彼は、人間であったときの記憶と誇り、そしてメカとして与えられた指令との間に苦しみながらも犯罪とオムニ社に立ち向かっていく、というもの。1と2がオムニ社の重役たちが悪役で、やりたい放題しているのを、なんとかロボコップが歯止めになるみたいな流れですね。

 3では今までその金と力でデトロイトに住む弱者である貧困層の人々を苦しめてきたオムニ社が、逆に経営難になってしまい、日本企業(当時はバブル景気の影響で日本が金でアメリカを攻めまくってたんですよ、マジで)であるカネミツに吸収合併、それによってノルマに追い立てられ、なんとかスラムを潰して立ち退きを成立させ、そこに新しい都市をつくることに躍起になります。
 オムニ社は力を誇示し、それに溺れてきました。しかしそれ以上に力のあるものの前に立たされ、屈した後はどうなるでしょうか? 社内の雰囲気は一気に重苦しいものへとかわり、自殺する社員が急増します。力に恐怖したオムニ社は、より力のないものを痛めつけることで自社が生き延びる道を模索しようとします。力のない貧困層を排除するために、あの手この手を駆使するようになります。最終的には警官や、ロボコップすら利用して貧困層の排除に向かわせようとするのです。
 力とは、あるものがなきものに一方的に振るうためだけのものでしょうか? 否、違います。違うはずです。ロボコップは本来プログラムされていたはずの「オムニ社には逆らうな」という命令を、相棒ルイスが殉職間際に残した『オムニの奴らをぶっ潰して』という言葉を元にかき消し、オムニ社へ反抗します。前作で給料が止められストライキを起こしていた警官たちも、ボーナスと退職金を捨てて、オムニ社に反抗し、レジスタンスへと同調します。オムニ社が繰り出したリハッブ隊や、カネミツの暗殺ニンジャロボット、オートモらの攻撃によって崩壊寸前だったレジスタンスはそれによって復活し、最終決戦へと向かうのです。
 熱い展開はまだ続きます。ニンジャロボット、オートモとの戦いにより傷ついたロボコップ。バッテリーもほとんど付きてしまい、オートモを倒したところで自分も倒れ、起動不能に陥ります。しかしそこに、良き理解者であり設計者の一人であるラザラス博士が電波ジャックして演説を行っているのが聞こえてきます。
「オムニ社にだまされないで! 罪のない人たちが大勢殺されているわ! 市民の皆さん、どうか戦って下さい!」
すでにバッテリーがなく、動くはずがないロボコップ。しかし彼は根性で地面を這いずり、予備バッテリー装置にもなるバックアップユニットにたどり着き、そして…。

 ロボコップシリーズが評価されていた点で、「社会的ブラックジョーク」や「単純な勧善懲悪ではないドラマ」といった要素があったと思うのですが、ロボコップ3にはそういった要素はかなり減っていて、真正面から「力なきものを守るのが力あるものの使命」的なテーマを描いているんですね。従来のファンが嫌がったというのはわからなくはないんですが、ここまでどストレートに描いてくれたら白旗あげるしかないです。
 それともう一つ、私が高評価を挙げられる点は「20年以上前の作品になると、特撮やCGのヘボいところがわからなくなる」ってことなんですね。この映画、前半はパトカーの天井部を撃ち抜いてロボコップがダイナミック失礼しますしたり、パトカーが何台も転がったりして派手なんですが、最終決戦の頃には合成がだんだんやっつけになってくるんですよ。どうも予算が足りなかったとかどうとかこうとか。でも、今の視点からみると「まぁどっちにしろアレだからなぁ」みたいな見方になっちゃうので、気にならないという、ね。
 最後のところでケチをつけたようなレビューになってしまいましたが、ロボコップ三部作、おすすめです。アマゾンプライム会員の方は是非。


 ところでオムニ社、ハードウェア技術に対してソフトウェア技術があまりに未成熟すぎやしないか????

幻影異聞録♯FEというゲームを語ろう

 はじめに

知らない人向けに一から解説をしよう。
このゲームは任天堂が発売し、女神転生・ペルソナシリーズでお馴染みアトラスが開発を担当したソフトで、あのファイアーエムブレムと、女神転生をコラボし、その上からアイドル要素をまんべんなく降り注いだゲームでして……ああっ、待って! 帰らないで! 私の話を聞いて! お願い!
全体的な雰囲気というと、敵に倒された味方キャラは蘇らない(基本的には)高難易度ぎっちぎちなファイアーエムブレムと、東京にICBMを打ち込まれ大洪水で全てを洗い流されたりする中(一体東京に何の恨みがあるんだ)、人類が神や悪魔に抗うハードコアな世界観が魅力の女神転生コラボしたとはとても思えない、身の回りのキャラはほとんど死ぬことなく、アイドルが精一杯レッスンを行っていたりテレビに向かって踊って歌ってみせる模様が画面に大写しに……ああっ! 待って! だから帰らないで! もうちょっと! もうちょっとだけブラウザ閉じるのを止めて!

主人公たちがアイドルなのはとても重要な理由があるんだから!


 秀逸なるその戦闘システム
www.youtube.com


このゲームはRPG、主人公たちはごく普通の高校生……だったり、アイドル見習いだったり、すでにレギュラー番組を持っている中堅だったり、もしくはほとんど一流の粋に到達していたりする子、だったりする。彼らは「ミラージュ」と呼ばれる別世界の英雄たち(ファイアーエムブレムシリーズのキャラのこと)の力をその身に宿し、邪悪なる敵のミラージュと戦っていく。戦闘システムは今ではやや古典的な部類になりつつある、素早いキャラが優先的に行動していくコマンド式ターン制バトル。

 本作の肝となる戦闘システムは恐るべき完成度の高さだ。主人公たちや敵には、10属性分の耐性が割り振られている。弓と火や雷が弱点だったり、氷や剣、衝撃が弱点だったりと、必ず10属性のうちどれかが弱点になるようになっている。主人公たちは固定ではなく、装備する武器によって弱点や耐性がかわる。その弱点を攻撃スキルでつくと、その攻撃に応じて他のキャラが「セッション」して、追加攻撃を行うのだ。しかもこのセッションは一度切りではなく、キャラクターの習得スキルに応じて2つ目、3つ目と、どんどん繰り返し放たれていく。さらには物語が中盤になると、戦闘に出ていない控えのキャラもこのセッションに参加できるようになっていく。そうすると攻撃は多彩に広がっていくことになる。

 プレイヤーとしては敵の属性を見定め(一度攻撃した属性は記憶され、攻撃時に再確認が容易になっている)、どの弱点をどのスキルで付けば効率的なのか、悩めるようになる。逆に敵も、こちらのキャラの弱点をつけば、それはセッションとなり連続攻撃となってピンチに陥ることになる。敵の攻撃にあわせて手持ちの武器を変える必要があるかもしれないし、場合によってはあえて強い武器から弱い武器に変えた場合が有利な状況もあるかもしれない。

 しかもこのゲーム、バフ(能力強化)、デバフ(弱体化)といったパラメータ操作系が非常に強力だ。命中率ダウンを受ければ体感で1/3くらいしかヒットしないし、毒でも受けようものなら、毎ターン体力の1/4近くがごっそり減らされる。仲間のデバフを打ち消すか、それとも残り少ない体力の敵を先に倒すか、キャラの行動順を見ながら考える必要がある。
 プレイヤーが悩み、考え抜いて対応した分、ダイレクトにそれは戦闘に反映される。こちらのデバフが上手く敵に突き刺さり、ガンガン回避できるようになるかもしれない。相手の繰り出す攻撃がこちらの耐性属性かもしれない。こちらのセッションが7連続で相手に突き刺さり、余波で二体目のミラージュも倒してしまうかもしれない。主人公たちが戦闘ステージを駆け回り、攻撃をスピーディに繰り出す様はまさしくアイドル。そう、主人公たちはアイドルなのだ。戦う場所はステージ上で、観客たちが歓声をあげる。入場するときには変身シーンを見せながら、勝利を決めればそのフィニッシュを決めたキャラにカメラが動いてポーズを決めてみせる。彼らはアイドルらしく、見てる我々を楽しませることに全力だ。観客が湧けば湧くほど、その分戦闘が有利に働いたりもする。

 主人公「たち」がアイドルというわけ そして「主人公」がアイドルではないわけ


 さて、ここまで読んで「なぜここまでしてアイドルゲーに仕立てる必要があったのか?」と思う読者も出てくるだろう。ゲーム内にその答えが用意されている。かいつまんで言うと、そもそも「芸能」とは、神降ろしの儀式であり、神聖なものだったと。それ故ミラージュなる異世界の英雄の力をその身に宿し、力を発揮しうる器としてふさわしいものだったという話だ。それらの器たるキャラクターには、それぞれのアイドルを目指す動機づけがある。幼馴染、織部つばさはアイドルであった姉を超えることを夢見てトップアイドルへの階段を登っていく。親友の赤城斗馬は少年との約束を守るがために自身の憧れであった特撮ヒーローの主役を目指す。他のキャラクターもそれぞれが夢をもっており、それを実現するがためにアイドルの頂点へと目指している。そして何よりも、「皆を、勇気づけたい」という動機がそれぞれのキャラクターの根源にある。アイドルとはミラージュの器であり、同時に敵ミラージュの影響で不安や怯え、無気力となってしまった人々を照らす象徴でもあるのだ。そう、敵ミラージュは、人々の精神を狙っている。それによって多くの人達が夢を忘れ、意欲を失っている。ストーリーの中で、主人公たちは敵パフォーマに精神を蝕まれた人たちを助けにいく。そう、アイドルとはなにか。人を勇気づける象徴だ。それならば、敵ミラージュを倒し、そこから開放して光をもたらすのも、一流のアイドルとしての使命じゃないか! このゲームがアイドルゲーである理由はまさしくそれである。「アイドルに、一流のアイドルになりたい」という彼らの最終的な目標は、「人々を不安に貶めるミラージュを倒し、勇気と希望で照らし出すこと」なのだ。


 ところが一つ大きな問題がある。それは本作のメイン主人公、蒼井樹はアイドルではないのである。彼は幼馴染織部つばさや親友赤城斗馬のことを応援してはいるものの、本人は別に芸能界に憧れがあるわけでもなく、芸能界に無知である。彼は半ば偶然に、ミラージュの力を得て芸能事務所に入る羽目になったが、あくまでマネージャー的立場でしかない。彼の原動力は「友達を守りたい」といったとても小さな、身近なもので動いている。アイドルになりたいと思ったことすらない彼が、なぜ本作の主人公なのか。結論からいえば、彼はアイドルだからである。

 彼は幼馴染や親友が、夢に向かって走っているのを応援している。時折彼らが戸惑ったり、道に迷ってしまった場合は、そっと背中を支え、静かに答えを教えてあげる。彼らにとって進むべき方向を指し、そして今までやってきた努力を見てきたからこそ言えるセリフで、彼らを勇気づける。「大丈夫、きっとできるよ」。たったこれだけのセリフなのに、蒼井樹がいう言葉には強烈な説得力がある。そう、まさしく蒼井樹は、アイドルを光らせる、アイドルのアイドルなのである。彼は仲間たちが、真のアイドルたらんとして頑張っていることを知っている。だからこそ、仲間たちを勇気づけられる存在でありたいと願い、そしてそうなっていくのだ。最終的に仲間たち全員が蒼井樹に勇気づけられ、夢を叶えていく。そして最後の決戦に向かう時、自信を持って蒼井樹と並んで進むのだ。


 もうひとりのアイドル


 この世界には、世界を照らすアイドルたちがいる。そしてそのアイドルのアイドルたる蒼井樹がいる。さて、蒼井樹にとってのアイドルとは誰だろうか。そう、それはこのゲームをプレイしているプレイヤー自身、貴方のことだ。貴方は的確に戦闘の指示を行い、コミニュケーションの選択肢では好感度が増減する。蒼井樹は確固たる自我がありながらも、その一部に貴方の意思を宿してこの世界の魅力と、危機と、そして仲間たちの笑顔を見せてくれている。このゲームはアイドルゲーである。アイドルによって世界が光り輝くのと、アイドルたち自身が魅力いっぱいで動く様を特等席で見ることができる。エンディング、蒼井樹らは今まで共に戦ってきたミラージュ、クロムたちと別れることとなる。クロムは元の世界に戻り、新たなる戦いに向かうことに鳴る。そして樹たちも、この世界でアイドルとしての道を歩み続ける。樹たちはクロムとの別れを体験するのとほぼ同時に、プレイヤーとの別れを体験する。たとえ樹とクロムが離れていても、強い絆で結ばれているのと同じように、このゲームがエンディングを迎えたとしても、貴方が感じ取った樹との絆は、とても強固なものになっているだろう。貴方は笑顔で、樹の背中を送り出すことができるはずだ。

 今作はWiiUのみの発売で、現在移植はされていない。レアソフトでもなんでもなく、中古屋にいけばWiiUと一緒にセットで容易に買うことができるだろう。是非、WiiUとともに購入してプレイしてもらいたい。最高に輝くアイドルたちがそこにいる。

WiiUという素晴らしいゲーム機

みんなWiiUは知ってるかい? 任天堂が作った最新の据え置きゲーム機だよ。
なんとコントローラーと画面が一体化していて、テレビに映しながら遊ぶこともできるし、手元の画面を見ながら遊ぶこともできるんだ! テレビがいらない据え置きゲーム機なんてスゴイよね! 画面はとってもきれいだよ!
面白いゲームもいっぱいさ! マリオカートに、スプラトゥーンに、ゼルダがあるよ。ゼルダの面白さはここに書こうとすると2万字を超えそうになるからやめておくよ!
さあみんな、AMD-Radeon搭載のWiiUを買おう! 買っていろんなゲームで遊ぼう!

あ? 何? それだったらもっと新型で良いのが出てる? だめだめ、お母さんAMDじゃないのは許しませんよ! 

まあ任天堂のことですからAMDを裏切ってNVIDIA搭載した新型機をだすなんて狭量な真似はしませんよね! きっと! HAHAHAHAHA!!!

メタルギアサヴァイブというゲームの話をしよう

 メタルギアサヴァイブは皆知っているだろう。コナミが誇る一大コンテンツ、メタルギアシリーズの最新作……そして、今まで製作を仕切っていた小島監督が不在になってからの、初の作品だ。このゲームはとにかく叩かれまくっていた。いや、現に今でも叩かれまくっている。「ゾンビなんてメタルギアじゃない」「小島監督が作ってないメタルギアなんて偽物」「小島監督メタルギアを返せ」etcetc、ちょっとネットを検索すればこれらの言説は容易に見つかることだろう。もしコレを読んでいるキミがそれに似たような感情をちょっとでも持っていて、かつ私の戯言を読んでくれるというのなら……それはとても光栄なことだ。もうちょっとだけ、キミの時間を私にくれ。


 このゲームはその名前のとおり、サバイバルなゲームだ。チュートリアルを始めれば、ゾンビの大群に襲われ、それを切り抜け逃げ出したところから急速に空腹と喉の渇きに襲われる。そのまま呑気に周囲の探索に出ようとしてしまえば、キミを待っているのは「死」だ。哀れな遭難者として人生を終えることだろう。そうなりたくなれば、喉の渇きを潤すために泥水をすすり、必死に鉄パイプから作った手槍で羊を狩ることだ。生肉は食中毒の可能性があるが……まぁ死ぬよりはマシだろう? 水場の近くに食べられる果実を見つけることができるかもしれない。それらは確実にキミを死の淵から、生の方向へ引っ張ってくれる。


 狩りには慣れた? 水も確保した? よし、それなら霧の中に突っ込もうか。それは人体には有害だが、ガスマスクをつけていけば問題ない。酸素が減っていって無くなってしまえば体力が物凄い勢いで減っていくが、ゾンビを倒したりそこらにある結晶体を破壊することで確保できるエナジーは、幸い酸素に変換できる。逐次酸素に変換しながら(もちろんその最中に敵が襲ってくることもあるが)先に進んで、霧の中にあるはずのコンテナを探し、生き延びる術が記されたレシピを見つけることができるだろう。レシピには何が記されている? 火炎瓶か、地雷か、有刺鉄線のバリケードか。いずれも使いこなすことで敵を撃退することに大いに貢献することだろう。


 鉄パイプの手槍から強化されたマチェットに持ち替え、場合によっては銃と弾丸も揃えたかもしれない。その弾丸も一発一発手作りしなければならないから、撃つときにはその勘定も計算しなければならない。錯乱して銃を乱発し、素材すらなくなった場合は……その銃はただの重りだから、いっそのこと装備を外してしまおうか。敵には近づいて倒さなければならなくなるか、もしくは弓を使うのも良い。矢も有限だが、拾ってリサイクルできるのが強みだ。


 この頃からキミのサバイバルは、食糧難とは無縁になり、敵を倒すことがメインになっていくだろう。大量のゾンビをフェンスで食い止め、高笑いしながら槍で突き倒すこともできる。そのフェンスがひしゃ曲がり、倒れたところを火炎瓶で狙っても良い。もしかしたらそこには地雷が埋め込まれていて、倒れたと同時に爆発がおきてゾンビが消し飛ぶところを見ることができるかもしれない。タワーディフェンスな作戦が開始されても、キミは適切にバリケードを築き、敵の襲来を跳ね除け、他の生存者を救出することができるだろう。


 このゲームの肝は、慣れてきたころに違う面を見せるところにある。キミはもう最初のような、喉の渇きと空腹に苦しむ遭難者ではない。皆から頼られ、引っ張っていく「キャプテン」だ。見晴らしの悪い霧の中にに単身突入し、物資とレシピを大量に引き上げ戻ってくる。一流のサバイバーとして覚醒したのだ。未踏破地区でいっぱいの地図も、今のキミならばわくわくするオープンワールドの遊び場にしか過ぎないだろう。


 そしてキミがこの世界になれた頃、唐突にストーリーは急展開を迎える。今まで慣れ親しんだ場所から離れ、まったく別の場所でストーリーが進むのだ。その場所でキミは、今までの敵とは思えない素早さを見せる敵、銃撃を食らわせてくる敵、あまりに硬すぎる敵、などに出会うことだろう。キミが今まで得た知識を最大限用いて「サヴァイブ」に挑戦することになる。難易度は急上昇する。今まで容易に行えたタワーディフェンスがまさしく児戯に思えることだろう。ここでくじけてはいけない。キミはキャプテンなのだから。
そしてこれらの困難な状況を突破したキミに、真実が唐突に現れる。そう、真実だ。

 

  • 以下、若干のネタバレあり。もし「メタルギアサヴァイブ買ってくるわ」という奇特な人がいたら、すぐにブラウザを閉じてダウンロード版を買って、プレイしてくれ

 







 
 このゲームは、もはや発売自体が忌避されているものだった。MGSVを作ったスタッフたちとはいえ、小島監督不在でこのシリーズを続けることにどうしたらいいかわからない、というのが正直な本音なのではないだろうか。しかしコナミとしてはメタルギアは当然稼ぎ頭なシリーズだ。会社としては続けたい。プロデューサーの是角有二氏はメタルギアライジングにもプロデューサーをしてた熟練者だ。彼は、このメタルギアサヴァイブで非常にクレバーな判断を下した。それはこのメタルギアサヴァイブを「シリーズの中にあってシリーズから抹消させた」のであった。


 プレイヤーが与えられた使命は、当初は「生き延びる」ことだった。そこから「仲間たちを助ける」にかわっていき、そして「元の世界に帰る」という目的が見えていく。しかし途中で「世界を救う」というものに変わる。彼らは生き延びるために逃げるのではなく、世界を救うために強大な敵に立ち向かうこととなる。そして最後には「このメタルギアサヴァイブというゲームを、歴史から消す」という最終目的が提示されるのだ。


当初の「ゾンビなんてメタルギアじゃない!」という声……それを上げたキミ、そう、キミだ。まさしくキミは正しい! そうなんだ! メタルギアにゾンビなんて出てくるわけがないんだ! それを肯定するために、このゲームのエンディングは存在する。メタルギアにゾンビなんて存在しないんだ! その歴史を作るために、キミはこの死の世界にいる!!

 
 このエンディングに結びつけたプロデューサーの是角有二氏、ならびにここまで凝ったゲームデザインを行ったスタッフ達には最大限の敬意を示したい。そして、そのスタッフ達をここまで育てあげた小島監督は間違いなく奇才だ。コナミを退社してしまい、おそらく今後はメタルギアに携わることはないだろうが、今作の功労者であることは疑いない。ありがとう、小島監督


 このゲームをやらずに非難することは容易だ。しかしできることならば、やってから非難をしてほしい。こんな駄文を読んでいる時間があるのだから、キミには難しいことではないだろう?